EVERYDAY大原美術館2023 vol.4「カタチとオノマトペ」
3月30日。年度末の忙しい時期に私は生まれた。
誕生日だからと言って、心躍らせるような年齢でもない。それはそうなのだが、おもちゃ箱をひっくり返したようななんだか楽しく、騒がしく、賑やかな絵を選んだのは、今日が誕生日だったからに違いない。
ワシリー・カンデンスキー作「尖端」
真夜中のおもちゃ現象
この絵は動いている。目線を左下の鳥の羽のような部分に合わせていると、右上の丸い球のようなものが動き始める。
先ほどは「おもちゃ箱をひっくり返したような」と記述したが、実はちょっと違う。真夜中に動き出すおもちゃたちのように、私の目を盗んでは動き始めるのだ。目線を合わせていない、視野の端の方で動いている。またその動く方へ目線をやると、別のどこかが動き出す。
何かのようだ
中央上部にあるとんがり帽子が西洋の兵隊に見えた人もいるだろう。鳥の羽のようなものもあれば、タコの足のようなものもある。どれも「ようであるだけ」で何かははっきりしない。何であるかを考えるのではなく、のようであるが何でもないと考えるのが自然に思えてくる。
どんな形状・造形も自然界が持つ「カタチ」からできていると聞いたことがある。つまり、どんな「カタチ」を見ても、何かのようであるが当たり前とも言える。
まる・さんかく・しかく
ただの「カタチ」では動き始めることはない。命が宿り、動き出す。そこに描かれているのは、振動や流れ(風)が見え、音が鳴る。「カタチ」に命が宿るのはなぜだろう?
オノマトぺ
日本語にはたくさんのオノマトペが存在する。バタバタ、ニョロニョロ、クネクネ、コロコロ、いろんな音が聞こえてくる。カタチによって生み出されるオノマトペは違う。自らの名を語るかのように、オノマトペを語り出す。
タイトルは「尖端」
原題は、「POINTS」。
円錐形を思い浮かべた。真横から見ると、三角形。
上から見ると、円。
その先端だけを見ると、点だ。
同じものを見ている。どこの視線を合わせるかによって見え方は全く違う。
世の中の合理化
世の中は「カタチ」という記号化されたものや簡略化されたもので取り扱いをしやすく、また意味の一元化をする。その方が楽ちんだからだ。
でも本当は、違う形を持っている。
楽しそうに見えたこの作品も、この日が誕生日でなかったら、何やら恐ろしい魔物に見えてきたかもしれない。
アートの特性
私たちには三角に見えていたものを、アーティストは点として捉え表現する。同じ世界を見ていても、違うものに見ることができるし、それを示唆してくれる。
カンデンスキーは、アートと何か、生命とは何かを誕生日プレゼントとして教えてくれた。
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