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雨の日の大原本邸「ピアノの音と棟方志功」
大原本邸のピアノ(C.Bechstein:ベヒシュタイン)がこれから修復される。
クラウドファンディングも実施中。
今晩は修復前のピアノを聴かせてもらえるということで伺った。
雨の日の美観地区、雨の日の大原本邸。
ベヒシュタインの音を聞いて講釈を垂れるような
耳もなければ、言葉もない。
遠慮しがちなみなさんが開けてくれた1番前の1番真ん中に座り、
他の人など関係ないと極力無神経になり、音に浸った。
抜けて飛んでいくような音はなく、少しこもった感じ。
ピアニストの能登泰輝さんが話すように強く叩くと
本当に壊れてしまうのではないかと思うほど
愛おしく感じられた。
私は2曲目の「雨だれの前奏曲」に泣いた。
ピアノの音を聞いて泣いたのはいつぶりだろう。
曲を聞いて泣いたというよりは、はじまりの1音目で目頭が熱くなった。
気付かなかった心の隙間に、その1音がスポっと入った感じ。
時間がスローモーションになる。
何かつらいことがあったわけではない。
ただ、今日の雨がそうさせた。
それ以外に考え付かない。
大原總一郎は、モーツアルトが好きだった
1957年2月18日。大原本邸でピアノ演奏会が開かれたようだ。
棟方志功が絵を残している。
この時はシューマンを演奏したようだ。65年前のこと。
ピアノに対峙する女性。
髪の毛をアップにし、えんじ色のドレスを身にまとう。
鍵盤を見つめ、1音1音に熱を込める。
ピアニストの1番見られているのは、背中かもしれない。
少し丸まったその姿は、素朴であればあるほど、
その魂はピアノに注がれ音になる。
ピアノの傍に立つのは大原総一郎だろうか。
黒い着物を着て、客席を眺めているのか、音に聞き入っているのか
![](https://assets.st-note.com/img/1645288112197-TQbJzMlCYR.jpg?width=1200)
客席は薄暗い
どれくらいの客が入っていたのか、どんな客が来ていたのか
よくわからない。
客席の所々に、赤い鈴のようなものが見える。
丸い達磨のようでもあり、巾着のようにも見える。
一人一つ、膝の上において聞いているかのようだ。
露香に火を灯し、キャンドルのように持って聞いていたとするなら
なんとロマンチックだろうか。
曲は花の曲 変ニ長調Op.19
![](https://assets.st-note.com/img/1645288138300-7L1vx4q8i6.jpg?width=1200)
さぁ、本題に入ろう
ピアノや大原總一郎が配されているのは、画面下部。
画面上部は、薄い朱のワンピースの女性らしき人が舞っている。
シューマンの音楽が、脳内で現実を拡張し、天女を連れてきたのだろう。
それは、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像のように楽器をしたためて、
アンサンブルする様子ではない。
頭上に広がる光の隙間から、するすると抜け出し客席の上空を舞う。
ピアノの音色がパッと止まれば、彼女たちの姿はない。
この音楽会中、姿を表す彼女たちは、何か特別な空間を共有している気分にさせてくれる。
![](https://assets.st-note.com/img/1645288158341-M2EzRM9QXY.jpg?width=1200)
写真には映らない、新たな光が美観地区に灯ろうとしている。
倉敷にはアートがあり、音楽がある。
経済合理性とアートや音楽のあり方がまた新たなステージに移行する。
美観地区にどんな音楽が流れ始めるのか、期待を胸に帰路につく。
番外編「きらきら星」
雨の日は星が見えない。
ピアノで星はすごいスケールになって見せてくれる。
今宵は、怖くてレベル7までは弾かなかった。
しかしながら、未来はきっと明るいと星を輝かせてくれた。