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不確定日記(ないものを詰める)

いきなり膝の力が抜けるように、かくん、と寂しくなることがある。そういうとき、特に何かのきっかけはない。
子供の頃、「なんで泣いてるの」と聞かれてもまったくわからなかったことを思い出す。私には子供がいないが、子育て中の人の言葉から知った「イヤイヤ期」という何もかもが不満で不安な時期の自分自身のことを、私は結構憶えている。家の各所の床材、台所のビニールタイルとリビングのくすんだ緑色のカーペット、アールのついたテーブルの脚、廊下の木目、奥の部屋のちょっとチクチクするベージュの絨毯。時には往来のアスファルト。いろんなところに横になってはなにかぐにゃっとイラッとしていた。(ついでに、低い位置から見ると素材の凹凸がよくわかった)
ありもしない原因を取り去ろうという解決方法が間違っている事を伝える術はなく、私は自分の涙や態度の原因を捻り出そうとし、「このへん(胸や腹)がかゆい」とか言っていた。たいへん伝わりづらい。まあ、どうにも、泣きたかったのだ。
今は横になるなら布団にするが、それも飽きがちなので、冷蔵庫に何年も入っていた花豆を取り出して水につけてみた。大きくて暗いまだら模様の豆がボウルいっぱいに入っている景色はあんまり良くない。というか、こわい。私が他の料理をしている間も台所の隅でずっと異様な存在感を放っている。そこだけ古いホラー漫画のデロデロしたカケアミ(「ホラー漫画 カケアミ」などで検索してください)の背景が見えるようだ。私は明日これを甘く煮てやるのだ、と思ったら少し何かが埋まった気がした。「このへん」に詰めるのはカケアミでもよいようだ。
花豆は何時間か経ってふやけてシワが増え、さらに凶悪さを増している。

そんな奇特な