不確定日記(旅日記みたいに)

夢。小学校の一階の隅に食堂がある。オーナーの女性が焼き魚定食を食べている。食材は寄付で賄っているそうだ。私は「もう卒業してからここが出来たので、食べたことないしこれからも食べられないんですね」と言う。ちょっと働いてみたいと思うが言わない。
椅子は美術室のものなので硬くて重い。
外にゴミ捨て場がある。ペットボトルと紙ゴミとビンを捨てたい。ペットボトル用のゴミ箱だけが溢れている。大きなゴミ捨て場は駐車場を挟んで左右対称になっているので、もう一方に行ってみるが、植木置き場しかない。
親しい人を待たせている事に気付いたが、走らない。


同じ小説を二度目に読むと既視感がある。当たり前だ。けれど、何日か前に書いたすごろくの途中に戻って行きたい気持ち、もしくは、あー帰ってきた途端もう一回台湾行きたいなー、みたいな気持ち、と、何度も同じ小説や漫画を読みたい気持ちは似ている。
文中に知っている地名が出てくると、実際にそこに行った記憶と文章を読んで想起された景色が二重写しになる。
あるミステリー小説に出てくるアダルトビデオのモデルプロダクション事務所は、住宅地に移転したドライカレーの店を探して迷っていた時に入ってしまった袋小路のあそこだ、とすぐ頭の中で再生できる。作中では描写されていなかった、黄土色のタイルとものものしいガレージのシャッター。
もちろん行った事ない場所の景色が観られるのも文章のお得なところで、特に子供の頃に何度も読んで訪れたナルニアやプー横丁や沼のほとりのパドルビーや湖水地方(イギリスの児童小説が好きだった)は一人で何度も反芻した分、親や友人から聞く幼児期の思い出話より個人的な実感があったりもする。それはたぶん実物とは違っているし一冊の本から見える景色は人によって違って、だから、人から借りた本を読むのは時々骨が折れる。

そういうことを、久しぶりに会った友人にわざわざ言ったりしないけれど、公開している日記で書いてみたりはするのだ。

そんな奇特な