メンドクサァイ、アンダー・ザ・スカァイ。on the road
2024年11月17日(日)に、駒場野公園デイキャンプ場で、初の野外活動「メンドクサァイ、アンダー・ザ・スカァイ。」を開催。昨年の夏、私しばやすが東ティモールのコーヒー農家のおかみさんたちに教わって以来、くり返し夢に見た憧れの焚き火と中華鍋を使った豪快にして優美な焙煎に挑戦します。
概要はコチラ↓
今日から会期までの半月の間、「そらのした」をキーワードに思いついきのとっ散らかったレポートを書きますので、気が向かれたらお付き合いください(しばやす)。
実験、大成功。 2024.10.22
あまりの盛況ぶりに目が点になった、9月初日の場所取り抽選会からほぼ2ヶ月。まあ、まずはひと通りやってみよじゃないのと、サクマーさんと検証のためにやってきました駒場野公園デイキャンプ場。やはり利用希望は休日に殺到していて、平日はガラガラ。2ヶ月前の抽選会に行くまでもなく電話で空き状況をたずねてすんなり予約することができました。
昨日発見した「着火剤になる炭」なるもの(脂分の多い木材なんだと思います。お馴染みの水色の固形燃料よりなんだか気分がいいです)を敷き、その上に木炭を重ねて着火。水を入れたヤカンを置いて、木炭の入っていた箱には「火が起きるまで1時間ほど」なんて書いてあったけど、30分もしないうちに炭が白くなってきていい感じになりました。
もうこれだけで大満足してヘラヘラとしてしまいそうでしたが、気合いを入れて、じゃあまずはパンを焼いてみようということに。棒をアルミホイルで包んでその上に紐状にしたパン生地を巻き付けて、あら可愛い…って、
「棒、どうする?」
「そのへんに落ちてるいい枝、使おう」
と、いうことで芝刈り‥じゃない柴狩りに。園内の小枝を集積してある場所があり、そこのおこぼれでかなり立派な棒を拾いました。コーヒー焙煎で使うのに良さそうな小枝も落ちてる、落ちてる。拾うのって時間、忘れちゃう。どうしてこんなにたのしいんでしょう。
巻きつけて、熾(おき)火でジワジワ、回してまんべんなく…と。じかに触れたら焦げちゃいそうなんで、かまどの具合のいい場所に渡してなんとかこんとか遠い火状態にして。「どのくらいで焼けるかだいたい時間を見とこう」というための今日だったはずですが、野外の魔力?か、もうどうでも良くなっちゃってダラダラ、狐色になってきた断面を見て、きゃーきゃーはしゃぐばかり。
くらいついてみると、おおおお、う、うめえ!
(わたしはうっかりアルミ箔まで噛んでしまい、しばらく歯が感電?状態になっちゃってたんですが)
ちょうど、そこに「なにを作っているんですか」と尋ねる、ハッピーワンコを連れたステキなお散歩人が登場。「パンです。このあとコーヒーも中華鍋で焙煎してみようと思って」という聞く人が聞いたら、ドン引きする返答をむしろ乗り出して受け止めて棒を受け取ってくださり「美味しい!」と喜んで食べてくれました。パン好きだというハッピーワンコもご試食。
「粉から焼けるまで一時間で出来るパン、というレシピを教えてもらってそれでやってみようかと。今日はパン生地発酵するところまで家でやってきちゃったんですが。本番は、粉からやろうかと」
「そうそう。簡単なんですよねえ。きょうだいの夫がオーストリア人なんですが、日々、粉を捏ねて普通に美味しいパンを焼くんですよ。ええ?大変じゃない?って聞くと、でもあなただって、お米を毎日研ぐでしょう?って返されて。ああ、そういう感覚なんだって」
心打たれパンを頬張りながら「またどこかで」と言って別れて、さあ、いよいよ憧れの焚き火&中華鍋焙煎!
かまどは…そうだ、鍋が安定しやすいように太い枝で三角形をつくって。小枝を焚べて火をメラメラにしたところに中華鍋を入れて、あらあら(自分に呆れる俯瞰の目線)分量も測らずに、おなじみの東ティモールの生豆をジャーっと入れて、おかみさんの所作を思い出しながら、へら(餃子返し)で鍋肌に沿って円を描くように休みなくかまします。
最初、三毛猫状態にムラに焼けてきて焦りましたが結果、均等に狙い通りの仕上がり(中煎り色)になりました。
「おかみさんたちはコテンパンにハイローストにしていたけど、あれは火の調節が難しくて狙い通りにいかないからだと思っていたけど、できるじゃん」などと得意顔で、ここからは、いつもの道具を使って冷まして挽いてみると…。
あれれれ?挽きが固い。挽いた色もシナモン色の浅煎りです。味も(超浅煎りも美味しい東ティモールのお豆ですが)もちろん超酸味系の味。
炭火、外の色から判断する煎り具合が違うんだ。おかみさんたちが超ハイロースト色にしていたのは、調整が難しかったんではなくそういうワケがあったのか。
と、残りの分は、コテンパン気味にハイローストにしてみると、正解。狙いより深煎りでしたが、もう、お酒のように酔っぱらう極上コーヒーになりました。しかもね、遠赤外線焙煎だからなのか、野外の魔法がそう思わせるのか、いつもとは明らかに違う滋味、みたいなものが感じられて…。
どハマりです。毎週、来ようかしら、と思うくらい。
もう多幸感とパンの食いすぎでお腹いっぱいだったんですが、最後の最後で、なんとなんと、かまどの下でずっと眠っていた、新聞紙とアルミに包まれた焼き芋が登場。飴色…、ううううううっ、うめえ〜。サクマーさん、グレートすぎる仕込み!
これ、キビキビしちゃ台無しなんだ…。なんて考えながら、荷車引いて電車とバスで帰りました。
ピクニックテーブルのこと 2024.11.1
なんだかんだで気が散るうちに、考えがまとまらず、書くのもアップするのも後手後手になってしまってあわあわな今回のon the road ですが、すっかり忘れてた、どうしても書きたかったことが、ありました。それはピクニックテーブルのこと。
あまりの盛況ぶりに目が点になった、9月初日の場所取り抽選会。無事に11月17日を予約したあと、デイキャンプ場に立ち寄り、このピクニックテーブルを見つけました。そのときの、こう、静かな感激というか…生きてて良かった〜って感じですかね。なぜかと言うと…。
ピクニックテーブルといえば、中央のテーブルの四方を、辺と同じ長さのベンチが囲む。テーブルには四角い土台が付いていて地面より小高くなっている…という形が定番でした(うちの最寄りで、コロナ禍以来ずっと使用不可状態が続いている林試の森公園デイキャンプ場のピクニックテーブルはこのタイプです。今度写真をアップしておきます)。
これの何が問題かというと、これでは車椅子を常に使っているひとは一緒にテーブルを囲むことができないのです。言われればなるどそうだなとすぐ分かりますが、これ、ふだん車椅子を使っているひとと過ごす時間がないとなかなか気づきません。昔ながらのファミリーレストランーーテーブルにソファ席ーーも同じです。
車椅子ユーザーの子ども(もう大人になって巣立ちましたが)たちとの暮らしのなか・公共空間で、種類も濃度もちがういろんな「おいおい、これじゃ使えないじゃん!」に出くわし、いちいち驚き嘆きましたが、なかでも一番悔しくなるのが、こういう、あらゆるひとがふだん、卓を囲んだり、居合わせたりする目的で作られたものが目的を果たしてないことに気づくときでした。
ですから、インクルーシブ社会(あらゆるひとがともに暮らしていることが前提になっている社会)というお題で話し合おう、なんて場面では「ピクニックテーブルは、こうしなくてはみなで囲むことはできない(こうすればみなで囲むことができる)」というたとえ話をしたこともありました。そのとき、ベンチを一個、取っ払うか半分にする、中央の小高い台をなくす(たとえ車椅子のひとが囲める辺ができても台があると奥まで足を入れられず、テーブルを使うことができないので)…、「こうして、こうしてさあ」と描きなぐった絵、そのものだったのです、この駒場野公園のピクニックテーブル。
もうシレッと現実のものなのね。…中央の小高い台を取っ払った痕跡に気づいて、またまた、おおおと感動。血気盛んな若いころのこと、「ハンマー持ってって夜中に剥がしたろかい」なんて呟いて、周囲を怯えさせたこともあったっけ。
もちろんこれとて、車椅子ユーザーの座る位置が決められちゃうとか、いろんな課題はあるだろうけど、このノリ?マインド?がひとたび当たり前の感覚になれば、あとはもう、ここかしこで課題もアイデアもどんどん生まれて行くような気がして、しばし、とてつもなく安心してしまったのでした。
まだ残席あります。ご参加希望のかたは、下記のGoogleフォームからお申し込みください。↓
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