どこまで経験を再現すればよいのか?
今日はキャリアカウンセリングのお話しです。
以前、わたしが敬愛する方々とおしゃべりにて、こんな話題が出ました。
「経験の再現は一体どこまで行えばよいのか?」
わたしたちが学んできたJCDAのキャリアカウンセリングでは【経験代謝】というメソッドかあります。
経験の再現とは、経験代謝における最初のステップ。相談者自身にどんなできごとがあったのかを語っていただき、その語りからご本人がその経験をどのように捉えているかを確かめていく段階です。
その場面をありありとイメージしながら、何を感じ、何を考え、どう思ったのかを、相手の靴を履いてその場に立って自分が経験したかのように深く深く傾聴します。そして相談者の内面世界に触れていきます。
この「経験の再現」をいったいどこまで行えばよいのかという疑問が出たというお話しです。
その答えを考えるうえで、一つの例えとしてお話ししてくださったのが「浦島太郎」でした。
浦島太郎が浜辺でイジメられていた亀を助けたときの経験を再現するとします。
この時、
「亀をイジメていた子たちの、服の色は?髪型は?身長は?」
という問いかけは必要でしょうか?
「イジメられている場面を見たとき、どんな思いが湧き起こりましたか?」
「あなたはどんな行動を取りましたか?それはなぜですか?」
「助けたとき、亀はどんなことを言っていましたか?それをあなたはどのように受け取りましたか?」
「助けた後、どんな気持ちになりましたか?」
こういう問いかけなら、浦島太郎が感じていたことを知る手掛かりになるでしょうし、本人もその時どんなことを感じていたかを考えるきっかけになるはずです。
でも、子どもたちの見た目までは再現する必要は・・・
これを働く人の相談に置き換えると、
「上司の年齢は?服装は?髪型は?」
「職場はビルの何階?広さは?」
といった質問になるでしょうか。
どこまで経験の再現をすればいいのか、これが経験の再現に本当に必要なのか、という視点で考えると不要な問いかけに感じます。
では、どこまで経験を再現すればよいのでしょう?
少なくとも本人がその経験に映る自分を感じてもらえるまでは、経験の再現は必要だとわたしは思います。
でもつい、わかったつもりになったり、関係のない話を訊いてしまったりするんですよね(汗)
・・・ここはまだまだ精進が必要なところです。
がんばります!
明日も佳き日でありますように