命をいただいて生きている
小さいころから食事をするたびに「命をいただくから、いただきますって言うんだよ」と教わってきました。
それはいまでも変わらず。夫婦そろってそんな感覚なので、食事の前には手を合わせて「いただきます」と言っています。もちろん「ごちそうさま」もですけどね。
肉や魚などの動物の命だけでなく、コメや野菜も植物の命ですし、水だって貴重な地球の命=資源ですから、口にするものすべて「命をいただく」ことに通じていると考えています。
先日、こんな言葉に出会いました。
つまり時間=命、相手の命をいただくのと同じと考えているわけです。
遅刻して相手を待たせたり、不用意に時間を引き延ばしてダラダラと無意味な時間を過ごさせるのは、相手の命を無駄にすることになります。
わたしは普段から相手を待たせないように予定の30分前には目的地近くまで行って、15分前には会場入りしています。本音は「遅刻したら恥ずかしい」「迷惑を掛けたくない」「社会人失格だ」と感じるから……だと思っていました。
でもこの言葉に出会って、「相手の命を奪うことはしたくない」という思いが非常に強いからだと考えるようになりました。
一方で自分が待たされる側になると、不思議と「命を奪われている」とは思えないんですよね……
むしろ待ち時間で「noteが1本書けてラッキー」とか「ちょっとメールチェックなどの仕事を済ませよう」と、自分の時間として費やせるのでありがたくすら思ってしまいます(笑)
おそらくただぼーっと待っていることは、「自分で自分の命を奪う」と感じるからなのでしょう。だから効率よく、無駄なく、時間を有効活用することで「命を活かす」と捉えているからなのだと思います。
「わたしはたくさんの命をいただいて生きている」
それをあらためて感じる機会となりました。
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