フィードバック×おじさん=アドバイスになってしまうのでは?
学びの中で「フィードバック」というかかわりが少なからず出てきます。
この「指摘や評価」という部分がなかなか曲者で……
「目標達成に必要な問題解決や成長促進」を目標としているとはいえ、他者からの「指摘や評価」をどのように受け取るかは、フィードバックを受ける人次第。場合によってはアドバイスや助言となってしまうことも多々あります。
わたし自身がこのフィードバックを行う側でもあるので、特に注意を払っているのですが……どうしても伝えたいという思いがあふれてくると、指導的な表現になってしまいます。
日頃「先生」と呼ばれる仕事をしているため、話し方がそのものが指導者・評価者になっているからなのかもしれません。さらには「教えたい」「わかってほしい」という思いが根底にあるので、その疑問に答えなければならないという使命感に駆られてしまうからかもしれません。
それがわたしの中では「指導的、評価的な関わり」と感じているので、結果的にフィードバックが上から目線になってしまっているのではと不安になっているわけです。
これは完全に私の偏見ですが……いわゆる「おじさん」にこの傾向が強いと思うんですよね。年配の男性で、人生経験が豊富で、部署の責任者を務めていたり、仕事で大きな実績を納めていたりすると、さらに強くなります。
「それは○○だから~」とまるですべてをわかっているかのように、良かれと思ってアドバイスするおじさんが周りにいませんか? かくいうわたしもその「おじさん」の一人。気をつけないとつい、上から目線で教えたがってしまいます。
でも、フィードバックの本来の目的は「相談者が自らの力で問題を解決できるよう成長を促すこと」にあるはずです。そのために「軌道修正や動機付けを促すコメント」をするのが理想ですから、一方的な情報提供や指導では不足しています。
では、何が必要なのでしょう?
それは「問いかけ」です。相談者が自らをふりかえり、考えてもらうことが欠かせません。そのきっかけとなるための「問いかけ」がフィードバックの本質です。
例えば、相談を持ち掛けられたとしましょう。
そのときに「~すればいいよ」というのは助言=アドバイスです。
それに対して「○○するには何が必要だと考えていますか?」「自分では何が不足していると感じているのでしょう?」などと、質問をすることで本人に考えてもらう余地を与えます。これがフィードバックの入り口となる問いかけです。これをきっかけに本人にふりかえってもらい、出てきた考えをもとにどうしたらよいかを一緒に考えていくのが、フィードバックのあるべき姿です。
ところが前出の「おじさん」は、一緒に考えるのが苦手なんです(笑)
自分の力で解決して生き抜いてきたという自負があるからなのか、後進に自分の持つノウハウを伝承したいという思いが強いからなのか、ついついしゃべりすぎてしまうんですよね……
エリクソンの漸進的発達理論でいえば、老年期は「統合」であり「英知」という課題があります。助言となってしまうのはこの「英知」を次世代へと受け継ぎたいという思いからくるもの……なのかもしれません。
ここにフィードバックという言葉がピタリとあてはまると、指導的で評価的な表現に至ってしまう……のでしょう。
フィードバックはとても面白いかかわりなのですが、伝え方次第では成長を促すどころか成長の機会を奪ってしまう可能性すらあります。その怖さを十分に理解したうえで、よりよいフィードバックを目指して学び続けていきたいと思います。
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