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「あなたはなぜ学ぶのですか?」
「何のために学ぶのでしょうか?」
そう問われたら、なんと答えますか?
先日の勉強会。
答えが一つではない問いを探求する、素敵な時間を過ごしました。
たどり着いたのは、学ぶことの意味。
わたしはこのようなことを最後に発言していました。
外から与えられる答えは自分のものではない
自分の内面と向き合って、自分との対話から答えを導き出す―――
その探求のプロセス自体が、“学ぶ”ということなのではないか
まだ仮説段階ですが、わたしなりの意味づけはできたと自覚しています。
もちろん前提として、「学びと勉強の違い」は意識しています。
学び≒学習は、『自ら学び、習うこと』ですから、自発的で主体性があり、やる気に満ちている印象があります。
勉強は、『勉める(=努力する)ことを強いる』わけですから、やらされ感や無理やりな印象があります。
大人になってから「学ぶことが楽しい」とおっしゃる方の多くは、学びと勉強の違いを肌で理解しているように思います。
一方で、「もう学ぶことは嫌だよ」「なんでそんなに勉強しなくちゃいけないんだ」とおっしゃる方も、実は好きなことならとことん“学んで”いたりするわけで・・・学ぶと勉強の違いを知らないだけなのかも。
そもそも人は知的動物。知的好奇心があるから、言葉を覚え、行動をまね、知識をつけ、技術を習得し、進化・成長してきたわけです。
今日の社会があるのも、一人ひとりが学んで身につけた知識や技術があってこそ。家族や組織といったコミュニティが維持できているのも、他者を知りたい・理解したいという知的好奇心が成せる業です。
難しいことではなく、「なんで?」「どうして?」と興味を持つことで、相手の考えを知ろうとすること自体が、すでに学ぶという行為になっているわけです。
「(自分とは違う)相手の思考や行動から学ぶ」
そう考えれば、キャリアカウンセリング自体がすでに学びの構造になっているのかもしれません。
「だから、学び続けよう」
わたしはそう心に留めておきます。
あなたはどう感じますか?
明日も佳き日でありますように