震える弱いアンテナが隠されている きっと……
茨木のり子さんの詩集に惹かれ、ここ最近じっくりと味わっています。
今日はそのうちのひとつ、「汲む-Y・Yに-」という詩を紹介します。
こちらは「おんなのことば」という詩集に掲載されています。
この詩の中で、わたしがグッときたのがこの一節。
仕事のこと、その中にある大切な思いに触れるような一節が気になり、この詩のことを書いてみたくなりました。
茨木さんは少女のころ、「大人とはすれっからしになること」と捉えていたようです。
すれっからしとは、様々な経験をして悪賢い、人柄が悪い様子を表す言葉。
どこか大人は擦れて悪い面があると見えていたようです。
そんなあるとき素敵な女性に出会います。その女性はこう言いました。
茨木少女はこの言葉を、こう受け止めました。
大人だから大人らしく振舞わなければならない・・・そうではないんだ。
初々しさがあっていいんだ。うまくできなくてもいいんだ。
まさにものの見方が変わる瞬間です。
そして、世の中で働くあらゆる大人たちに対して、こう考えます。
きっと大人たちは、人を想い、人を大切にし、世の中をよくしたいという志を抱いて仕事をしているんだろう。
心の奥底からわずかに発せられる相手の願いや気持ちを、つぶさに感じ取る「震える弱いアンテナ」を大人たちは持っているんだ。
それが「人を人として思う」ということなのだろう・・・と。
この詩はこう締めくくられています。
ご自身が大人になったとき、少女時代に悟った言葉の意味を今でも「ひっそりと汲むことがある」と茨木さんは語ります。
それは、自分がどんな大人でありたいかを節目節目で再確認しているということだと、わたしは捉えています。
キャリアカウンセラーとしてだけでなく、教員として、大人として、心に響くものがありました。
「震える弱いアンテナが隠されている きっと……」という言葉は、わたしが相談者に相対する際に心がけていることです。
本当に話したいことは、伝えたいことは、わかってほしいことはなんだろうと、全身全霊でキャッチする姿勢をまさに言いえていると感じました。
だからこそ、わたしがこの詩に惹かれたのかもしれません。
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明日も佳き日でありますように
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