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日本キャリア開発協会(JCDA)関西北陸支部北陸地区会主催の勉強会に参加しました。毎月配信される「会長便り」をテーマに参加者同士でディスカッションを行って学ぶ勉強会です。

わたしは初参加でしたが、顔なじみのメンバーがたくさん参加されていて、おかげでホームグラウンドのような安心感がありました。


さて今日は、一晩経った”いま”、わたしの心に残っていることを綴りたいと思います。

今回のテーマは【第60回「部分と全体」について】でした。


わたしが心に留まったのはこのフレーズです。

「部分の総和が全体性ではない。全体には、全体としての意味がある」

JCDA会長便り 第60回「部分と全体」について より引用

ゲシュタルト心理学に関する記述の中の一節で、全体性について言及した部分です。

わたしは学校で学生たちを見ているため、この言葉を「一人一人の学生が集まって”クラス”を形成しているという面もあるが、“クラス”という一つのまとまりとしての存在にも意味がある」と捉えました。

”クラス”としての雰囲気というか、全体としてまとめて捉えている感覚は、わたしの中にあります。

もちろんそれを構成するのは一人ひとりの学生であり、誰かが欠けてもクラスとしては成り立たないはずなのですが、例えば誰かが欠席してもクラスとして成り立つのは全体性があるから・・・とも考えられそうです。


これは同時に「従業員と法人」「労働者と組織」の関係性も表しているように感じます。

法人という言葉は「法の下の人」という考え方に基づいていますが、法律上の扱いだけでなく、「企業としての全体性は人に置き換えられる」という側面を持ち合わせているように感じます。

社風や風土といった雰囲気を表す言葉は、一人ひとりの従業員が作り上げるというより、そもそも組織が持ち合わせているものという面が強いのではないでしょうか。そして全体性の持つ雰囲気に、従業員が染まっていく・・・から社風や風土が長く受け継がれていくと考えると、しっくりきます。


ではこの全体性を一人の相談者に置き換えてみるとどうなるでしょうか。

相談者の語る”経験”は部分を表し、その部分が集まって”人”を形成する、と考えることもできますが・・・果たして一つひとつの経験の集合体が人であると言えるのでしょうか?

むしろ、まずは”人”としての全体があり、その全体を構成する一部が”経験”として語られるという感覚の方がしっくりきます。

相談者の語りはその人のすべてを表しているわけではなく、まず相談者の人となりや人柄といった全体的な雰囲気があり、そこに含まれる一部の経験を語っているに過ぎない―――と捉える方が適切です。


つまり「語られる”経験”だけに意識を向け過ぎて(経験の再現をすることが目的となってしまい)、人柄や人となりを見落としてはならない」ということをおっしゃっている、とわたしは受け取りました。

それを表しているのがこの一節です。

個々の介入に意識が向けられ、相談者の語り全体への意識が失われ、相談者を一個の人間としてみる視点、その人の「人間性」を観ようとする意識がややもすると見失われているのではないか、と思うときが少なくありません。

JCDA会長便り 第60回「部分と全体」について より引用

もしかすると、「相談者の語り方や表情、相談内容、できごと、語りから見えてきた相談者の枯れている環境」などを、個別の情報として捉えるのではなく、「相談をしている”人”自身にまずは意識を向けてください」ということをおっしゃっているのかもしれません。

ともすれば、経験を聞くという方法や、語られた問題にばかり焦点があたってしまい、語り手である相談者のお人柄までキャッチできない場面があったのかもしれません。その様子を客観的に見ていた会長ご自身の感じたことを記されているので、これは想像でしかないですが・・・




ふとここで、以前から学んでいる『U理論』の中に出てきた、ジグソーパズル型とルービックキューブ型の問題の違いとつながる感じがしました。


人間関係の問題は、「1つずつ解決していけば全体が解決できるというジグソーパズル型の問題」よりも、「一つを動かすと他方(多方)にも影響が現れるため複雑になるルービックキューブ型の問題」であることが多いというものです。

これを今回の【部分と全体】の話に置き換えると、
・部分の集合が全体である = ジグソーパズル型
・全体には全体の意味がある = ルービックキューブ型
と捉えることができるのではと考えます。

相談者をルービックキューブのように捉えることで、いま語られている悩みだけを解決すればよしではなく、悩みの元となっている事柄や関係する人やモノ、過去の出来事、果てはその人の価値観や大切にしていることまで、大きな視点で全体的に見ることが他者理解の第一歩になると考えられます。

同時に、相談者自身もまた大きな視点で捉えることで「自分らしい生き方」に気づき、前に進むことができるのではと思います。

“ルービックキューブ”という例えが、わたしの中で妙に腑に落ちました。全体を見るってこういうことも含まれているのかもしれないですね。




このような学びの機会は、CDA・キャリアカウンセラーならではのものかも知れません。

わたしも学びの場を提供する側として、新しい観点をいただいたような気がしています。

今回お世話になった北陸地区会のみなさま、そしてご一緒してくださったCDA会員のみなさま、さらに同席してくださった会長に改めて御礼をお伝えしたいですね。

ありがとうございました!




明日も佳き日でありますように






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