実生活での指導(4)人材の城(2)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第30回
革命の主体
池田は「若き日の日記」につぎのように綴っている 。
「職場も、組合も、時代も、革命も、政治も、教育も、科学も、すべて青年を味方にせずして勝利はない。青年を味方にするか、敵にするか、すべての戦いの勝利の鍵である」
創価学会のめざす革命においても青年が主体である。池田はとくに、全国で二十万を越えるという学生部の将来に期待し、四十一年の学生部総会でつぎのように講演している。
「私は学生部に最も期待をかけております。ということは、この宗教革命、ならびに政治革命、経済革命、文化革命等々、歴史始まって以来の無血大革命を断行しようとしているのが私どもであり、その頭脳、電源が学生部であらねばならぬということであります。(略)
学生部員は、生涯、民衆の指導者でなくてはなりません。特権階級に断じてなってはいけません。民衆と共に歩んでいく指導者、民衆といつも語り合っていける指禅者、民衆といつも苦楽を共にしていける指導 、こういう大衆革命の中核の革命児になり、その先端をきっていただきたい」
創価大学の誕生
さらに、池田は学生部員が判検事、外交官、大学教授その他あらゆる方面に雄飛すべきこと、また、近代史に照らして、明治維新にしても、諸外国の革命もすべて学生が中枢となったことをあげ、十年、二十年、三十年先を目指して無血革命を完遂するよう教えている。
とはいえ、その道は、短兵急にゲバ棒を揮う安易なものでなく、まず自己の克服からはじめる長い苦難の道ではあるが。
こうした趣旨で、現在まで全国八十の大学で大学会が結成されたが、すべては人材育成につながる。すでに昭和四十八年に女子短大と女子高校を大阪に設立することが発表されており、また二十年の長期計画により総工費二百億をかけて、本部棟は三十階建の総合大学、創価大学(東京都八王子市)が四十六年に開校する。
池田の構想はこうだ。
「教育の根幹を理念性におき、二十一世紀の人材をつくり上げる。ここでは経済界その他現在社会の第一線で働いている人たちを講師として生きた学問を教える」
また、
「教授陣にはいわゆる有名教授は中心にはしない。現在の大学の様相は、それらの人々の支配の結果である。新時代を作り出そうとする創価大学が、これらの人を用いる必要はない。吉田松陰ははじめから有名だったろうか。新しい事業、新しい革命は、むしろ無名人でなければ出来ない」
「新体制は旧体制からは生まれない。新しい建物は新しい材木で建てること。これが時代を切り拓くキーポイントだ」としている。
猛烈君の学園
これより先,都内小平市には四十三年から,健康な英才主義,人間性豊かな実力主義をモットーとして創価学園(高校、中学)が開校された。いわば池田の教育理念の実践の場であるが宗教教育はしない。その 教育方式は「指導、教授、擁護、訓練」の四か条。池田は「教育は指導者と被指導者という対立的なものではない。対等の立場に立って全員を才能に応じて指導,育成して仕上げていくことだ」という。
もちろん、具体的には学校当局に任せられているわけだが、とにかく猛烈である。
四十四年の受験生は中学一年に合格が決まったとたん、間もなく入学式にもっていく宿題がどっさり届く。内容は、夏目漱石の「坊っちゃん」ほか二編、芥川竜之介の「トロッコ」ほか二編を読み、それぞれ四百字三枚の感想文、小説の創作同じく三枚、わが郷土の作文同じく三枚、ほかに算数の問題のプリント、絵を一枚書くこと。入学式で新入生に渡された国語、数学、社会などの教科書は一年と二年のもの。これを 一年間にやろうというわけだ。入学式の翌日は早速試験。一年間に 五回の中間テストを行なう。そして遅れかけたものは励ましてゴールまでひっぱっていく行き方である。遠足はウイークデーを避けて日曜日。
一年生の夏休みの宿題といえば、数学、英語のほか詩五十編の創作、福沢諭吉の「福翁自伝」など指定された二冊の本を読んで感想文を各三枚といった具合。小学校時代とはうって変わった勉強ぶりをみたある父兄は、子供を猛烈君とよんだ。
頭の柔軟なうちにできるだけ知識を吸収させ、能力を極限まで伸ばすこと、その一方では、個性を伸ばし創造力を重視する点で池田の理念を反映しているといってよい。
終生の仕事
池田は私にこう語った 。
「私の終生の仕事は教育です。牧口初代会長も戸田前会長も教育者だった。私の仕事の総仕上げもやはりそこへきた。教育こそ一国、ひいては人類の命運を決する大事業です。生徒を生活で駄目にしてはいけない。いま百万円の育英資金を何千万円にもしたい。これが楽しみで働きます」
「一から百まで二十一世紀に送りこむ人材の育成、それが指導者です。高校生と懇談して、将来の指針を与えるのが最高の楽しみです。創価大学ができれば、八王子に引越ししたい」
もっとも四六時中、余人をもっては代えがたい池田の転居は学会の現状が許しそうにない 。