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ことばにするということ

表現手段いろいろ

表現する方法はことばに限らない。表現にはさまざまなかたちがある。わざわざことばで表現するのは、それなりのよさがあるからだ。
ことばにするということは、整理のひとつではないかと考える。
入ってくることも発することも、ことばに限らない。ことばにしがたいことのほうが多いかもしれない。にもかかわらず、ことばにすると、ひとつ片が付いた感じがするのは錯覚か。

ことばにする機会

もやもやすること、いらいらすること、ずしんときたこと、つらいこと、忘れたいこと、いまわしいこと、おそろしいこと、ことばにしたくないできないこと、いろいろあります。
ところがそういうことをあえてことばに当てはめて発してみる作業が意外と精神衛生上効果があるという。

NHKの「Shrink」というドラマで知った。アメリカには精神疾患の患者が日本の約3倍、4人に1人患者がいるが、自殺率は6位の日本よりずっと低い20位なんだとか。これってもしかしたらことばにする効果だったりして。
アメリカには精神科のクリニックがたくさんあって、失恋してもカウンセリングに行くほど身近な存在なんだそう。
もちろんそうした悩みごとを聞いてもらう相手の有無は大事だけれど、それ以前に、”ことばにする”行為が大事なのではないだろうか。

ところが日本では何でも気軽に相談する習慣がない。”口が堅い”とか”寡黙”といったむしろ発しないことを美徳に感じがちである。
そのせいでことばにする機会が圧倒的に少ない。だから込み入ったことをことばにする訓練が乏しいのではないだろうか、などと妄想が膨らんでいる。

ことばにする訓練

なんでもことばにすればいいというわけではない。”言わぬが花”ということもある。日本では”空気を読む”といったことを重視する傾向もあった。わざわざことばにせずとも”阿吽(あうん)の呼吸”を察知して配慮するエスパー的な人が”気が利く”と重宝された。
しかし時代も変わり、人も多様化し、だからこそわざわざことばで表現する機会が増えてきている気がする。誤解や間違いをとくには、とりあえずことばにするほかない。たとえエスパー的配慮を発揮するにせよ、何を発し、何を発しないかを選択するには、まずは思考をことばにしなければならない。

ことばにするということは、精神衛生上のバランスをとるだけでなく、世渡りする上で自身の身を守る強力なすべを手に入れることでもある。

ことばにする場数を踏む

生涯にあるかないかの会見で失敗する人は珍しくない。つい本音が出て取り返しがつかなくなることもしばしばある。あとから「ああすればよかった」「こうすべきだった」というのはいくらでも言える。他人事ならなおさらである。とっさに適切なことばを発信するのはそれぐらい困難なのだ。

日ごろから思っていることや考えていることをことばにする訓練をしていると、失言を減らす効果があると思う。
作文教室では同じできごとを何回書いてもいいことにしている。記憶があいまいになったり、逆にくわしく思い出すことがあったり、気になることがそのときどきで異なって、書くたびにまったくちがう作文になるのがふつうである。
書き続けていると、自身の癖や特徴がわかっておもしろい。思いがけない執着や気がかりを発見してしまうこともある。

作文は、書けば書くほどだれでも上達する。書けば書くほど個性的になる。それは長年作文教室にたずさわってきて確信したこと。
だから作文を習慣にして、ことばにする場数を増やしてほしい。




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おかし
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