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【新社長登場】アトリオン製菓株式会 代表取締役社長 山下奉丈 氏

 今年5月に総合商社丸紅㈱が、㈱明治の子会社の明治産業㈱の全株式と商標権を取得し、6月19日に社名をアトリオン製菓と改めてスタートした。社名の由来は星の名前で、その星言葉は「大局観ある時代感覚」。恒久に輝き続ける菓子メーカーを目指すというものである。社長に就任した山下奉丈氏は1984年11月生まれの38歳。商社マンからお菓子メーカーの社長に就任した山下氏の、これまでの歩みと、新会社の社長として取り組むテーマを語って頂く。

アトリオン製菓社長・山下奉丈(ヤマシタ トモタケ)氏 ★プロフィール★1984年11月26日生まれ(38歳)。出生地は東京。その後、商社マンの父の転勤に伴い福岡県へ転居。小学校の1年生時に神奈川県鎌倉市に転居。2007年3月、慶應義塾大学総合政策学部卒業。同年4月、丸紅㈱入社後、5月に大阪食料部食料第一課に配属。2012年4月、東京に戻り食品流通・原料部油脂・小麦粉・砂糖類課。2018年、食品事業部食品課。2020年4月、食品事業部事業開発課長に昇進。2023年5月、明治産業㈱代表取締役社長を経て、6月19日に社名変更したアトリオン製菓㈱代表取締役社長に就任

  「私のミッションは明確です。商社の丸紅がモノ作りに関わっていきたい、との願いから設けられた食品事業部の事業開発課を任された時から始まっています」と、柔らかく落ち着いたトーンで山下奉丈社長は語る。いわゆるビジネスエリートにありがちな、横文字乱用とは無縁の話ぶりは明快で、達意平明そのものである。

 「メーカー業を始める、との目的で創設された事業開発課の課長を任されていました。国内の食品メーカーでM&Aできる所を探し、実行する部隊です」

 明治産業の買収は、丸紅としての第1号事例。山下社長は自ら手掛けた会社の社長に抜擢された後、家族ぐるみで長野に移住した。つまり、本腰を入れて、社長に就任したのである。

 社長に就任して目下のテーマは「アトリオン製菓としての“独り立ち”です」と、きっぱり。長らく明治グループの一員として活動してきた明治産業を、自立したメーカーに変えていく。

 「国内最大手の明治さんの下に長くあったことの良い点は、大手の管理基準である“明治スタンダード”がいたるところに注入され、徹底されていること。半面で、明治グループからの自立で、そのリソースが使えなくなった点は問題ですね」

 5月10日の社長就任以来、手がけて来たことは“独り立ち”のための手続きだった。

初代社長は商社マン

 「例えば、明治さんから引き継がせて頂いたブランドを、自前で配送しなければなりません。以前は明治さんの下請けで製造してきたので、できた製品を明治さんの配送トラックに積み込めば、仕事は完了していました。独立した後は、その配送ネットワークから、作らなくてはなりませんでした」と、振り返る。

 さらにはIT回り。明治のシステムが使えないので、中身を入れ替え新たに構築した。配送や販売も自前。やることは山ほどあり多岐にわたる。その中で、喫緊の課題を順次こなしてきたという。

 「配送に関しては、丸紅のロジスティック関係の会社と連携して、ネットワークを作りました。今後は、明治さんから引き継いだ『ヨーグレット』『ハイレモン』など、知名度のあるNB製品を、アトリオンとして全国に配送し、どう育てていくのかです。販売についても、新たな戦略を立て、営業活動をしていくのですが、そのためのスタッフの拡充も必要ですね」

 ベースはあるとはいいながら、新会社のスタートは、そう容易なことではない。まして、会社経営は未知の領域。しかし、山下社長の言葉には淀みがなく、戸惑いを微塵も感じさせない。若さの気負いもない自然体で、成熟したゆとりすら感じさせる。それは山下社長生来のキャラクターであり、「三方良し」の利益三分主義で知られる近江商人をルーツとする、丸紅の社是「正新和」の下、ハードな仕事で彫琢されたものなのだろう。

 「実は、私の父も商社マンでして、学生の頃からその背中を見ながら、自分で“仕事を作っていく”プロセスが味わえる商社の仕事に、ボンヤリとですが、面白さを感じていました。何をさせられるのか分からない、というところに面白味を感じていました」

 慶應義塾大学の総合政策学部で、法律、経済、政治など全般を履修してきた。この学部の教育目標は〝総合的〟に物事を捉え、多角度から問題解決できる人材を育てる、というものらしい。

 「いわゆるオールマイティな学部です。丸紅の採用が決まった当時は、ボンヤリと何が起こるのか分からないことが〝楽しみだ〟と言っていましたが、入社早々の5月2日に、大阪赴任をいい渡された時は、さすがにビックリしました」 



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