見出し画像

大坪製菓 動物の焼き印でイノベーション‼ 佐賀の銘菓が全国区に

 ふんわりしっとりした食感と、ほんのりした優しい甘さ。洋菓子のようであり、和菓子のようでもある『丸ぼうろ』は、佐賀の銘菓であり、この地方のソウルフード的存在である。その『丸ぼうろ』が今、大坪製菓の『ふわふわどうぶつボーロ』をきっかけに全国区へと広がろうとしている。地域に根差した銘菓が、いかにして販路を拡大してきたのか。誕生のいきさつから現在に至る曲折を、代表取締役社長の大坪恵介氏に聞いた。

大坪恵介(おおつぼ・けいすけ)氏 プロフィール  1958年6月8日、大坪製菓2代目大坪五郎の次男として佐賀市に生まれる。1977年3月、佐賀県立佐賀東高校卒業。1980年4月、父大坪五郎死去のため大学を中退して帰郷、大坪製菓入社。1997年3月、代表取締役に就任、現在に至る。

 長崎と小倉を結ぶ全長約228㎞の長崎街道は、「シュガーロード」といわれる。中国から遣唐使によってもたらされたとされる砂糖と、室町時代末頃にポルトガルからもたらされたとされるカステラや金平糖などの南蛮菓子が合流したことで、「シュガーロード」沿いの地域には独特の食文化が育まれた。その歴史的背景から、2020年6月には日本遺産に認定されている。

 「シュガーロード」のほぼ真ん中に位置する佐賀県は、森永製菓創業者の森永太一郎氏と、江崎グリコ創業者の江崎利一氏の出身地でもある。日本を代表するお菓子メーカー2社がこの地で育った人から生まれたのは、偶然ではないだろう。

 その佐賀県には、『丸ぼうろ』という「シュガーロード」を代表する銘菓がある。ポルトガル語で菓子を意味するボーロが語源のこのお菓子は、小麦と砂糖、卵を原料とする素朴なカステラといった趣だが、江戸時代には藩や寺院に納められ、今日にいたるまで冠婚葬祭にも用いられてきた。佐賀のソウルフード的存在である。

 その『丸ぼうろ』が今、佐賀のソウルフードから全国区のお菓子へと認知を広げようとしている。その市場を切り開いたのが大坪製菓だ。

 同社は1905年に創業した老舗で、第二次大戦中に休業していた時期はあったものの、当初から『丸ぼうろ』を中心に製造販売を手掛けてきた。商圏は九州中心だったが、ここ10年ほどで全国への出荷量が増加。現在はパルシステムやUコープのほか、東急ストアや小田急OX、OKストアなど、関東圏のSMに定番品として並ぶようになった。

 子どもの小腹満たしとして

 その発端となったのが、「1980年代後半の日本生活協同組合連合会(以下生協)との取り組み」だと、大坪社長はいう。今から30年ほど前の話である。

 九州の生協と同じグループだったコープ東京を交えたPB品開発で、当初はプレーンの『丸ぼうろ』を販売。その後、福岡の組合員が工場見学に来た際に、「『丸ぼうろ』は子どもに与えるのに非常にいいお菓子だ」という話が出た。おやつはもちろんのこと、夕食前の小腹満たしや、塾に行く子に持たせるなど、『丸ぼうろ』はさまざまなスタイルで子どもたちに食されていたことがわかった。

 それまでの『丸ぼうろ』といえば、冠婚葬祭にも使われたとはいえ、どちらかというと地味で高齢者向けのお菓子という位置づけで、このままではいずれ売れなくなるかもしれないという危機感があったと、大坪社長は当時を振り返る。

 「現在は再発見されるかたちで復調しているみたいですが、当時『チャイナマーブル』『金平糖』を作っていた飴屋さんが九州にあって、その社長が『うちなんかあと20年くらいしたらなくなるよ』って言ってたんですよね。高齢者にしか売れないから続かないだろうって。そう言われてみると、『丸ぼうろ』も一緒じゃないかと思ったんです」

 そんな折り、前出の福岡の組合員の話を聞いた大坪社長は閃いた。これまでの『丸ぼうろ』は、子どもだけに向けて売られた例がない。

 そこで担当者に子ども向けの『丸ぼうろ』をつくりませんかと提案した。その際、子どもが喜ぶのは何かと大坪社長が考え抜いて開発したのが、動物の焼き印をした『丸ぼうろ』だった。
8種類じゃ足りない!

 動物の焼き印をすることは決まったものの、どうやって動物を表現するのか。大坪社長はさまざまなアイディアを参考にした。大先輩として、動物を模したビスケットがある。それをよくよくみてみると、比較的単純な線で表現されていることがわかった。

 それをヒントに町に出た。書店を巡るうちに動物の形状を表現した「組み木」の本と出合った。木製の素材を使って線で動物を表現する遊びである。まさに大坪社長が求めていたものだった。早速その本を購入し、デザイナーに渡した。

動物の形状を表現した「組み木」の本

 「この本をモチーフに何種類かの動物のサンプルを提案しました。当初は8種類の動物をつくればいいと思っていましたが、生協側に『それじゃ少なすぎる』と言われました。『子どもはすぐ飽きる。たべっ子どうぶつは何種類あると思っているんだ!』って怒られました」と、大坪社長はにこにこしながら照れ臭そうに笑う。

 ちなみにこの8種類という数字は、大坪製菓の生産ラインの都合によるものだった。焼き上がってくる並びが8列だからである。

 そこでこれまで懇意にしてきた機械メーカーに相談し、設備投資を決めた。最初は24種類(8列×3)まで拡大し、その後27種類(9列×3)に増やして現在に至る。焼き印は、機械メーカーが得意とするどら焼き機用のものを応用した。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?