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【業界のアテナたち】株式会社栗山米菓 営業本部関東第一営業部 駒形祐子部長

男社会の「壁」を突破‼ 初の女性セールス

 関東のある問屋の社長から「栗山さんには女性のセールスが多いよ」と聞いたことが、今回の取材のスタートになった。

 栗山米菓には、関東圏の営業を担う二つの営業部がある。その第一営業部の駒形祐子部長は、得意先では“親方”とか“宴会部長”と呼ばれ、親しまれているらしい。

 愛称から抱いた記者の先入観とは程遠く、駒形さんは小柄で、可愛らしく、キビキビした女性だった。入社して14年を迎える。その間に結婚し4年が経つが、猫をかぶって「入社2年目です」と、いわれたら真に受けそうである。

 インタビューの受け答えは軽やかでスピーディだ。営業で磨いたスキルだろう。当方の質問には、先ず「確かに…」と、柔らかく受けてから、答えはじめる。笑顔とその間が、なんとも心地よい。

 入社の動機は「関東で地元(新潟)に貢献できる仕事がしたい」と考えていたからだという。2008年の4名の採用のうち3名が女性で、その中のひとりだった。

 駒形さんが入社したこの年は、栗山米菓がセールスに女性を本格的に採用した元年である。「営業に出たての頃は、他社でも女性はほとんど見かけなかった」ので、珍しさがプラスにもなったが、半面では、まだまだ男社会の名残りがあった当時、“女性”ゆえの試練も経験してきた。

運命の「糸」

 大学を卒業し、駆け出しセールスとして、先輩とともに地場のスーパーなどを回った。営業職の採用だったが「当初は特に好き」というわけではなかった。バブル崩壊後に続いた就職氷河期世代だが、入社した2008年の景気はさほど悪くはなく、就職先の選択肢は幾つもあったという。

 「当時の私には、お菓子業界に対する特別な思いは特になく、メーカー志望で幾つもの会社を訪問しました。ただ漠然と地元に貢献できる活動がしたいという気持ちと、卒業後の社会人生活は関東で、という願いだけはありました」

 その駒形さんを引き付けたのは看板製品の『ばかうけ』だった。

 「米菓はお菓子の中でも、地味なイメージでしたが(笑)、これは知ってるよ」と、応募へと肩を押された。今でもチョコパイやビスケットなど、甘いお菓子好きだが『星たべよ』は、小さなころから食べてきたお気に入りであった。

 「応募前にホームページを見ていたら、その『星たべよ』の発売が私の生まれた年と同じだ!」と知り、強い“縁”を感じた。その縁が入社へと導いてくれたようだ。

 春4月、晴れて社会人生活がスタートしたが、学生の頃にテレビのドラマなどを観て、抱いていた「カイシャ」や「オシゴト」と、現実とのギャップの洗礼を受ける。配属先の大宮は、オジサマを含め男性ばかり。緊張し、戸惑う若い女性社員と、どう扱ってよいのか分からない男性陣。戸惑いの微妙な空気のなかで、駒形さんの社会人の日々が始まった。

これ、ヤバいかも

 ショックを受けることはたびたびあって、例えばトイレが当初は共用だった。

 「テレビのなかのOLさん達の世界とは違うんだなァ…正直、最初は、これヤバいかも! って思いました(笑)。先輩について商談に行っても、順番は食品メーカーさんの後の後みたいな扱いだったり、交渉も“値段”中心で、商品特性やメーカーの思いも通りにくい」という現場で、もどかしい思いを体験した。

 お菓子の価格は安い。数字で割りだす利益は僅かなものだ。その薄い利益をめぐっての営業の攻防である。武器は電卓。素早く数字を弾きだし、切り返す。

 「それが癖になって、いつでも電卓を持っていますね。気づいたら、ホラッ」と、電卓をかざす笑顔がかわいい。しかし、新人時代の攻防の場では、その笑顔も役に立たなかったようだ。

 「業界でもあの頃は、女性の営業がほとんどいなかったので、お客様のなかには“女の子はイヤだ”とか“担当替えてくれ”なんていわれたこともありましたよ」と、笑顔で語るが、面と向かってお前じゃ話にならないと、露骨にいい放たれたこともあった。ムカついたでしょう? と問うと、

 「若いし、知識もないから仕方ないかァ…反発というよりは、フツーに凹みましたね。同期に男性もいたし、営業という仕事は男性の方が向いているのかなァと、悩んだこともありました」けれどと、応じる笑顔には余裕がある。

 結構、芯は太そうで、そこがニックネーム“親方”の由来かもしれない。きゃしゃな駒形さんだが、中学生時代は、女子柔道界のレジェンド谷亮子(旧姓・田村)に憧れ、柔道部で頑張った過去もあるという。

荒っぽい言葉を浴びつつも、やがて先輩のアドバイスを得て、駒形流の頑張りで難局を突破してゆくのである。 


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