こんなおかあさんでいてほしいと思う我が子の願い
水曜日。
子どもたちが学校へ行った後、ホワイトボードを見るとまたイラストが。
昨日、おかあさんはこうある『べき』というものはないと思って書いた。
でも、子どもたちの私に対する希望や要望は、話しをする中で聞いて感じ取っていきたいと思う。
『べき』までの強い要望は言わないまでも、こんなおかあさんでいてほしいというような願いみたいなものは、きっとある。
もちろん全てを叶えることはできないし、おかあさんはおかあさんの人生を生きているだけで忙しく、子どもの要望までイチイチ聞いてはいられないという意見もあるかな・・・。
そんなことを考える時に思い出すのは、子ども・学生の頃に親との関係に悩んでいた友人たちの話し。
聞く度
どうして家族なのに親子なのに、気持ちを通わせるような会話ができないのだろうと思っていた。
私には「もっとお父さんにこうしてほしい!」「お母さんにこうしてほしい!」と言えるのに。
「本人には言えないの?」と聞くと、言えない・言いたくない・言っても無駄と返ってくる。代わりに言ってあげたいくらいだった。
単純に言うと
自分のことを見ていてほしいし、話しを聞いてほしいし、好きでいてほしいし、認めてほしいし、笑顔を向けてほしい。私や僕のおかあさんでいれてよかったなと思う生活を送ってほしいということ。
娘と息子もきっと同じことを願っている。
家事や仕事や容姿など・・・細かいことも色々とあると思うけれど、根本にある要望を時折でも自分でハッと気付いていきたい。
イラストを見つめて、「うん、今日もおかあさんでいれてよかったと思える生活を送るよ。」そう思った。