子育てに思うこと。(拗らせ編)
お子さんがいらっしゃる方なら大半の人が通る道であろう『反抗期』私にとってこれは最早、戦以外の何ものでもなかった。
わたしはとにかく必死でした。何に必死だったかと言うと、全ては「子どもの為」、子ども達より長く生きてる側から言わせてもらうと絶対に「こっち」の方が良いわけです。
でも、子どもは100パーセント「あっち」を選択してしまう。そこで親は「こっち」の良さを一生懸命説明する。結果、押せば押すほど子どもは「あっち」へ行こうとする。それを止めようとする親、親への不満を正面からぶつけて来る子ども。これが大なり小なり四人分、次から次へとやって来ました。地獄絵図とはまさにこの事です。
この間、自分の思春期の頃に思いを馳せてみたり、押してもダメなら引いてみなで、頑張って引いてみたりとあっという間に日が過ぎていきました。
子ども達も拗れに拗れていたけれど、わたしも相当拗れていたと思います。
例えば、子どもに反抗されている時に「わたしだってもっと親に反抗したかったよ!」と何処から訳の分からない怒りが込み上げてきたり、「こんなに頑張ってるのに」と腹がたったり、今頃になって親に電話して当時の不満をぶちまけたり。(どうぞ皆さん笑ってやって下さい)
全てがこんな調子で、暗ーい闇を抱え、病みきっていました。
わたしも子どもたちと同じように、自分の親に(特に母親)対し「親の育て方が悪かったんだ」と、上手くいかない事を『誰か』のせいにし、第三の反抗期を迎えていたんだと思います。
幸いな事に、子どもと接するうちに、その事に気付き、「わたしも子ども逹も一緒だな」と言う考えに至り、少しづつ変われたと思います。
あの苦しい時期を通して、最近になって思うことは、自分のあの頃の消化しきれなかった反抗心を、見事子供たちが引き出してくれて昇華させてくれたと言うこと。
ぐちゃぐちゃに絡んでいた糸が、ある時期からゆるゆると解けはじめ最近ではお母さんにも随分と優しくしてくれる様になりました。そんな子ども達も24歳の長男を筆頭にいちばん下は大学一年、あっという間だったなぁ。
嬉しい反面、うっすらと寂しさも感じている最近です。
タイトルの写真は子ども達が小さい頃、よく行っていた、不二家のペコちゃんです。
おわり
最後まで読んでくださりありがとうございますヽ(´▽`)/
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