アメドラ「glee」と痛みのツボ
痛みのツボは人それぞれでも
海外TVドラマが好きだ。(といっても、見るのはアメリカやヨーロッパのもので、しかも最新のものではないのです)
好きなドラマシリーズはいくつかあるが、その一つは「glee」。
「glee」は2009年~2015年までアメリカで放送されていた大ヒットドラマ。
とっても簡単に説明すると。
高校のgleeクラブに集まったスクールカースト底辺の生徒たちが、様々な問題や、葛藤をのりこえて、gleeコンテスト優勝を目指して活動していく話。
ちなみに、「glee」は「合唱」と訳すようだが、ドラマの中では、単なる合唱ではなく、歌って踊る、ハイレベルなショーとして、作り込まれている。
時代を超えたたくさんの名曲が素晴らしいクオリティで披露され、それだけを単独でみても、満足できる。(オーディションを勝ち抜いたミュージシャンやミュージカル俳優が出ているので、納得だが)
castそのままでやった2011年のコンサートツアーは、米国、カナダ、アイルランドの4カ国、21都市、44日間にわたって39公演で72万人を動員。チケットは即SOLD OUTというのだから、その人気が想像できるだろう。
ドラマには、いじめ、宗教、人種差別、障碍者差別や、性的マイノリティの問題などが、常にドラマの根底に流れていて、日本のドラマとは別物に見えた。
多種多様(人種、文化、立場など)な人々の心を掴む作品を作るために目指す方向性が日本とは違うのだろう。(ルールもあるし、作り手だって多種多様)。
さて、そんな「glee」のなかで、印象に残った場面は、たくさんあるが、その一つが、
glee シーズン3 第14話 「それぞれの転機」(On My Way)だ。
アメフト部で、いじめっ子だった男子生徒は実はゲイで(glee部のゲイの男子をひどくイジメていたのは、恋心と自分への憤りもあった模様)、それが周りに知られることとなり、絶望した彼は自殺を図る。
命はとりとめたが、先生たちは、どのようにこれを生徒たちに伝えればいいのか悩み、また事実を知ったグリー部の生徒たちも自分にできることはなかったかと悩む。
グリー部の顧問で、いつでも子供たちに親身、真剣に接し続けていたシュー先生も、ショックを隠し切れず、「自殺するほどだったのか?」という空気もある生徒たちに語る。
いわく。(以下大まかです)
自分は高校生の時、自殺を図ろうとしたことがある。
テストでカンニングをして、それがバレて、親が呼び出された時だ。
親を失望させた自分に失望して、気が付いたら屋上の端に立っていた。と。
そこで、生徒から、「カンニングぐらいで?!」と驚きの声が上がる。
そしてシュー先生は続ける。
だれにでも、これだけは耐えられないという何かがあるはずだ。
それは、一人一人違うかもしれない。
でも、屋上の端に自分を立たせるような「何か」が、誰にでもあるのだ。と。
(But there's something...
everyone has something that might take them up to that edge.)
その後、先生からそんなときは、こう考えて欲しい、と真剣なアドバイスが続くのだが、ここは省く。
わたしは、はっとした。
「そうか! その人の切実な痛みは、同じことを体験したときの自分の痛みと比べるんじゃなく、自分にとっての切実な痛みと比べるべきなんだ」と。
なんというかストンと落ちてきて、いいことを教えて貰ったなあ。
これを忘れたくないなと思ったのである。
(最近聞く「エンパシー」に通じると思う)。
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