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真夜中ネガティブ思考に光を射す、アメドラ「THIS IS US」の珠玉場面


9月に入って慌ただしく過ごしていた。
加えて、いつまでも続く暑さに一日のパワーの多くを持っていかれ…。

夏の旅行(「織田信長を訪ねる猛暑京都旅」や「横浜夜景満喫旅」)のことなど、書きたいことを残したまま今日になってしまった。
ということで久しぶりの記事。長め…。


ここ数年、夜中にふと目が覚め、眠りに戻れず苦しくなる時がある。


夜中に「ふと」の「きっかけ」が、その時見ていた夢、…良くない内容だったり、気がかり事項に関係している…のせいもあるだろう。



先日は、季節の変わり目の気温変化で鼻炎気味の鼻の詰まりもあり、ほんっとに息苦しかった。

それに加えて更年期のせいなのか、身体全体から汗が滲んでくるような暑さまで襲ってきた。

ひ~。


そんなさ中、浮かんできたことの中に、「死ぬのがコワイ」というのがあった。

日中に考えることはまずないトピックスだが、夜中起きのパターンでは、時々ある。

「夜」の為せる業なのだろう。
暗い思考が、暗闇と同化してどこまでも広がっていける勢力になるのか。
視覚情報が無い分、気がまぎれるものがなく、思考が重く石のように動かしがたくなるのか。
なにか理屈があれば、教えて欲しい…。

とにかくそのとき思ったこと。

自分がいなくなるのがコワイ。
死ぬ瞬間がコワイ。

こういう漠然とした思いがぐわーと大きくなるのは、中途半端な覚醒状態のせいもあるのだろう…。



思春期みたい。

だけど、年を取ると少し違う角度からそれも思う。


今この瞬間にも、それをごく近くに感じながら、苦しく生きているひとが大勢いるであろうことも、その姿を間近にみている人がいることも想像できるから。


一方でやっぱり、答えの出ない、

なにもかもなくなるのはどういうことなんだろう

という問いかけも浮かんでくる。


思いついたのが、お菓子を作るときに小麦粉などをふるう道具「ふるい」。

その網の上でしっかり存在していたもの(自分)が、突然バラバラ、サラサラになって下に全て落ちていくという感じ。

そうやって「自分」がなくなっていくのかなと想像してみる。


THIS IS US」(2016~2022。シーズン6で終了)というアメドラは、一編一編を大事に見続けたドラマだった。

珠玉の名台詞、名場面は、一回きり、一瞬で流してしまうのがもったいないほど胸に染みた。



内容をザックリ言うと、同年同日生まれの三人の兄弟(三つ子だったが、一人死産だったので白人男女二人+同じ日に捨て子として病院にやってきて養子になった黒人男子一人)を中心として、その家族や周りの人々の人生の悲喜を長いスパン(三世代に渡る)で描いた群像ドラマだ。

どんな人の人生にも寄り添えるのではないかと思える名作だった。



時系列がつぎはぎになっていて、視聴者に「結果」だけが知らされ、その後に「どうして」を解き明かすエピソードが散りばめられた構成も凝っていた。


そのシーズン1-5話 で、小学生くらいの姪っ子に三つ子の一人である男性が「死んだらどうなるか」と、聞かれる。

彼はどう答えることができるか、戸惑いながらも思いを巡らせた後、自分の描いた絵を見せる。

それは、様々な色がごちゃごちゃと描かれながらも、美しく見えるものだった。

それを見せながら、彼は言う。(わたしの解釈的部分もあり)

人生は様々な彩りに満ちている。
この絵の中には、世代を超えて命を繋げてきたひとたちがぞれぞれ残した色がある。
おじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの、そのまた…というすべての人々の残した色だ。

そして、こうも思う。
この絵の中には亡くなった人と共に、生まれる前の人もいるのではないか。
そして、自分もまたこの絵の中にいる、と。

愛する人がなくなった時、その姿が無くても、会話ができなくなっても、消え失せたわけではない。
彼らはみんなこの絵の中にいる。

「死」はそこにはない。
はじまりも終わりもないそこには、「あなた」や、「わたし」、「彼ら」はなく、「わたしたち」だけがある。

一人一人が自由でありながら、共にいて、みんなで鮮やかな美しい一枚の絵を作り上げているんだ。
「わたしたち」として。

There's no dying.
There's no you or me or them.
It's just us.

And this... sloppy... wild, colorful, magical thing that has no beginning, it has no end... this right here...

I think it's us.


ユングの「集合的無意識」を思い出したが、こういう考え方も素敵だなあと思う。


娘が生まれて、こんなにも尽きない娘への気持ちが、たとえば、自分が死んだとして消えてなくなるなんてありえないと何度も思った。
理屈でなく。

自分で感じられなくても存在するものはある。(電磁波、分子など)


だから、いろんなひとの誰かへの強い思いはどんなかたちかわからないけど、残り続けているのじゃないかと。
(ネガティブな思いは消えて欲しいけどさ…)



「死」の考え方と宗教は密接していると思うので、日本人にはなじみのない発想に、海外ドラマで触れることも多い。

自分より大きな存在に委ねるということが、安らぎにつながる一筋の道としてありうることを海外ドラマから知るのだった。



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