眠れないと世界で一人みたいになる・1
小6 移動教室の夜に
昭和の時代。
わたしの小学校六年生の移動教室の思い出は、眠れなかったことだ。
決して旅先だからということではなく、常日頃から寝つきが悪い子供だった。だから、事態の予想はしていた。
今の小学生で、「眠れない時には羊を数える」の意味が分かる子はいるのだろうか。
わたしは、よく数えた。
その当時は、入眠するための方法としてよく言われることだったのだ。
じゃあそれで眠れたかと言われると、眠れてない(と思う)。
というか、あれって本当に効果あるのかなあ。あれで眠れるなら、なにもやらなくても眠れそうに思う。
移動教室の夜、10人程度はいた同室のクラスメートは、わたしを残し、夢の国という別の世界の住人となった。
隣にいるのに、ここにはいない感じ。
「ずっと話してようね」(→眠れるものなら眠りたいです)とか、「(友達が)寝そうになったら起こして良いからね」(→その前提が羨ましい)とか、言っていたはずなのに。
手を繋いで寝ようなどと言われ、ちょい面倒ながらも繋いでいた友達の手から力が抜けていく…。ああ、置いていかないで(泣)~。
そこかしこであったおしゃべりの声が徐々に消え寝息に変わり、孤独がひたひたとわたしに迫りくる。
今も覚えている。
全員が寝てしまった、でもわたしはますます眠れそうもないと絶望したあとに、近くで寝ていたクラスメートが、突然むくりと起き上がるかのような動作を見せた。
(え?! まだ起きてる子いたの(嬉))
と、湧き上がる喜びのまま声をかけた。
「〇ちゃん、起きてるの?」と。
シーーーーーーーン。
返事ナッシング。
そのまますぐに横になり、終了。
わたしの発した言葉は、暗闇で行き場のないままわたしの孤独と共に漂うだけだった。
その後もわたしが願えば願うほど、眠りは遠ざかって行った(よくあるパターン)。
このまま朝になったらどうしよう、今この宿舎で起きているのは私一人に違いないと不安も最高潮だった頃、部屋のドアが静かに開いた。
2(完結)へ続く↓
小学生なのにわりとドロドロと考えていたわたしの話↓
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