碧髪のスティグマ
2021/Jun/16 19:30 初版
2021/Jun/28 1:30 更新
2021/Jul/8 12:30 更新
叡王戦の主催が変わったことで、その存続が危ぶまれていた「見届け人」制度が残った。
全世界を暗く冷たさの滲む厚い雲で覆われている現状の影響は避けようもなく、転職やらなんやらと事情が重なり参加も難しいかなぁと思いつつ、制度が残ったという事実に安堵し、当選された方を画面越しに羨む日々を過ごしていた。
そんな忙しい日々もほんの少し落ち着いてきた5月末。
第5期の際に「見届け人はいいぞ!」と叫び、勧めに勧めまくった見届け人貯金。自分も当然していたわけで、このまま使いどころを失ったままなのもどうなんだ、と一念発起し、その時点で募集がかかっている全対局に手をかける。
毎度毎度本当に頭空っぽなアホが一人。
また、抽選結果を待つ日が始まる。
待つ
おそらくこれが一番つらい。知らんけど。
当選すればなんやかんやあるが最後は覚悟を決めて臨むだけだし、落選すれば当選された方がいい時間を過ごせるようにと思うだけなのだ。
一番つらい、といいながらも、当落の連絡のことなど忘れてしまうのだから、じつは大したことないかもしれないな、とも思ったり、なんとも適当な人生だ。
突然に
そんな大事な(?)ことをすっかり忘れてしまって過ごす毎日の自炊した後の洗い物をしていたひととき。
普段は決して鳴らない携帯電話が鳴った。
いや、違う。
あまりにかかってくることがない携帯電話の着信音を認識できず、部屋のどこから聞こえてくる機械音は何なのかと考えていた。
ふと気づく。
これは携帯電話の着信音だ!
だが、手は泡だらけ。
慌てて手をふく。
どこにあるかも覚えていない、音だけ聞こえてくる携帯電話。
普段かけてくる人がいないものだから、誰やねんな、と小さく悪態をつきながら、音を頼りになんとか探し出し、見たことない発信元だが、この番号を知っているのはごく限られた人のはずだと、とりあえず出る。
「日本将棋連盟の...」
は?
「はい、はい。え?はい。あー、はい。はい。大丈夫です。はい。よろしくお願いします。失礼します。」
プー、プー、プー
そうでした、そうでした。応募していました。ハハハ。
当選した旨の連絡だった。マジかよ。
この瞬間、来る日に胸を躍らせる生活に変わった。
見届け人
この肩書?名称?をひっさげるのはなんてもう7度目になる。
いやぁ、本当に性懲りもなくやってるねぇ。
当選しました放送でもやるかとニコ生の準備をする。
普段は、あぁでもない、こぉでもない、などと見知らぬおっさんがボソボソつぶやきながら、ビール片手にグダグダとマイクラやりながら、ときどきひとり勝手に暴走して大爆笑しているだけの放送だ。
それでも将棋の民はやってくる。やってきてくれる。
「当選しました」と報告をすると、おめでとうもそこそこに、今までと変わらぬ無責任なアレやろうコレやろうとネタを放り込んでくる。笑いの沸点が極めて低い放送なので、くだらねぇだの、できるわけねぇだの、コメント炎上するやろがい!だの、とまったく中身のない話を延々しながら、ただゲラゲラ笑って過ごし、画面の向こうでお会いしましょうと笑顔で終えるその瞬間をまたこうして迎えられたのはやはり感慨深い。
碧髪のスティグマ
だが、これまでと違う、計り知れなく大きく違うことがひとつ。
碧い髪
息子もハタチを過ぎ、勝手気ままに拍車がかかって能天気にも昔染めてたなぁ、と思い返しながらセルフカラーするか、などと思い立つ。
すいません。嘘つきました。
美容院への予約の電話ができない。電話をかけるのがとことん苦手なだけだ。
仕方ない、自分でカットしよう。斜め上?ねじれの位置の解決策をとる。
それだけにとどまらず、ついでに染めるか、とか頭のネジが緩いにも程がある。
こうしておよそ2週間かけて出来上がったのは碧髪のおっさん。
自分では普段見えんしな、と謎の気持ちとダメなら丸坊主でええがな、というよくわからない覚悟とか、いったい。電話かけるほうがよほど楽なのでは?人生の生き方が適当すぎる。
見届け人応募よりも前の話だし、サラリーマン生活には何も問題ないし、もう今更どうにもならんし、画面の向こうが炎上しないでくれ、くらいなものだ。
将棋会館 again
案外と小心者でビビりにビビった私は事前に髪が碧いのですが、と確認していた。
「問題ないですよ。」
... そ、そうかい?ホンマに?だ、だ、だいじょうぶなのかい?
もうなるようになれ、と身支度を整え、幾月ぶりかの将棋会館へ。
職員の方が待っていてくれたのだが、一目で分かっただろう、さわやかな笑顔とともに挨拶を交わす。
そりゃ分かるよな。髪の色で。
なんてくだらないことを思いながら会館の中へ...
出会いは突然に
職員の方の案内で会館に入ったところで、ふと目に入る。
将棋連盟佐藤会長、その方が今私の目の前にいる。
いや、待て。おかんよ。今一度記憶を呼びさませ。
佐藤会長は今日聖火ランナーだったはずでは?場所は京都だったはずでは?なぜ今遠く離れたこの地に?
そんなことが頭からポロポロこぼれくる中、挨拶を交わし、写真をとっていただき、タクシーに乗り込み京都に向かう。
連盟会長として、棋士として、忙しいはずの日常の中、京都への移動があるにも関わらず、わざわざ時間を割いて対応していただけたのは見届け人として最高ではないか。
京都へ向かう会長を見送り、会館へ入っていく...
出会いは突然に Part.2
今期はアテンドとして棋士・女流棋士の先生方もついてくださり、解説等々を聞く機会があるとのことなので控室がこれまでとは違う階だった。
案内されるままに進む。ここが控室か、と入る直前、ふと目に入る。
「あ、飯島先生。」
竜王戦の観戦記を担当するとのことで会館に来られていたようで、記者室におられたところを思わず声をかけてしまった。
咄嗟のことでマスクもしている。たった一度お会いしただけだ。
なによりもこの想像できない髪の色でもある。
「ひょうがらのおかんです。その節はありがとうございました。」
インパクトある名前で呼び起こされる記憶から、また見届け人応募しちゃいました、等々とあいさつをさせていただいた。すごくないですか?
はぁ、朝から一気にいろんなことが起きて抱えきれない。
荷物を控室に置き、まだ見ぬシャトーアメーバへと向かった...
見届け人として対局室へ
将棋会館からそう遠くない位置にあるシャトーアメーバ。
見届け人としての最初の仕事が待っている。
スタジオの様子、段取りの確認を終え、その瞬間を待つ。
あの緑のAbema水のボトルを手にいくばくかの緊張と、高まる期待と、粗相がないようにとの思いが錯綜する中、スタジオに入る。
画面の向こうだったあの場所に今自分が座っている。
「本番、1分前です。お願いします。」
Abemaのスタッフさんの声が、緊張感ただよう静かなその空間を満たす。
時計を見ることもない。時間感覚もなくなってしまった。
と、そこへ。
「振り駒です。」
ビクッ!!!!
唐突だった。あまりのことに動揺を隠せない。
我ながら驚愕するにもほどがある。ほんのわずかだが、たしかに、その瞬間私の心臓はピタリと鼓動を止めた。
粗相がないように、とかそんなもんじゃねぇ。
吹き出すアドレナリン。
死ぬかと思った。
もう、なんもかもパーーーーンと飛んで頭真っ白である。
前期は振り駒をできるという権利があったので、その段取りを頭で反芻しながらだった。それが今期はない。静まり返ったその空間を割く一声に死を覚悟せんばかりの動揺。
もはや目の前の景色は燃え尽きた矢吹ジョーばりのモノトーン化する。
心をなんとかかんとか落ち着かせ、もう一度自分を取り戻す。
対局開始の挨拶とともに一礼を行う。
数手ののち、対局室を後にする。
あの時間、あの瞬間、こんなことが待っていようとは夢にも思わなかった。
見届け人
対局開始を見届ける役目を終えた後、改めて将棋会館に戻る。
今日一日アテンドとしてお世話になる井出五段、貞升女流二段が待ってくださっていた。
井出先生とは初対面、貞升先生とは初めての見届け人の際、聞き手をしてくださって以来。
局面の解説を聞いたりする中で、澤田七段は先手番でも千日手にするのでもしかしたら千日手になるかもしれませんよ、と軽い話も出たりする。
以前のスタジオ跡地を見たときは、また違う感慨深さがあった。
もうあの日は見た景色はないのだ、と。
将棋会館を案内していただいている間もなんとなく視線を感じたのは決して気のせいではないだろう。変な髪の色のやつがなんでここに。。。私もそう思うに違いないからだ。
昼食の時間になり、画面の向こうで棋士・女流棋士の先生方が見ているあのメニューが今私の目の前にある。
写真とるの忘れたなぁ。。。頼んだものはとったのに。。。
などと思いながら、昼食休憩明け。
将棋会館周辺の散策。
鳩森八幡神社の説明画面がパッチパネルの液晶だったのが、内容はそこそこに画面の上下左右をのぞき込み、どこからケーブルが伸びてるのか確認したがるし、英語メニューがあったので英語だとどういう訳になるのか、画面構成はどうなるのだ、どの方向に文字が流れるのか確認するとかやばい。
周辺のいくつかのマンホールのふたが三月のライオン仕様なのだが、三月のライオンの話を一切することなく、なぜマンホールのふたは丸いのか、数学的にこうこうで、これは水道局管理でしょうね、でも四角いのも見たことありますよね?ほら、例えばあそこにありますよね。あれはおそらく消防局管理ですよ、となぜかまったく関係ないことを話す。
関係のなさでいえば、鳩森八幡神社の周りの石柱、なんで長い短い交互なのか気になりませんか?と将棋に1ミリもかすりもしない。
なぜだ... なんかもっとこう話すことあったやろ... 自分...
将棋会館に戻るとフラグは回収されていた。千日手成立、指し直し局が始まっていた。
「ほらね。」
なかなかない機会を引き当てるのはよいのか、わるいのか...
そのあとはさくさく局面が進みつつも、なぜか全自動乾燥機付き洗濯機のすばらしさを語ったり、おれはこんな滅多にない機会にいったい何をしてるんだ。
記念撮影だったはずが...
将棋に関係のある話もしとかないといけないか。
見届け人の特典に、立派な盤、駒とともに記念撮影できる時間がある。
井出五段を前に、駒箱から駒を取り出し、駒を並べる。
駒を並べること自体いつ以来ぶりか分からない。
ましてや、立派な駒を並べるのは初めてだ。裏の字読めん。分からん。
大橋流で並べていく。
記念撮影なので全駒を並べ、2,3手指して終了のはずだった。
そのはずだったのだが、そのの後も続く。なぜかは分からない。定跡を覚えているわけでも、ましてそこそこ指せるというわけでもない将棋ウォーズ20級で止めたままの初級者が、平手のままずーーっと指し続ける。
初級者なのは話をしていたにも関わらず、あまりに私が早く指すので井出先生から一言。
「こちらに速度を合わせていますか?」(パチッ)
と。
「いや、まったくの感覚だけで指してます。」(パチッ)
そのまま局面は進む。記念撮影のはずだったのに。
お互いに竜を作った局面でパタッと止まる。指し手が分からない。
いや、とっくの前から何も分かってはいなかったのだが、いよいよ何をすればよいのか分からなくなる。
しんどい。めちゃくちゃしんどい。
そこからも無い知恵絞って指し続け、どうにかこうにか最後5手詰めまでたどり着く。
ここからもしんどい。
5手詰めで間違いないはずなんだが、本当にそうなのか?
浦野先生の本を何度もやってきたじゃないか。
なんども持ち駒を確認し、脳内盤をひたすら動かす。
詰んでる。間違いない。
意を決して、指す。
頭金になったところで、井出先生の「負けました」の一言で終わった。
しんどい。猛烈にしんどい。
他にもいろいろ考えていた局面はあったが、この5手詰めほどしんどいことはなかった。
もうなんも考えられなくなっているし、足はありえんくらいしびれてるし、その上攣った。
本日2度目の死を覚悟した瞬間だ。
あまりのアレさに、貞升女流に駒を片づけていただいた。
勝ってもガッツポーズすることありませんよね?という軽口を叩いた自分を呪うしかない。そんな余裕は微塵もねぇわ。
今まで指した将棋で一番しんどかった。
将棋を指してるときにしびれないようにとか考えてる余裕はない。
「着ていくスーツはワンサイズ上のものにしなさい。後が地獄だ。」
新しい教訓をひとつ胸に刻む。
終局
どんなに長い勝負もいつかは終わる。
そろそろ局面も煮詰まってきた。
移動時間もあるので、アテンドしてくださった井出五段、貞升女流二段に最後の挨拶をする。
今日の一日の終わりを告げるその瞬間が訪れる。
一日の始まりを告げたあの場所に戻る。
あっという間に過ぎ去っていった、楽しく濃密な一日の終わりを、またあの同じ場所で迎える。
今日という日が、一礼から始まり、一礼で終わった。
最後に
対局者の佐々木大地五段、澤田七段。
アテンドをしてくださった井出五段、貞升女流二段。
突然の出来事にも関わらず、話をさせていただいた飯島八段。
諸々の対応に苦心いただいた連盟の職員さん。
皆様、本当にありがとうございました。
楽しい一日を過ごせたのも皆様のおかげです。ありがとうございました。
いつも声をかけてくださる将棋の民のみなさん、急だったにも関わらず事前放送、お疲れ様放送、来てくださったみなさん、ありがとうございました。
ヒョウ柄のネクタイを締める約束は果たしたぞ!
※髪の色、ヒョウ柄のネクタイ等々は事前にすべて確認をとって行いました
時勢でイベントが延期・中止などでお会いすることもなかなか叶いませんが、また、いつか、どこかで、お会いしましょう。
はぁ、楽しかった。ほな、またね。ノシ
おまけ
当日、着けていたマスクが北海道研修会のクラファンの返礼品と気づいた方。
あの画面サイズでよく気づいてくださった。
気づいてくれる人はいるだろうか、と二重マスクの上に選びました。
素晴らしい。その通りです。