「ロボットは商品を買ってくれない」 ー ある経済関連の書籍を読んで思うこと。
「損切丸」、実はあまり読書が得意ではない。こんなにがちゃがちゃと書いておいて、と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、せっかちなものだから最後まで読む気力が続かないというか...。推理小説などは最後のページから読んだりして、家族に怒られることも(苦笑)。
そんな筆者がある日書店で手にした本をパラパラとめくったら、なんだか面白そうなので買ってしまった。「父が娘に語る経済の話」(ダイヤモンド社、ヤニス・バルファスキ=著、関美和=訳)である。例え話が機知に富んでおり、こんな読書嫌いの筆者でもすらすら読めてしまった。その中でも標題に挙げた表現が気にいっている。
「ロボットは商品を買ってくれない」
著者は何かと機械化と経済の連関性について解説しており、古くはイギリスの産業革命から、近代の映画、例えば「ブレードランナー」や「マトリックス」、「ターミネーター」などを例えに用いて機械が人間を代替する経済について言及している。そんな中でのこの表現である。
なるほどなあ、と思った。確かにロボットや機械はものを買ったり消費したりしない。面白い視点だ。つまり人を雇えば、労働者は消費者にもなるわけで、これまでの消費経済はその循環で回ってきた。しかし機械は違う。
これを読んで思い起こしたのが「郡山に帰省@11月22日 - 地方は本当に「疲弊」しているのか? 」で書いた、田舎でかなり普及していた「セルフレジ」の話。何かがおかしいと感じたことをこの書に沿って再考してみた。
まず今までの(少なくとも昭和まで)の経済循環。今のように人手が不足すれば景気は拡大していたはず。↓ (今も60~70代の議員は信じている)
これが平成デフレ、リーマンショックなどを経てこうなってしまった。↓
「セルフレジ」は消費しない、どころか消費者がセルフレジ打ちの「無償労働」までさせられている。これはヤニス氏が恐れている「人間の機械への隷属」である。では、なぜこちらの流れになっているのか?この「効率化」により恩恵を受けるのは、一部の企業の経営者や株主である。だから現在の「貧富の拡大」は構造的に作られたものだと。
例えばスーパーの経営者にもう少し「志」があれば、自分達が雇っているパートさん達が顧客にもなり得ることは容易に気付くはずである。「セルフレジ」の採用自体を否定するものではないが、もう少しやり方がある気がする。また、黙々と「セルフレジ打ち」の「無償労働」を提供する日本の消費者にも問題があると思う。これは企業にも個人にも良い結果を生まない。スーパー(企業)にはその社会的な存在意義を、パート、客(個人)にはもう少しお金へのこだわりが必要だ。
氏の主張では、「セルフレジ」型の経済では結局消費者が買えなくなった時点で価格が下落し、機械への投資が見合わなくなり循環が止まるという。しかし今起きている事は、「富める少数」の中で経済が回り、「貧した多数」が循環から閉め出された状態だ。その帰結がテロや暴動に転嫁しているのではないか。最後は革命や戦争に帰結してきたのがこれまでの人類の歴史だが、今回これを止める術はあるのか...。
ヤニス氏は元ギリシャの財務大臣という肩書きの持ち主。この本の中でのいろいろな例えは非常に具体的でわかりやすく、現在起きている経済の問題が決して新しい物でなく、大昔から繰り返されているということが上手に書かれている。やはり財務大臣を務めるだけのことはあるし、ヨーロッパで歴史があり、現在経済的に窮しているギリシャの立場だからこそ真っ直ぐに書けているのだろう。
例えば「通貨」の成り立ちについて、人類が狩猟生活から計画的な農耕生活に移行し「余剰」が生まれたことから発生した、というくだりは面白い。作物の余剰の量に応じて渡されていた「貝殻」が現在の「通貨」の始まりであるという。その時新しく出てきた「貝殻」は、今なら差し詰め「仮想通貨」「デジタル通貨」といったところか。現在これらを巡っては銀行など既存勢力からの反対や揉め事が起こっているが、決して初めての出来事ではないのである。形は違えど人類は同じ事を繰り返している。
もう一つ目を引いた話が、第二次世界大戦中のドイツ軍の捕虜の話。収容所の中で「経済活動」が自動的に成立していたという。赤十字から毎月支給品があり全員に同じ物が渡されるのであるが、イギリス人はコーヒーを飲まないしフランス人は紅茶を飲まない。そこで商売上手なフランス人がコーヒーと紅茶の仲立ちをしたという。この時に100グラムと100グラムをそのまま渡すのではなく、各10グラムを自分のところで「抜いた」。これを「裁定取引」(アービトラージ)と呼んでいた。「損切丸」には馴染みの深い言葉だが、人間、やることは今も昔も変わらないものだ(笑)。
だが時間が経つと同じ事をする捕虜が増えて、どんどん「利鞘」は圧縮され、そのうち商売にならなくなる。今と全く同じだ。そして次に登場するのが「タバコ」。喫煙者に絶大な需要があるため、いろいろなものがこの「タバコ」で計られるようになり、交換取引の中心になったという。なかには「タバコ」融資までする奴が現われる。これはまさに「通貨」そのものだ。金もそうであったが、*希少性の高いものが取引の中心になってきたのが人類の歴史で、第二次世界大戦が終わりに近づくと、収容所内での「タバコ」の価値は暴落し、「タバコ」本位制は崩壊したそうである。
*「ダイヤモンドは永遠の輝き」 - かつてダイヤモンドはユダヤ人カルテルに牛耳られており、価格、価値を維持するために屑ダイヤなど余った分はドーバー海峡に捨てていたという。つまり経済において「希少性」はそれほど重要な要素なのである。
さて現在に立ち返ってみよう。経済の中心に座する「通貨」は本来希少性があり価値が高いものであるはず。中央銀行はその価値を守るのが主たる責務で、そのために通貨価値を毀損する「インフレ」を防止すべく金融政策を運営してきた。「金利」はその価値の証なのである。
しかし、このベクトルが真逆にひっくり返ってしまった。「損切丸」でも「消えていく金利」シリーズで書いてきたが、法定通貨はまるで不要な紙くずのような扱い。中央銀行は希少性を保つどころか、市場に大量にばらまいている有様だ。マイナス金利に至っては、通貨は持っているだけで減っていくなどまるで罰金。これでは経済が正常に回らないわけだが、膨大な借金を抱えた国家は身動きがとれない。
次の「貝殻」「タバコ」は何になるのか。株に希望を見いだそうとしている人、「デジタル通貨」に活路を見いだそうとしている人、など様々だ。過去にも「オプション」や「デリバティブ」などが颯爽と登場したが、いずれもただの「演出」であることが露見してしまった。今回はもっと大きな変化になりそうだが、どのような結末になるのか「損切丸」も今のところ見通せておらず、展開を凝視しているところである。
「父が娘に語る経済の話」は腑に落ちる話が多い。しかし、こんなにうまく例えられるのは羨ましいというか。いつかうちの娘にも読んでみて欲しいものである。そうすれば、(今少し疎まれている)父が言っている金融、経済の話がもう少しわかって貰えるかもしれない。こちらもせいぜい「表現力」を磨く参考にさせて頂こうと思う。
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