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どんな変化を望んでいるのだろう

肉の代わりにパンはなれない
パンの代わりも肉にはできない

出典)
アニメ 「ダンジョン飯」第2話
制作 「ダンジョン飯」製作委員会
原作 九井諒子

 とくに予定もなく、ぽっかりと空いた一日、しかし、体力的には外出する気にはなれない。そんな日に、1話から20話まで、「ダンジョン飯」というアニメを一気見しました。
 なんとなくタイトルは聞いたことがあったのですが、見たり、読んだりをする機会はありませんでした。
 「ダンジョンに出てくるモンスターを食べる、『ほのぼのグルメファンタジー』かなぁ」と思ってみていたのですが、たしかにその印象で合ってはいそうなのですが、それだけではなく、結構、色々な側面から物語が描かれているように感じました。
 ご興味があればぜひ、作品をご覧ください。

 さて、冒頭のセリフですが、アニメ第2話の最後にナレーションとして語られたものです。
 第2話の内容を受けてのものなのですが、各自の役割りや強み、持ち場などをこのようなセリフでまとめたように感じました。

 あたりまえのことを言っているようですが、アニメの内容とは別として、現代の私たちは「自分ではない何者かに代わりたい・代わらなければ」という欲求や恐怖に多かれ少なかれ支配されているのではないかと、私は思います。
 ネット環境が発展した影響もあり、『何者かであるような他者』が否が応でも目に飛び込んでくるようになりました。
 また、ビジネス書や自己啓発本でも、『さらなる何者か』を目指さなければ、生き残ってはいけないようなことが多々書かれています。
 自分の成長のために、自分が望むことであれば、その『何者か』を目指し、学び努力を重ねることは素晴らしいことだと思いますが、「何者かに代わらなければ自分には価値が無い」と受け取ってしまうと、とても息苦しく、辛く感じるのではないでしょうか。

 いま目にしている『成功した何者か』『キラキラしている何者か』に代わることはできません。
 肉がパンに、パンが肉に代われないように。
 でも、『肉がさらに美味しい肉』に、『パンがさらに美味しいパン』に変わることはできると思います。
 自分の強みや大切にしている価値観、それらを磨き、伸ばしていくことで、「誰かに代わる」ことはできなくても「よりよい自分に変わる」ことはできるのではないか。
 そんなことを冒頭のセリフをきっかけに考えていました。

 どんな変化を望んでいるのだろう
 他者の望む「何者か」にならなければならないと苦しんでいる方。
 「変わりたい」と思っているのに怖くて一歩が踏み出せない方。
 そんな人に寄り添える人でありたいです。

https://delicious-in-dungeon.com/

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