『なにから疎外されたくないのだろう?』
ひょんなことから手に取った、はじめて読む三島由紀夫作品でした。
全部をしっかりと読み切れたとは到底思っていないが、自分は登場人物たちのように「美」「生」「死」について、突き詰めて考えたことはないな、と。
読みづらかったり、頭に入ってこないところもありましたが、文章は綺麗だと感じました。
そんな中で、第1章の中の一文に強く心を揺さぶられました。
『私には自分の未知のところに、すでに美というものが存在しているという考えに、不満と焦燥を覚えずにはいられなかった。美がたしかにそこに存在しているならば、私という存在は、美から疎外されたものなのだ。』
私は『美』についてはそこまで思い入れがないので、この文章そのものズバリにではありませんが、この『美』を、自分が大切にしていたり、重要と思っていたりする『なにか』に置き換えたときに、なんとも言えないゾワゾワ感に襲われました。
この世に、その『なにか』の絶対的な『正なるもの』が存在したとして、その正なるものに「お前は我々の仲間ではない」と言われたら。もしくは、私はそれに触れていないどころか、存在を認識することすらできていないとしたら。
数年前までだったら、たしかに、焦燥感や疎外感を持ったかもしれません。
『なにから疎外されたくないのだろう?』
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