【🇯🇵 石川#3】兼六園の冬の風物詩雪吊りは3月まで観られるよ!
香林坊のホテルからのんびりと兼六園まで歩いてきました。訪れたのは3月で雪はすっかりなくなっていましたが、冬の風物詩でもある雪吊りはこの月まで観ることができました。国の特別名勝に指定され、日本三大名園(あとは水戸の偕楽園と岡山の後楽園)のひとつに数えられている兼六園は、17世紀の中頃に加賀藩により造営された大名庭園が起源になっているんだそうです。日本有数の..とか言われると全部行ってみたくなってしまいます(汗
加賀藩は豊臣家に仕えた前田利家がその礎を築き、江戸時代には前田家が14代に渡って治めた日本一豊かな藩でした。その加賀藩5代藩主が自らの別荘の周りを庭園化したのが兼六園の始まりなんだとか。今年開園150年を迎えた四季折々に美しい景観を見せてくれる庭園は、夜のライトアップも美しいそうですよ。隣接する(どっちの隣接?)金沢城公園は兼六園の1.5倍くらいの敷地があって、良い散歩コースです。玉泉庵でいただくお茶にしっかり癒されてきましたよ。
香林坊から百万石通りを歩いて来たので、真弓坂口から兼六園に入ります。シーズンによって開園時間は7時もしくは8時になりますが、早朝の5時から開園の15分前までは無料の時間帯があるんですね。
真弓坂口から園内に入ると最初に見えてくるのがこちらの瓢池(ひさごいけ)です。今は上から見ても瓢箪の形ではないのですが、池の中ほどがくびれていたことからこの名前が付いたんだとか。
はいこちらは兼六園でも人気のフォトスポットの霞ヶ池。ここには兼六園のシンボル的な徽軫灯籠(ことじとうろう)がります。琴の糸を支える琴柱に似ていることからその名が付いたんだそうです。手前の虹橋に乗って写真をを取る人たちがいつも列を作っています。
園内の松の木を覆うような三角の雪吊り。金沢の至る所で行われている冬の風物詩らしく、兼六園には大きな松の木がたくさんあるのでその景観は圧巻といった感じです。
兼六園では11月の唐崎松を皮切りに、12月中旬くらいまで雪吊り作業が行われるんだそうです。冬の兼六園は雪吊りのかかった景観は、普段夜は開放されない兼六園もライトアップとともに無料開放されるんです。さすが百万石!
霞ヶ池のほとりにあるお土産屋さんとお蕎麦などが食べられる食事処が内橋亭です。冬の寒い時には甘酒が身体を温めてくれます。丼ものなどしっかりご飯をいただくこともできるようですよ。
ぐるりと園内を周り陽も西に傾きはじめたので、桂坂口から金沢城公園へ向かいます。桂坂口を出たすぐ左手には茶店通りが続いていて、このあたりは桜の木が多かったので、春には桜の名所になるんでしょうね。
茶店通りからは金沢城石川門の石垣がよく見えます。石川門も国の重要文化財に指定されているんですね。今年の能登地震の影響もあって、河北門など一部立ち入りが禁止されている場所が現在も残っているようです。
では石川門から公園内に入っていきます。まだ新型コロナ対策への協力を要請する案内板が出ていました。そうそう閉園時間も迫っていたし、何よりお目当ての茶室が閉まってしまうので少し駆け足で玉泉庵を目指します。
前にも触れましたが兼六園と金沢城公園は隣接していて、約1.5倍くらいの広さがあります。石川門から玉泉院丸庭園は対角線にあるのでかなり離れていますね。
16世紀後半に築城が開始され、加賀藩初代藩主の前田利家が能登から入城したから本格的な築城に着手されています。1602年の落雷による火災で天守閣を失ってしまったのですが、その後は幕府への遠慮からか再建されなかったんだそうですよ。
1631年の大火で武家屋敷が場外へ移され、1759年の火災でも多くの建物が焼失してしまいましたが、二の丸を中心に再建が行われ、現在の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が再建されました。ただ1881年に再び大火に見舞われるなど度重なる火災の後、近代に入ってからは終戦を迎えるまで陸軍第九師団司令部が置かれたり、戦後は国立金沢大学が場内に置かれるなど珍しい経緯を持つ城跡といえそうですね。
閉店時間17時の30分前に玉泉庵に到着しましたが、快く受け入れていただけました。もう感謝しかないです。近年再整備された感は否めませんが、しかし綺麗な庭園ですね。2代加賀藩主前田利長の正室玉泉院(永姫)が屋敷を構えたのがその名の由来なんだそうです。
お抹茶とお菓子(名前は忘れてしまいました…)を庭園の景色とともに美味しくいただきました。手前の青い茶碗がとても鮮やかで、奥さんは羨ましそうに何度も写真に収めていました(苦笑
兼六園
霞ヶ池
金沢城公園
玉泉庵