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狼だぬきの欠落、あるいは穴ぼこ

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コンプレックスがなかったら文章なんて書かねえよ、みたいな雑文

 「あなたはなぜnoteを書いているのですか?」と聞かれたら、どのように答えますか?noteだけで飯を食っているという人はごくわずかだと思うので、「生きるために」みたいなライスワークとして回答する人は少ないだろう。むしろ、金になるかならないかを置いておいても立ち現れてくるような表現活動の広場としてnoteというメディアはあるのだろう、くらいに考えている。  「あなたはなぜ文章を書くのですか?」という問いの置き換えてもいいかもしれない。ほとんど一銭にもならない「文章を書く」と

世界を救うのはアベンジャーズではなく「意味の無さ」らしい、みたいな雑文

 起業家のメンタルヘルスの問題がある。今それにぶち当たっている狼だぬき自身、事業を経営して4年ほどになるいわゆる起業家にあたる。いわゆるというのは、自分自身を「起業家」「サラリーマン」のような図式にはめ込むことに特に意味と価値を見出していないが故の注釈のようなものだ。それでも、分かりやすく言うと「起業家」に当てはまると、思う。それで書き進める。  そして経営していく中で、いわゆる「起業家のメンタルヘルスの問題」らしきものにぶち当たり、結果的に生まれたのがこの狼だぬきだったわ

「朽ちゆくものの美」こそ、絶望を肯定する

 「自分のことなんて、誰もわかってくれない」なんて言ってこうべを垂らして、小部屋に篭って、関係性を自ら断絶して、分かり合える可能世界を消失させて、そのくせ世界を嘆いて誰かのせいにして、それでいて他でもない自分自身に一番嘆いていることに気づかないフリをしていた時期が、20代始めにあった。  世界は自分自身の欲望や精神的欠損が投影され、ぼくの前に現れる。そういう認識を持ってからは、余計に自分自身が惨めで、健気で、憎らしかった。「分かり合える世界を」なんて絵空事を掲げて、その実も

祇園四条を歩いていたら、「うまく歩けなく」なってしまった

 「人生をまっすぐ歩けなくなったあなたへ」という題名を入力し、こっそりと消した。幾分直接的すぎるその表現は、ぼくとあなたの間に大きな隔たりをつくりそうだったからね。ぼくはあくまで、ぼくのために文章を書いているんだ。誰のためでもない、自分自身のために。このアカウントとその文章たちは、あなたとぼくの秘密でしかない。それ以上でも、以下でもないんだった。  今、京都に来ている。三条で見つけたスパニッシュ・バーに19時頃に入店し、90分でサングリア、赤白のワイン数種類などが飲み放題の

一人の起業家で独りの文筆家の「絶望」について

0:「起業」あるいは「夢追い」の絶望 世界は幾分キラキラしすぎている。そこに、文句を垂れようと思う。もちろん狼ダヌキ個人にとってという注釈が付くが。「そーしゃるねっとわーくさーびす」のせいだろうか、日本人の満たされない尊厳欲求は、インフレを起こしている。オンラインサロン加入だって、リクルートの内定だって、なんならタピオカだって、全部虚構なのに。  今、夢を語ることは尊いとされている。教養と思慮の深い一部の起業家によって、夢を追うことは実は泥をすするようなものだという認識も広

物書き的な視点、その意味のなさ

「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」 (『職業としての小説家』村上春樹 )  物を書くというのは、話すに足りない、些細でどうでもいい世界の変化をなるべく丁寧に描写し、それが暗示する心の繊細な機微をできるだけ伝わる形へと変換することだ。海外旅行で使う、電圧変換プラグのように。一方にとって意味があるものを、他方にも価値ある何かへと変換させる手続きのプロセスと結果である。部分的に。  noteに文章を書き起こすようになって、6日目になっ