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狼だぬきの欠落、あるいは穴ぼこ

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#小説

メランコリー・ルーム

 結局のところそれは自己防衛に過ぎなかったのだが、世界が完璧にメランコリーに見えていた時分があった。決まる気配のない定職を見かねて愚痴る母親も、自由業に好奇と羨望と軽蔑を等しく向ける過去の友人も、大型書店に並ぶ大成した経営者が著したハードカバーも、ちっともいいねが付かないアーティスト気取りのTwitterアカウントも、全部だ。全部がモノトーンで、無機質で、陰鬱な様相を呈していた。 *  そのころの僕はと言うと、完全に自己の中に存在していた。どこから見るか、どこを見るかとい

告白

 告白しよう。狼だぬきはこれまでの人生において、重大な勘違いをしていた。その勘違いによって、彼は自らを生きづらくさせたし、世界をつまらないものにさせた。  その勘違いとは、「人々は閉じている」という偏屈な認識である。人々は閉じていて、冷たくて、やさしくない。  そのため、彼は有事の際には自分の内側の深いところまで逃げなければならなかった。誰も入れないであろう暗部に身を潜めて、重厚な壁をもって繊細な自分を守らなければならなかった。それが信念だった。  しかし、いま気づいた。

実は一番の抗うつ剤は「90年代後期ミスチル」だった【前編】

 また太陽が昇ってしまった、と窓の外に目をやる。「明けない夜はない」みたいな言葉が使い古されていて、ほとんどなんの重みも感動ももたらさないと思っていた。でも、本当に明けない夜はない。毎日、正確な時間に太陽が登る。憎くて、でもちょっと嬉しい事実だな。  最近夜になったらミスチルをずっと聞いている。小学校のときに「抱きしめたい」をひょんな機会で聴いて、それ以降90年代のミスチルを中心にウォークマンが擦り切れるくらい聴いた。もちろん、ウォークマンは擦れないし切れないけれど。なんに

コンプレックスがなかったら文章なんて書かねえよ、みたいな雑文

 「あなたはなぜnoteを書いているのですか?」と聞かれたら、どのように答えますか?noteだけで飯を食っているという人はごくわずかだと思うので、「生きるために」みたいなライスワークとして回答する人は少ないだろう。むしろ、金になるかならないかを置いておいても立ち現れてくるような表現活動の広場としてnoteというメディアはあるのだろう、くらいに考えている。  「あなたはなぜ文章を書くのですか?」という問いの置き換えてもいいかもしれない。ほとんど一銭にもならない「文章を書く」と

世界を救うのはアベンジャーズではなく「意味の無さ」らしい、みたいな雑文

 起業家のメンタルヘルスの問題がある。今それにぶち当たっている狼だぬき自身、事業を経営して4年ほどになるいわゆる起業家にあたる。いわゆるというのは、自分自身を「起業家」「サラリーマン」のような図式にはめ込むことに特に意味と価値を見出していないが故の注釈のようなものだ。それでも、分かりやすく言うと「起業家」に当てはまると、思う。それで書き進める。  そして経営していく中で、いわゆる「起業家のメンタルヘルスの問題」らしきものにぶち当たり、結果的に生まれたのがこの狼だぬきだったわ

「朽ちゆくものの美」こそ、絶望を肯定する

 「自分のことなんて、誰もわかってくれない」なんて言ってこうべを垂らして、小部屋に篭って、関係性を自ら断絶して、分かり合える可能世界を消失させて、そのくせ世界を嘆いて誰かのせいにして、それでいて他でもない自分自身に一番嘆いていることに気づかないフリをしていた時期が、20代始めにあった。  世界は自分自身の欲望や精神的欠損が投影され、ぼくの前に現れる。そういう認識を持ってからは、余計に自分自身が惨めで、健気で、憎らしかった。「分かり合える世界を」なんて絵空事を掲げて、その実も

祇園四条を歩いていたら、「うまく歩けなく」なってしまった

 「人生をまっすぐ歩けなくなったあなたへ」という題名を入力し、こっそりと消した。幾分直接的すぎるその表現は、ぼくとあなたの間に大きな隔たりをつくりそうだったからね。ぼくはあくまで、ぼくのために文章を書いているんだ。誰のためでもない、自分自身のために。このアカウントとその文章たちは、あなたとぼくの秘密でしかない。それ以上でも、以下でもないんだった。  今、京都に来ている。三条で見つけたスパニッシュ・バーに19時頃に入店し、90分でサングリア、赤白のワイン数種類などが飲み放題の

一人の起業家で独りの文筆家の「絶望」について

0:「起業」あるいは「夢追い」の絶望 世界は幾分キラキラしすぎている。そこに、文句を垂れようと思う。もちろん狼ダヌキ個人にとってという注釈が付くが。「そーしゃるねっとわーくさーびす」のせいだろうか、日本人の満たされない尊厳欲求は、インフレを起こしている。オンラインサロン加入だって、リクルートの内定だって、なんならタピオカだって、全部虚構なのに。  今、夢を語ることは尊いとされている。教養と思慮の深い一部の起業家によって、夢を追うことは実は泥をすするようなものだという認識も広

「2091年」、あるいは2019年

2091年の世界。価値観になりたい。  権力は世界を豊かにしない、というのが狼だぬきの基本的な姿勢である。ピケティだって言ってた。r>gだから、格差は拡大し続ける。rもgもなんなのかはわからないけれど、偉い経済学者が言うんだから、おそらくそうなんだろう。つまり人間は、時間の累積が無機質に不公平を増やし続けるシステムに生きている。「持たざるもの」の子孫は不幸になる運命なのだ。緩やかに、それでいて複利的に。統計的な証明。統計は、あんまり嘘はつかない。嘘をつくのは物書きの役割だ。

不歓迎社会日本

 一億総中流社会。妬み嫉妬社会。格差社会。学歴社会。少子高齢化社会。シルバー民主主義社会。「○○社会」というフォーマットでの日本への揶揄は後を絶たない。あらゆる日本人は自分自身や付近の環境を観察し、その「感情的な問題点」を「社会」に投影して批判する。やれやれ、どいつもこいつも人のせいに...と、ぼくもまた、人のせいにする自分自身を社会に投影し、嘆く。それに気づき、再び絶望。絶望したら川へ行こう。正しく絶望できる数少ない場所が都会の川だ。人間は嫌になるなあ  今日は自己の精神

える知っているか?死神(ぼくら)には「穴ぼこ」がある

 文章を書こうと思う。理由はない。目的もない。とりわけ、着地点かなんかも検討もつかない。世の中には二種類の人間がいる。目的を持って文章を書く人間と、書きながら自己に眠る目的に輪郭を与えていく人間だ。どうやらぼくは後者らしい。  冒頭でこんなことを言うのも申し訳ないが、この記事に読む価値はない。まだ書いてないけれど確信できる。結論が何もない予定だ。判断がなされない予定だ。そういう後味の悪さも悪くない味なヤツだけ歓迎する。そうじゃないならLINEマンガを読んだほうが絶対にいい。