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「檸檬」読めました

レモンと聞けば、薄くて明るいパキッとした黄色の果実を思い出します。
Lemonと聞けば、米津玄師を思い出します。

では、檸檬は?
私は何となく、果実のレモンはレモンでも、すっぱさの中にほんのりとした甘さを感じます。

梶井基次郎「檸檬」の感想文です。

私にとっての"檸檬"は?

正直、何が伝えたかったのかはピンときませんでした。
コミカルなシーンとか、とんでもない大どんでん返しとかはありません。
でも、主人公の目に映る情景の鮮やかさは伝わります。

主人公は体が悪く、気分が落ち込んでおり、その上金もありませんでした。
貧乏ではなかった頃に嗜んでいた嗜好品は、今では気分を悪くさせます。

確かに。気分が落ち込んでいる時に、昔自分が好きだったものを見て回復できるなら人生イージーモードです。そういうわけにいかない時だってあります。

主人公は街を放浪する中で、果物屋を見つけます。その果物屋は、周りに比べて明るく見えました。そこで見つけた檸檬を一つ買いました。主人公は、檸檬が好きです。色や形がお気に入りのようです。檸檬を手にした主人公の心は明るく軽くなっていきました。

現代では、デザイン性の高いお店が田舎にも増えてきています。その中で、映えなんか気にしない昔ながらのお店を見ると、少し特別な目で見てしまいます。そのお店は、普段は全く心にも留めないお店なのですが、ふと目をやると特別な気分を感じます。私の場合、それが近所の喫茶店なのですが、そこのパフェはボリューミーでとても美味しいです。
また、私はペットボトルのコーヒーを持つと気分が上がります。子どもの頃は飲めなかったコーヒーをペットボトルで持ち歩いているという状況が、私を背伸びさせます。だから、ペットボトルのコーヒーが私にとっての檸檬です。今のところ。

どんないたずらが面白いかな

主人公は檸檬を持って闊歩しているうちに、嗜好品の店に着きます。気分が良いので入ってみると、嗜好品を見て、やはり気分が落ち込んでいしまいました。画本コーナーにて、本を見ても心が落ち着きません。本を手に取っても戻す気力もないくらい疲れています。出したままの本を積み上げて、その上に檸檬を乗せた主人公は、その檸檬の美しさに魅了されます。主人公は積み上げた本と檸檬をそのままにして、店を後にしました。その檸檬を爆弾に見立てて、爆発したらどんなに面白いだろうと考えながら、主人公は帰っていきました。

はい、ここ一番面白い所です。しかし、私は主人公の行動が理解できません。ちょっと変わった人なんだな、という感想。売り物を散らかして帰るなんて、私にはできません。
ただ、最後の部分はちょっと分かる気がしないでもないです。自分がやったいたずらや、ちょっとした行為で、人様を騒がせたらさぞ面白いはずです。そんな迷惑かけるようなことできるか!って思う人もいるかもしれませんが、いたずらをしたらどうなるかな~という想像なので大丈夫です。例えば、学校の教室で、授業中に私が急に歌い出したらどうなるかなとか、全校集会中に私がチャーターしたヘリコプターが体育館の真上に落ちて来ないかなとか。私が指を鳴らしたら富士山大噴火でも面白いです。全部できないのでこんなことは起こりません。
私に笑顔をもたらすのは、楽しくて愉快なものや感動するものだけではありません。悪巧みも片方の口角を上げさせるのです。(ニヤリ)

絵がきれい~!

私が読んだ「檸檬」は立東舎出版の乙女の本棚シリーズの作品です。

文庫本ではなく絵本のような形式で、挿絵が豊富に入っています。
挿絵を描いたのは げみ さんという方で、幻想的な本の世界を再現しています。温かみのあるタッチで、主人公の檸檬に対する思いや果物屋の特別感などを描いています。

多分、私の読解力では本作の情景を想像することは容易ではありませんでした。げみ さんが描いた絵によって、割と読みやすく、情景描写がスッと入って来る感覚を味わいました。

おわりに

梶井基次郎の「檸檬」を読むことができました。
以前の投稿で読んでみたいと言っていた作品の内の一つだったので、読めて良かったです^^

最近の高校生は「檸檬」を現代文の授業で扱うそうです。(一部だけかもしれないが。)私が高校生の時は扱いませんでした。代わりに川端康成の「舞姫」をやりました。夏目漱石の「こころ」や芥川龍之介の「羅生門」は今でも扱っているようですね。

今回読んだ乙女の本棚シリーズ、読むことに対するハードルが下がって読みやすかったです。これを機会に、有名な文豪の作品にはたくさん触れ、教養豊かになりたいです。

あと漢字で「檸檬」って書くの難しいね!絶対忘れちゃう!


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