余談:怒りの葡萄 中篇『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』第99話
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2019年9月19日
スナックふかよみ
なるほどね…
で、さっき言ってた「ヨハンおじいちゃん」の生涯って、どういうものなの?
なんでスタインベックのおじいちゃんは、ドイツからオスマントルコ領だったパレスチナに移民したの?
そして、なんで8年後に突然アメリカへ再移民したの?
それでは語ろうか…
ジョン・スタインベックの作品を理解する上で欠かせない、祖父「ヨハン・スタインベック」の生涯を…
ガチの余談ね。ワクワクしちゃう。
ノーベル文学賞作家ジョン・スタインベックの祖父ヨハン・スタインベックは、1832年にプロイセン王国のライン県、今のドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州に生まれた。
Johann A. Grosssteinbeck (1832-1913)
19世紀中頃といえは、北欧から北アフリカまでの広範囲を巻き込んだナポレオン戦争の余波により、各地で民族自決意識が高まっていた時期。
大帝国として君臨し続けたオスマントルコの領内でも、ギリシャやエジプトが支配下を脱し、欧米のクリスチャンの間では「次はパレスチナ」という期待が高まりつつあった…
特に一部のプロテスタントにとって、パレスチナ解放とは「イエス・キリスト再臨への準備」を意味していたんだ…
再臨への準備?
聖書の最終巻『ヨハネの黙示録』では、終末、つまり世界の終わりの日にイエス・キリストが再び地上に降りてきて、キリスト教徒を天へ導き入れるとされている。
そして、それを強く信じていた人々にとって、ナポレオン戦争後の19世紀中頃の世相や世界情勢は、預言されている終末によく似たものに見えたんだ。
聖書に書かれていることが、ついに現実になりつつあるとね。
そのような人々の中から、実際にパレスチナへ渡り、「再臨」の準備をしようと考える人も現れ始めた。
自分たちの手で『ヨハネの黙示録』に書かれている「舞台設定」を整え、イエス・キリストの再臨を早めようと考える人たちが…
つまり…
ドイツのスタインベック家の人たちが、そうだったということですか?
その通り。
ジョン・スタインベックの祖父ヨハンと、その兄であるフレデリック、そして姉のマリアは、まさに『ヨハネの黙示録』を現実化させるため、パレスチナへの移住を決意したんだよ。
そういえば『怒りの葡萄』というタイトルも、『ヨハネの黙示録』からとられたものでしたね…
だけどさ、パレスチナに住むアラブ人やユダヤ人からしたら、いい迷惑じゃない?
『ヨハネの黙示録』の現実化の準備とか言われても。
だからパレスチナへ移住するキリスト教徒たちは本音を隠していた。
表向きは「農地開拓・経済復興支援のため」と言って入植したんだ。
もちろん、土地を提供するアラブ人やユダヤ人の有力者たちにとっても、欧米からやって来るキリスト教徒が持参するお金は魅力的だった。
一文にもならない荒地に、お金を払ってくれるわけだからね。
しかし、これが後に悲劇を生むのです…
悲劇?
1849年11月、スタインベック家はドイツを後にする。
「約束の地」を目指して、2か月にわたる長旅に出たんだ。
メンバーは10人。ヨハンと兄フレデリック、姉マリアとその夫グスタフ、そして二組の友人家族。
ちなみに出発時、マリアは妊婦だった…
これも『怒りの葡萄』じゃん。
「妊婦の姉マリア」が「妊婦の妹ローザシャーン」に置き換わっただけ。
鉄道や船を乗り継ぎ、1950年2月に一行はパレスチナの港町ヤッファへ辿り着いた。
今のテルアビブにあたる場所だ。
ちなみに『怒りの葡萄』では、カリフォルニアで赤ちゃんが死産になってしまうけど、スタインベック家の物語では無事に生まれる。
女の子で「Nachrichten(ナーハリヒテン)」と名付けられた…
ナーハリヒテン? 変わった名前ね。
ドイツ語で「ニュース・知らせ」という意味。
つまり「福音」ということ。
エルサレムに入った一行は、入植地を紹介してもらうために必死で活動した。
そしてようやくヤッファ郊外に8エーカーの土地を借りることに成功する。
水はけの悪い場所で、雨期になると近隣の河川が氾濫し、辺り一面水浸しになるという悪条件の土地だけど、彼らにとっては唯一無二の「約束の地」だ。
雨期でも水没しないような小高い場所を整備し、家屋と家畜小屋を建て、小さな果樹園を作り、そこを「マウント・ホープ(希望の丘)」と名付けた。
この写真は、80年後の1930年代に撮られたマウント・ホープ…
廃墟になってる建物は、おそらく後の時代に建てられたものだろうけど、小高くなってる土地の部分は、スタインベック家が整備したものだろう…
洪水で水没する土地? 小高い丘の上にある建物?
それって『怒りの葡萄』のラストシーンの舞台「小高い丘の上で水没を免れていた納屋」じゃん。
ホントよく似てるわよね、『怒りの葡萄』とスタインベック家の物語は。
せっかく苦労して移民したのに、数年後には突然ここを去るって…
まさか『怒りの葡萄』みたいに、スタインベック家にも「殺人事件」が起きたってこと?
え? まさか。
しかし流れ的には、そうなりますね…
スタインベック家がマウント・ホープに入植してから三年後、アメリカからディクソン家がやって来る。
ディクソン家には二人の美しい姉妹アルミラとメアリーがいた。
自然な流れで、ヨハンとアルミラ、そしてフレデリックとメアリーは結婚することに…
夫婦はそれぞれ二人の子をもうけ、マウント・ホープは文字通り「希望の丘」になると思われた…
ゴクリ...
しかしマウント・ホープを悲劇が襲う…
1858年1月11日の深夜、放牧中に行方不明になった牛を探しているというアラブ人の男たちがマウント・ホープへやって来て、フレデリックと口論になる…
そして男たちはフレデリックを殺害…
そのまま家に押し入り、妻のメアリーとその母サラをレイプして逃げ去っていったんだ…
え…
マジですか…
この事件は「Outrages at Jaffa(ヤッファの怒り)」として、欧米で大きなニュースとなった。
この事件の影響でパレスチナ入植計画を中止した人も少なくなかったらしい。
深く傷ついたスタインベック家とディクソン家の人々は、マウント・ホープを去ることにした。
彼らは『ヨハネの黙示録』の現実化という夢を諦め、約束の地パレスチナを後にしてアメリカへ渡る…
『エデンの東』では、ドイツ移民が地元住民たちから暴力を受け、それに対して主人公が激しい怒りを覚えるシーンが描かれました…
あの過剰ともいえる描写には、パレスチナへ移民したスタインベック家の過去が投影されていたわけです…
そういうことだったのね…
アメリカへ移民した「ヨハン・グロススタインベック」は、アメリカ風に「ジョン・スタインベック」と改名する。
そしてフロリダで三番目の子ジョンが誕生。
ノーベル賞作家ジョン・スタインベックの父になるジョン・スタインベックだ…
フロリダ? カリフォルニアじゃないの?
最初はフロリダで農園を始めたんだ。
しかし今度は南北戦争が勃発…
ヨハンは軍に招集される…
ヨハン、波乱万丈すぎ…
戦後、すべてを失ったスタインベック家は、再起を懸けてカリフォルニアへ最後の旅に出た。
そしてヨハンは農園経営で成功をおさめ、大地主となる。
息子ジョンも結婚し、1902年には孫のジョンが誕生。
こうしてヨハン・スタインベックの半世紀にわたる長い旅は終わり、1913年、子や孫たちに囲まれ、その生涯を閉じた…
よかった…
最後はハッピーエンドよね。
どうでしょう…
ヨハンは最期に何を思ったでしょうか?
長い旅の果てに成功を掴み、大家族に囲まれて生涯を終えることが出来ました…
しかし、若い頃に燃えた「ヨハネの黙示録の現実化」という夢は果たせませんでした…
確かに…
だからジョン・スタインベックは、一族の物語を小説にしたというわけですね…
困難と悲劇と、そして希望の物語を…
『怒りの葡萄』は、スタインベック家の物語であり、祖父ヨハンが果たせなかった夢へのトリビュート…
聖書の第66巻『ヨハネの黙示録』の現実化という夢…
だから「ルート66」が重要だった…
小説のラストシーンは、まさに第66巻『ヨハネの黙示録』のラストシーンですからね…
そうなんですか?
『怒りの葡萄』のクライマックスは、主人公トム・ジョードと母ママ・ジョードの象徴的な会話で幕が切って降ろされる。
トムは、友人ジム・ケイシーを殺した男を撲殺し、洞窟に隠れていた。
ジョード家と一緒にカリフォルニアへやって来た元宣教師のジムは、労働組合のリーダーに祭り上げられ、資本家たちに雇われた男に殺されてしまい、それを目撃したトムが激怒してツルハシで男を撲殺してしまったんだね。
ちなみに『怒りの葡萄』という作品において、トム・ジョードとジム・ケイシーは二人でイエス・キリストの役割を果たしている。
ジムが弱き者の代表として死んだ後、トムが「石窟の墓」である洞窟に入るんだ。
そしてトムは、姿を消す前に、こんなことを母に語る。
「俺が居なくなったとしても悲しむ必要はない。人々が苦しむ時、腹を立てる時、笑う時、食事をする時、俺はそこに居る。目に映るすべてのものの中に俺は居るんだ」
これがラストシーンの重要な伏線になるんだよね…
そして堤防が決壊し、洪水が起きる。
辺りは一面水浸しになり、ジョード一家は小高い丘に建つ納屋に避難した…
その丘は、かつてパレスチナでスタインベック家が住んでいた「マウント・ホープ」の投影であると同時に…
アブラハムが息子イサクを捧げ、ダビデが契約の箱を安置した、エルサレムの神殿の丘「テンプル・マウント」の投影でもある…
納屋の中には、見知らぬ「父と子」が居たのよね。
父は子供のために自分が犠牲になって、死にかけていたの…
そう。父は丸6日間何も食べていなかった。
これは「天地創造」のジョーク。
神は6日間飲まず食わずで世界を作り7日目に休息したからね。
つまりこの「父と子」の出現は、イエス・キリストであるトム・ジョードの預言が現実化したもの。
そして『ヨハネの黙示録』最終章の現実化でもある…
22:3 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
22:4 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
しかも、これだもんね(笑)
22:8 これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。
英語の聖書では、ヨハネは「John」…
つまり、ジョン・スタインベックがこの小説を書いたことで現実化している…
そういうこと。
そしてママ・ジョードは、娘であるローザシャーンに「あること」を促す。
ローザシャーンは旧約聖書『雅歌』に出てくる美しい花「ローズ・オブ・シャノン」が訛ったもの。
劇中でずっと妊婦だったローザシャーンは、納屋に避難してくる前に、お腹の子供を死産で失っていた。
ママ・ジョードは、その子のためにローザシャーンの乳房に準備されていた乳を、この死にかけている男に与えなさいと促すんだね。
すごい展開ですね…
このラストシーン、映画版では全然違うものに変えられたのよね。
すっごく美しいフィナーレだと思うのに…
他の者が席を外し、男と二人っきりになったローザシャーンは、男の頭を抱き上げ、乳房を含ませようとする。
男は驚いて拒否するが、最後はローザシャーンに説得され、乳を飲んだ…
『ヨハネの黙示録』最終章における最後の預言が、これで成就した。
22:17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
若い娘が、死にかけた父に乳を飲ませる?
ルーベンスの絵みたい。
『ローマの慈愛(父キモンに乳を与えるペロー)』
ピーテル・パウル・ルーベンス
そして最後に、ローザシャーンが笑って終わる…
笑う? どうしてですか?
自分のお腹の中にいた命は失ったけど、こうして他の命を救ったからじゃないの?
人類愛レベルの幸福感でしょ?
表向きの解釈では、そうだよね。
だけどこの「笑い」には、他にも2通りの解釈ができる。
2通り?
ひとつは…
「イサクか!」という、ツッコミの「笑い」…
イサク? つっこみ?
あっ!
ヘブライ語の「イサク」は「笑う」という意味でした!
このラストシーンの丘は、エルサレムの神殿の丘…
つまり、父アブラハムが息子イサクを生贄にしようとした場所…
『イサクを捧げるアブラハム』
ローラン・ド・ラ・イール
だから本来は、子供の方が犠牲になっていなければならなかった…
それなのに逆だった…
だからローザシャーンは「お前はイサクか!」と思って笑った…
その通り。
そしてもうひとつは、ママ・ジョードの言葉が伏線になったもの。
授乳シーンの前にママ・ジョードは、ローザシャーンにこんな言葉を残していた…
「後のものが先になり、先のものが後になる」
イエスの有名なセリフじゃん。
これもちゃんと『ヨハネの黙示録』最終章で繰り返される。
22:13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
そして、納屋に居た「父と子」は、イエス・キリストが投影されたもの…
つまり「父に乳を飲ませる」という行為は、「イエス・キリストに乳を飲ませる」という行為になる…
『リッタの聖母』
レオナルド・ダ・ヴィンチ
あっ…
終末におけるイエス・キリスト再臨を預言した『ヨハネの黙示録』から、イエス・キリスト誕生のシーンに戻った…
「終わり」が「初め」に…
だからローザシャーンは笑ったのね(笑)
だけどこんなに美しくて面白いラストシーンを、ジョード家が再びトラックで旅に出るシーンに変えちゃった映画版は、ホントもったいないと思う。
当時は倫理的に難しかったんだろうけど…
確かに年寄り3人の並びは、かなり絵的に地味ね。
ローザシャーンの授乳のほうがインパクトもあるし、含蓄もあるわ。
ラストシーンはちょっと残念だけど、それ以外は映画版も素晴らしい出来栄えなんだよ。
特に冒頭シーンは、ジョン・フォードの天才的センスに脱帽するしかない。
この作品でアカデミー監督賞を獲ったのも納得だね。
冒頭シーンですか?
詳しく聴かせてください、教官!
うん…
でもまた話が長くなりそうだな…
いいじゃない。
もう『ライフ・オブ・パイ』の話もほとんど終わったんだから…
余談ついでに、やっちゃいなさいよ(笑)
そうよそうよ。
言いかけてやめられたら気になるでしょ?
そうだね。
じゃあ、素晴らし過ぎる冒頭シーンを解説して、『怒りの葡萄』の話は終わりにするとしよう…