《惚れっぽい私》は、いったい誰に惚れたのさ?~『夜想曲集』#1「 Crooner /老歌手」~カズオ・イシグロ徹底解剖・第49話
~~~ 三日目:夜 五島・福江島 ~~~
『恋フェニ』の衝撃の余韻がまだ収まらんわ…
ねえねえ、オイラ気付いたんだけどさ…
トニー・ガードナーがヤネクに「キーをEフラットまで上げてくれ」って言ったのって…
ジミー・ウェッブのことをほのめかしていたんじゃない?
なんでや?
だってホラ…
「Eフラット」は「E♭」って書くでしょ?
「Jimmy Webb」の中には「eb」が入ってる…
ああ!
「Vincente(ヴィンセント)」の中に「Venice(ヴェニス)」が入っていたのと同じだな!
ああ、ホントだ…
だから「Eフラット」にこだわっていたのか…
この手の仕掛けが、まだまだ他にもありそうだな。
あと、「Lindy Gardner」を並べ替えると「I derry England」となるね。
「derry」って何やねん?
さあ…
並べ替えたら何か「文章」っぽくなったから言ってみただけ…
「derry」とは「嫌悪する」という意味だ。
だから「Lindy Gardner」とは「私は英国が大っ嫌い」ということになる。
オーストラリアやニュージーランドの方言だがな。
ええ~!?
とんでもない短編小説だな…
まさかこんなアナグラムが隠されていたなんて…
ほとんど暗号小説の域だ…
いったいカズオ・イシグロは、この短編集で何をしようとしてるんだろう?
何か深い意味でも隠されているのだろうか…?
そろそろ2曲目の解説を始めようよ!
前回の最後に言い残した「2曲目は1曲目より、ある意味もっと凄い」が気になって仕方がない!
OK。
2曲目は『惚れっぽい私』だったね。
原題を『I fall in love too easily』という。
小説内では、この曲で有名なチェット・ベイカーの名が何度も登場するんだけど、もちろんこれはカモフラージュだ。
「イシグロの第1法則:実名で登場する著名人はすべてダミーである」だね!
第3くらいまでは法則があるんとちゃうか。
熱力学ばりに。
チェット・ベイカーでもなく、シナトラでもなく…
いったいイシグロはこの曲で誰のことを言わんとしているのだろう?
まずは歌を聴いてみましょう。
今回はイシグロの「指定」はないの?
うん。ないね。
たぶんイシグロは、この歌にそこまで深い思い入れはない。
ええ!?
なんでそんなことが言えるのさ!?
それはあとでゆっくり説明するとして、まずは歌を聴いてもらおう…
『惚れっぽい私』と言えば、彼女しかいない。
歌ってくれるのは、スペイン・バルセロナの天才女子高生アンドレア!
大御所スコット・ハミルトンによる、むせび泣くようなサックスソロの後には、アンドレアのトランペットによるソロもあるぞ!
《I FALL IN LOVE TOO EASILY》by Andrea Motis
Joan Chamorro Quintet featuring Scott Hamilton
イシグロがこの歌に思い入れが無いなんて…
彼女は、ベースを弾いてるジョアン・チャモロが主催する音楽教室の生徒で、13歳の時に「天才ジャズ少女」として鮮烈にデビューしたんだよね。
この音楽教室では小学生から高校生までの子供たちがジャズを学んでいてね、アンドレアの他にも多くのタレントを輩出してきたんだ…
SANT ANDREU JAZZ BAND THE FILM
あれだけ小説の中で『惚れっぽい私』について、むっちゃ話を展開しとったのに…
素人の集まりだったこのジャズ学校のバンドから、何人ものタレントが生まれてね。
まず最初に「歌姫」として注目されたのが、サックス吹きだったエヴァ・フェルナンデス。
ちょっと大人びた雰囲気が魅力の姉御肌の子でね、「わらべ」で言ったら長女の「のぞみ(高部知子)」みたいなタイプかな。
《After You've Gone》Eva Fernandez
JOAN CHAMORRO GRUP
信じられない…
まさかイシグロが『惚れっぽい私』に、そこまで思い入れがなかったなんて…
このエヴァと「ダブル歌姫」としてバンドを牽引したのが、最初に紹介したアンドレアなんだ。
そしてこの二人が高校生になって卒業間近になり、新たな「歌姫」として白羽の矢が立ったのが、それまでウッドベースを弾いていた地味子のマガリ。
《Hi-Fly》Magali Datzira
SANT ANDREU JAZZ BAND
シャイな性格で最初はパッとしない子だったんだけど、フロントに立ってるうちにメキメキ綺麗になっていってね…
「わらべ」で言ったら、あまり目立たない存在だった次女の「かなえ(倉沢淳美)」みたいなタイプかな…
《UNCHAIN MY HEART》Magali Datzira
SANT ANDREU JAZZ BAND featuring PERICO SAMBEAT
喩えがいちいち古くねえか?
美人姉妹って言ったら、清水美砂・牧瀬里穂・中江有里・今村雅美だろ。
そしてマガリも高校卒業間近になり、第4の歌姫として抜擢されたのが、トロンボーンを吹いていたリタ。
この子は愛嬌のある子でね、いつも笑顔を絶やさない小春日和のような子なんだ。
「わらべ」で言ったら、まさに末っ子の「たまえ(高橋真美)」タイプだね。
《How High The Moon》Rita Payes
JOAN CHAMORRO la magia de la veu
・・・・・
この音楽教室は小学生から高校生までの教室だから、高校を卒業したらバンドも卒業しなきゃいけないんだよね。
だからフロントを務めるメンバーが、毎年少しづつ変わっていくんだ。
だから「歌姫」も代替わりしていく…
まるで「AKB」みたいだよね。ジャズに特化した「バルセロナ版AKB」なんだ。
そして目下フロントを務めているのが…
さっきから何の話してんだよ!
え?
あ、ごめん…
僕はこのバルセロナの少女たちのファンで、遠く離れた日本からずっと活躍を見守っていたんだ…
だから思い入れがあってね…
あんたの思い入れじゃなくて、イシグロの思い入れの話だろ!
そうだった…
僕としたことが、つい...
では話を戻そう。
チェット・ベイカーの名演で知られる『惚れっぽい私』だったね。
「すぐに恋に落ちてしまう。何度も痛い目にあって学んだはずなのに、また同じことを繰り返してしまう…」
ただこれだけのことを歌っている歌だ。
まあ「恋愛」と「信仰」が重ねられてることは重ねられているんだけど、そこまで高度な技術で作りこまれたものではない。
なんでアメリカの昔の歌は「恋愛」と「信仰」が重ねられた歌詞が多いんだろう?
まあそもそも似たようなものだからね。アメリカに限らず世界各地でそれは共通してると思う。
ただアメリカはそれが顕著なんだ。
今もまだそういう人々は少なくないんだけど、当時は家庭で「軽薄なラブソング」を聴くことを禁止している家庭が多かったらしくてね…
ジミー・ウェッブの家もそうやったな。
恋愛のことだけを歌った歌詞だと、ラジオ局が嫌がったんだ。たくさんの人に聴いてもらえないからね。
だから作詞家は「恋愛」のことにも「信仰心」のことにもとれるように作詞する必要があったんだよ。
それに当時の有名作詞家たちの多くはユダヤ系だったしね。
幼い頃から旧約聖書を暗唱させられた彼らにとって、「恋愛」と「信仰心」を重ね合わせるのはお手の物だった。
旧約聖書とは言わば「神への愛」を歌ったものだからね。
なるへそ。
で、この『惚れっぽい私』なんだけど…
なぜイシグロがこの歌を選んだのかを考えてみたんだけど、こんな結論に行き着いた…
(;゜д゜)ゴクリ…
『惚れっぽい私』とは、イシグロ自身のことなんだよ。
ええ!?
この歌には…
イシグロが惚れた「二人の人物」が隠されている。
ふ、ふたり!?
お前ら、声がデカいぞ。
時間を考えろ、時間を。
い、いったい誰なのさ?
イシグロが惚れた二人って…
まさか、あの二人?
なんだか予想がつくんだけど…
ズバリ言っちゃおう。
この二人だ。
やっぱり~!
イシグロは、この二人の存在を匂わせるために『惚れっぽい私』を選曲したんだよ。
しかし何であの歌詞からこの二人が出てくるんや?
この二人は『惚れっぽい私』をカバーしとらんし、全然接点があらへん。
だから言っただろう…
「イシグロはこの歌自体に思い入れはない」って…
どないなっとんねん!
わけワカメや!
・・・・・
お、お前の妹のことちゃうで。
え?
確かこの歌はそもそも、第二次世界大戦末期に公開された映画の中で歌われていたものだったよな…
なんだったっけ、あの映画…
フランク・シナトラとジーン・ケリー主演の『錨を上げて』だね。
劇中、シナトラがピアノで『惚れっぽい私』を弾き語りするんだ。
Anchors Aweigh(1945)
ああ!
この映画ってジェリーとダンスするやつでしょ!?
どっかで見たことある!
「トムとジェリー」のジェリーとジーン・ケリーのダンスの共演は、当時の人々の度肝を抜いたんだ。
ドイツや日本が焼け野原にされてる頃にこんな映画を作ってるんだから、アメリカって国は本当にすごいよね。
戦う相手を間違ったよな。
どうでもええけど、どこにジュディ・ガーランドとボブ・ディランがおるっちゅうねん!
まあ、そんなに焦らないで。
夜はまだまだ長いんだから。
こんな調子でやっとったら、朝になるわ!
まだ第1話やろ!あと4話もあるんやで!
そうだね。じゃあテンポを上げていこう。
イシグロは、老歌手トニー・ガードナーに『惚れっぽい私』の思い出話を、かなり長目に語らせる。
旅先で立ち寄ったロンドンのホテルでの情事と絡めてね。
この『惚れっぽい私』が最初に歌われた映画『錨を上げて』も、同じようなストーリーなんだ。
こちらはシナトラとケリーが乗る軍艦がサンディエゴに寄港して、四日間の休暇で遊びに出かけたハリウッドでメイクラブする話だけど。
あの映画といえば、アメリカ海軍の有名なマーチが印象的だよな。
そもそもあの映画は、あのマーチをテーマにして作られたんだよ。
アメリカ海軍とタイアップした、あのマーチのための映画なんだよね。
映画のタイトル『Anchors Aweigh(錨を上げて)』とは、あのマーチの曲名なんだ。
あんな愉快な映画が、アメリカ海軍とのタイアップ映画だったのか!
そうなんだよ。
この映画は、アメリカが対ドイツ戦に勝利し、あとは極東の日本を残すのみとなった第二次世界大戦末期の「愛国映画」なんだよね。
主人公の二人が乗る軍艦は、対ドイツ戦勝利の束の間の喜びを楽しんだ後、日本への本土攻撃のために、勇ましく太平洋へと出陣していくんだよ…
だから、スタッフや出演者の中には「複雑な思い」を持つ者もいた。
この当時の全てのアメリカ人が
「アメリカ最強!日本をギッタギタに叩きのめせ!ウェ~ィ!」
となっていたわけではないからね。
政府や軍幹部にも、日本の本土への無差別爆撃や原爆使用に慎重論を唱える人がいたくらいだ。
・・・・・
だからシナトラは『惚れっぽい私』を、無名作詞家だったサミー・カーンに書かせたんだよね。
「我々は、また過ちを犯してしまう…」
という思いを込めて。
いわゆる「国威発揚映画」に駆り出された映画人に多いよな。
当局に気付かれぬよう、本心を密かに映画内で語るのだ。
「恋愛」のことを言ってるように見せかけたりしてな。
なるほど…
国歌がスポンサーだから断れないしね…
断ったら非国民扱いされちゃう…
さて、イシグロが『惚れっぽい私』を使ったのは、映画『Anchors Aweigh(錨を上げて)』を想起させるためなんだ…
この有名な海軍のマーチを想起させるためにね…
なんでやねん?
このマーチを作った人が、チャールズ・ツィマーマンという人だからだよ。
Charles A. Zimmerman(1861 – 1916)
ツィマーマン?
どっかで聞いた覚えがあるなあ…
ボブ・ディランの昔の本名やんけ!
ボブ・ディランは、ユダヤ名が「シャブタイ・ジズル・ベン・アブラハム・ツィメルマン」で…
ボブ・ディランと改名するまでは、法律上の本名が…
Robert Allen Zimmerman(ロバート・アレン・ツィマーマン)やった…
そうなんだよ。
ボブ・ディランと同じユダヤ系の苗字の人なんだよね。
この人は軍人なんで、当然本名を使って作品を発表していた。
だけど当時のユダヤ系の人たちの多くは「アメリカ風」の名前を使って活動していたんだよね。
ボブ・ディランも、それでこの芸名にしたわけだ。
一般社会では、名前がユダヤ系だと差別されちゃうから…
『日の名残り』の時に紹介した映画『紳士協定』やな。
ユダヤ系やとわかった瞬間に、それまで親しくしてた連中が一斉に、手のひらを返したように冷たくなるんや…
Gentleman's Agreement (1947)
当時の名だたる音楽家や俳優たちにはユダヤ系がたくさんいた。
特に音楽・演劇業界は、才能あふれる多くのユダヤ系の人々によって支えられていたんだ。
だけど彼らの多くは、本名を名乗れなかった。
アメリカ人に発音しづらかったということもあるけど「いかにもユダヤ系」という苗字だと仕事に差し障りがあったんだ。
国民の主流を占めるプロテスタントやカトリック系のアメリカ人からすると、ユダヤ系は「堕落した都市生活者」に見えたんだよね。
芸術とか金融とか「地に足が付いてない仕事」をしてて「同性愛者が多く不道徳」だと決めつけられていたんだ。
つまり「アメリカ的ではない」と思われていたんだね。
アメリカ人ってピュアだもんな。
これまでもそんなユダヤ系の偉大な芸術家をたくさん紹介してきたよね…
アル・ジョルソン、ガーシュウィン兄弟、『虹の彼方に』を作ったハロルド・アーレンとエドガー・イップ・ハーバーグ、『オズの魔法使い』『スタア誕生』の監督ジョージ・キューカー、『紳士協定』『スタア誕生』の脚本家モス・ハート…
そしてミュージカル映画黄金期を支えた偉大な三人、オスカー・ハマースタイン2世、ロレンツ・ハート、リチャード・ロジャース…
たくさんいるんだなあ。
そういえば、チーム『スタア誕生』は、みんなユダヤ系の人だったよね。
でも今は隠す必要は無いんでしょ?
アメリカ国内では、もうユダヤ人差別とか無くなったから。
そうだね。
むしろ近年では、ユダヤの血に誇りを持ち、ユダヤ系の苗字を前面に押し出す人も増えてる。
女優のウーピー・ゴールドバーグは本名が「ジョンソン」なんだけど、彼女はユダヤ系であることをアピールするために「ゴールドバーグ」という芸名にした。
日本もそうなるとええな。
ゴダイゴが1979年に「名前、それは燃える生命(いのち)。ひとつの地球にひとりずつひとつ」と歌ってから、もう40年近くが経つんだけどね…
「ボブ・ディラン」が『惚れっぽい私』の中に隠されていたことはわかったけど、ジュディ・ガーランドはどこなの?
実は、海軍マーチ『Anchors Aweigh(錨を上げて)』を作曲したチャールズ・ツィマーマンは、ミュージカル『オズの魔法使い』のオリジナルスコアの作曲者でもあるんだよ。
ま、マジですか!?
1900年に『オズの魔法使い』を発表したフランク・ボームが、自ら手掛けたミュージカル版の作曲者のひとりなんだよね。
ちょっとWikipediaからスクショで証拠をお借りします…
ああ、ホントだ!
チャールズ・ツィマーマンは、米国海軍アカデミーで海軍楽団の音楽監督を務めていたんだけど、『オズの魔法使い』のミュージカルにも参加していたんだ。
実に多才で柔軟な人だったんだね。
イシグロは、ここに目を付けたんだと思う。
映画『錨を上げて』を暗示すれば、チャールズ・ツィマーマンという名が浮かび上がって来る…
そうすれば、ボブ・ディランとジュディ・ガーランドの二人にも辿り着くことができる…
なんてこった…
実に手の込んだ隠し方だよな。
もはや変態的だ。
隠すほうも、見つけるほうも。
褒め言葉として受け取っておきます。
しっかし、驚いちゃったなあ!
2曲目にはこんな仕掛けがあったなんて!
この調子じゃ3曲目はもっとトンデモナイことになってそうだ!
そうだね。
じゃあ最後の歌『ワン・フォー・マイ・ベイビー』の秘密を教えてあげよう…
(;゜д゜)ゴクリ…
——つづく——
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