「深読み INCEPTION(インセプション)㉔」(第222話)
前回はコチラ
2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
『部屋とYシャツと私』の「部屋」は「ストーカーの部屋」という意味が、やっとわかりました…
どちらもイエスが埋葬された墓室のことだった…
その通り。
『ストーカー』では登場人物があの「部屋」を殊更に特別視する。
地上で最も重要な場所、奇跡を起こす空間だとね…
しかしあれは、どこにでもある「ただの部屋」に過ぎない。
奇跡を起こすのは「部屋」ではなく「DOG」の姿をしたGODだ。
考えてみれば当たり前のことですね。
『インセプション』の「コマ」と同じこと。「夢と現実を区別するためのトーテムだ」と何度も言われるから、見ている方もついついそう思い込んでしまう…
本当は、コマが回る面の滑らかさの違いによって、回転持続時間が異なっていただけなのに…
表面に小さな凸凹があればコマの回転時間は短く、表面がツルツルならば安定して長く回り続ける…
でもストーカーの先輩は「部屋」で願望が叶っちゃったんでしょ?
口で言った願いとは別のものだけど…
あっ、そうでしたね…
「死んだ兄弟を蘇らせてくれ」と願ったけど、兄弟は生き返らなかった…
その代わりに、なぜか自分がお金持ちになってしまい、気が狂って自殺してしまう…
なぜそんな簡単な誘導に引っ掛かるかな?
先輩ストーカーがお金持ちになったのは「部屋」のせいではない。
え?
彼がお金持ちになったのは、日々「お金持ちになりたい!」と強く思いながら暮らしていたからだ
強い思いは現実になる。日頃から意識していないことは実現しない。
ただそれだけのこと。
あの先輩ストーカー…
ストルガツキー兄弟の原作小説では、ゾーンから持ち帰った物を高値で売りさばいていたのよ…
そりゃお金持ちにもなるわ(笑)
なるほど…
強く願っていたから、実際に、それが行動に表れていたんですね…
ちなみに、主要登場人物のひとり「WRITER(作家)」は、映画の全編にわたって重要なセリフを語り続ける。
主人公「ストーカー」より、論理的な「教授」より、あの「作家」のセリフが最も物語の本質を突いている。
登場シーンから退場のシーンまで、彼のセリフは一言一句、物語を読み解くためのヒントになっているんだ。
ヒント?
そういえば…
あの「部屋」を前にして、こんなことを言っていました…
「この部屋は願いを叶えてくれる部屋なんかじゃない。人が抱いている願望を現実の形にしてしまう部屋なんだ」
だけど最も重要なセリフは、彼の登場シーンでのもの。
映画のテーマの核心部分を、さりげなく語るんだよね。
核心部分?
「作家」は謎の女と比喩だらけの会話をする。
まずは「現代の三角形(トライアングル)は味気ない」という喩え話から始まり…
科学や思想による人類の進歩に疑問を呈し、現代社会の薄っぺらさを嘆きながら、こんなふうにボヤくんだ…
「中世は良かった。大聖堂には神がいて、家には聖霊がいた。そして人はエネルギーに満ちていた。現代社会は退屈きわまりない」
ん? これって…
そしてゾーンから帰って来て、アジトのバーで解散する際...
夫を迎えに来たストーカーの妻とこんな会話をする…
ス妻「その犬、御自宅に連れて帰られては?」
作家「うちにはもう5匹もいるんだ」
ス妻「それはそれは。良いことですね」
あっ…
「大聖堂」とは、ゾーンにあった廃墟の建物のこと…
そこにいる「神」と、家にいる「聖霊」とは、GODがDOGに姿を変えたあの「犬」のこと…
そして「人はエネルギーに満ちていた」とは…
少女が「犬」の傍らで強く思ったことにより起きた奇跡…
「作家」の言う通りになってるじゃん…
だからベートーヴェン交響曲第九番第四楽章『歓喜の歌』の「あの部分」が流れたのです…
この名演の3分50秒からの部分が…
時勢が無情にも引き裂き、切り離されていたものが…
再び、結び合わせられる…
虚無感に覆われていた家に…
「神」が姿を変えた「聖霊」がやって来て…
「人の子」は再びエネルギーに満ち溢れる…
というオチだ。
「復活」ね…
まさしく歓喜の歌…
まさかあの深遠な映画のオチが「GOD」と「DOG」というベタな駄洒落だったとは…
「オチが英語のダジャレ」というのは、ストルガツキー兄弟の原作小説を踏襲したものなんだよ。
え?
映画『STALKER』の原作『Roadside Picnic』のラストシーンはこう…
主人公REDの相棒アーサーが、願い事を叶えてくれる「至高の玉」まであと一歩に迫ったところで、「肉挽機」によって肉体をバラバラにされてしまう…
至高の玉?
そう。原作では「部屋」ではなく「玉」なんだ。
願い事が叶う玉って、なんだかドラゴンボールみたい…
鳥山明は『ストーカー』のファンなのかもしれないわね。
悟空もストーカーの子供と同じ「猿人間」だし(笑)
主人公REDは、猿人間として生まれた娘モンキーを正真正銘の人間にしてもらおうと密かに考えていて、そのために邪魔なアーサーを文字通り「生贄」にした。
肉体がバラバラになる直前、アーサーは自分の願い事を叫ぶ。
そしてアーサーの死と引き換えに玉のところまで辿り着いたREDは、自分の願い事「猿を人間に」と言おうとするが…
思わず、別の願い事を口にしてしまう…
まさか…
誰が下ネタだと言った?「英語のダジャレ」だと言ったよね?
主人公REDは、アーサーが死の直前に叫んだ願い事を、思わず口にしてしまったんだ。
こんな願い事を…
「HAPPINESS FOR EVERYBODY, FREE, AND MAY NO ONE BE LEFT BEHIND !」
「すべての人に幸福を!束縛なく!そして誰も取り残されないように!」
これのどこが駄洒落なのですか?
「LEFT」は「LEAVE」の過去分詞形であると同時に「左」でもある。
「至高の玉」「バラバラになる肉体」、そして「誰も左側には居ない 」…
つまり「右側には居る」といえば…
あっ!
『聖三位一体』
アントニオ・デ・ペレーダ
そういうこと。
ちなみに…
「大江版ストーカー」とも言える大江健三郎の連作小説『静かな生活』のオチも、まさかの駄洒落…
え?
大江健三郎は、タルコフスキーの映画だけではなく、ストルガツキー兄弟の原作小説も読みこんで『静かな生活』を書いた。
大江はとても研究熱心な文学者のようだから、あの映画も原作小説もオチが駄洒落になっていることくらい、すぐに気付いたはずだ。
だから作品に敬意を表して、それを自作で踏襲したというわけ…
Kenzaburō Ōe
確かラストシーンは…
語り手のマーちゃんが書いていた日記に、兄のイーヨーが別のタイトルをつけるのよね…
もっと相応しいタイトルがあるはず、って…
マーちゃんがつけた元々のタイトルは『家としての日記』でした。
それにイーヨーが『静かな生活』という名前をつけます…
これがダジャレなのですか?
『家としての日記』とは『イエスとしての日記』という意味…
そして『静かな生活』とは「静(せい)生活」…
これは「聖生活」の駄洒落であり、「イエス・キリストの公生涯」のことを指す…
「静」と「聖」の音読みの駄洒落ってこと?
作中でイーヨーには「漢字を音読みにした言葉遊びが好き」という伏線が張られていた。
音読みの駄洒落によって「人間イエスとしての日記」が「聖人キリストの生活」に変わる…
これが連作小説『静かな生活』のオチだ。
まさか…
遠藤周作の名著『イエスの生涯』と『キリストの誕生』みたいじゃな。
ちなみにマーちゃんとイーヨーの父は「キリスト者ではない自分にとって《祈る》という行為の意味とは?」という考えに取り憑かれておった。
あの父は大江自身のことじゃな。
ですね。
さて、大江健三郎の話はこれくらいにして、詩篇48と『インセプション』の話に戻りましょう。
次は第7節です。
Psalm 48: 7 Thou breakest the ships of Tarshish with an east wind.
汝は破滅させる、ターシッシュの船団を、東風と共に
って感じ?
『ストーカー』では、「ゾーン」に侵攻した「ソ連の戦車団」として再現されていた。
ソ連は「東」側…
そしてもちろん『インセプション』でも再現されている。
しかもノーランは、タルコフスキーよりも鮮やかに再現してみせたんだ。
わかるかな?
そんなのあったっけ? どこのシーンで?
詩篇48第1節は、冒頭の海岸シーンだったでしょ?
第2節以降もそのまま冒頭の続きになっているんだ。
つまりサイトーを騙すための夢のシーンに…
えーと…
「小高い山の上の城塞」の描写の次は…
第3節「神は城塞の聖所にお隠れになっていた」でしたっけ…
これは「神」と「紙」の駄洒落だね。
サイトーの「黄金の間」の金庫の中に隠されていた機密文書。
は? 日本語の駄洒落?
だって城の主サイトーは日本人だよ。
それにタルコフスキーもストルガツキー兄弟も、大の日本びいきだった。
作品の中でよく「日本ネタ」を使っていたんだ。
タルコフスキーの代表作『惑星ソラリス』の撮影時、タルコフスキーは大阪万博でのロケを望んだけど許可が下りなかった…
新幹線と大阪万博の建物を「未来都市」として使うプラン…
だから代わりに東京の首都高を延々と走る映像を使った…
そんな過去が…
そして詩篇48第4節はこう…
4 For, lo, the kings were assembled, they passed by together.
見よ!地上の王を称する二人の者がコンビを組んでやって来た…
まさに自信満々サイトーの城へやって来た、エクストラクター(情報泥棒)界の雄、ドムとアーサーだ。
そのまんまね…
そして第5節…
5 They saw it, and so they marvelled; they were troubled, and hasted away.
彼らはそれを見、彼らは驚き、彼らはトラブり、そして慌てて立ち去った
ドムは金庫の書類を盗み見ることに成功するが、相棒アーサーがサイトーとモルに捕まってしまい、慌てて「城の夢」から立ち去った…
これも、そのまんまですね…
第6節は?
ドムたちを襲った恐れや苦しみはわかるけど「陣痛の際の女」って?
唯一の女性モルは全然苦しがっていなかったわ。
6 Fear took hold upon them there, and pain, as of a woman in travail.
アーサーがモルに足を撃たれた時のことでは?
すっごく痛そうでした。
確かにあの顔は陣痛レベルだけど…
これじゃないんだな。
ノーランは、もっとダイナミックに「陣痛の際の女」を再現している。
どうやって?
ドムは、痛みに苦しむアーサーを安楽死させ、夢から脱出させた。
ではドムはどうやって夢から脱出した?
1つ上の階層で、見張り役をしていた仲間ナッシュが…
椅子に座って眠っていたドムを、そのまま湯船に突き落としました。
あのポーズは、何のポーズ?
ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』ですよね。
そうだけど、そうじゃない。
は? じゃあ千尋?
あの世界でドムが水の中に浸った時、サイトーの城ではどうなった?
えーと…
階段の間に立つドムの前方が、ぼんやりとした光で覆われてきて…
その直後、大量の水が窓を突き破って勢いよく流れてきました…
まるで、巨大な水風船が、破裂したかのように…
これが詩篇48第6節の「陣痛の際の女」だ。
はい?
あの「階段の間」は「子宮」になっているんだよ…
左右の「欄干のある階段」は…
子宮の左右に伸びる「卵管」が投影されたものだ…
欄干と卵管? またダジャレ?
じゃあ…
そこからドムが見た「前方のぼんやりとした光」と…
直後の「勢いよく流れ出す水」は…
ノーランは「陣痛の際の女」を…
「破水」という形で再現したんだね…
やられた…
詩篇48の再現のために、ここまで…
まさに「途方もない考えに取り憑かれた男」じゃわい。
『A man possessed of some radical notions』
Christopher Nolan
そして第7節。
こちらもタルコフスキー以上に完璧な形で再現されている。
固有名詞までもが…
7 Thou breakest the ships of Tarshish with an east wind.
汝は破滅させる、ターシッシュの船団を、東風と共に
この「ターシッシュ」も再現されてるってこと?
ひとりは、サイトーのアパートメントの中で、ドムを湯船に突き落とした、見張り役のナッシュ…
「ひとりは」って? もう一人いるの?
見張り役は、もうひとりいたよね?
日本人の少年ですか?
もう1つ上の階層、新幹線のキャビン内で見張り役をしていたタダシ…
その通り。
ノーランは「ターシッシュ」を、二人の見張り役で再現した。
「タダシ」と「ナッシュ」で「ターシッシュ」…
まさか… そんな馬鹿な…
嘘のようだが本当の話だ。
ついでにいうと「an east wind」も「新幹線」で再現されているよね。
あれは東京発の「のぞみ」だった…
東から西へ向かう弾丸列車…
つまり東風…
確かに…
そして「東風」といえば…
無実の罪を着せられて、我が家を離れ、西へ向かう主(あるじ)…
は?
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
無実の罪を着せられて、京から太宰府へ行くことになった菅原道真だよ。
『インセプション』のドムも、妻殺しという無実の罪を着せられて、ロサンゼルスから東京へ向かった…
「主のいない春」って何だか意味深… 偶然でしょうが…
そこまで「東風」にこだわる必要ある?
イギリス人の文学オタク、クリストファー・ノーラン的には重要だ。
そういえば…
アーサー・コナン・ドイルの名探偵シャーロック・ホームズ・シリーズの、最後のセリフも「an east wind」だったような気が…
その通り。
ホームズ最後の事件、第一次世界大戦前夜のスパイたちの暗躍を描いた『最後の挨拶』のラストシーンでのセリフ…
"There's an east wind coming, Watson."
「東風が来るね、ワトソン君」
しかし相棒ワトスンは、その意味がわからなかった…
そう。だからホームズは説明をする。
「an east wind」とは「神の風」、つまり、かつて神がターシッシュの大船団を壊滅させた東風のような、すべてを破壊し尽くす恐ろしい風が吹き荒れるだろうと…
想像を絶するような試練が我々を待ち受けているとホームズは預言するんだね…
そして、大破壊の後には「希望」が待ち受けているとも…
なんか『インセプション』っぽい…
LIMBOの世界は恐ろしい強風で壊滅したし…
ホームズ最後のセリフにも使われた「an east wind」とは詩篇48が元ネタで「とてつもない破壊・試練」という意味。覚えておこう。
はい、教官。
さて、詩篇48もいよいよ後半。
次は第8節だね…