ゆっくり深読み 中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』その33「大林宣彦&横溝正史の 金田一耕助の冒険」
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A MOUSOU
(本作品は著者の身体に憑依した横溝正史の霊が世間で駄作の烙印を押されている大林宣彦の映画『金田一耕助の冒険』を種明かしするという妄想です。ネタバレどころか横溝文学の秘密の核心部分にも踏み込みますので予め御了承ください)
落語『宮戸川』のあらすじで何か気づくことって、何ですか?
では、この絵を見ながら『宮戸川』を聞いてごらん。
夏目漱石が『三四郎』の中で「森の女」と呼んだ、フラ・アンジェリコの『受胎告知』を見ながら…
ん?
ここまで言ってもまだ気がつかないのか。
それならこっちの方が、もっとわかりやすいかもしれない。
名人 古今亭志ん朝の『宮戸川』だ。
落語本編だけじゃなく、マクラ(枕)の内容もよ~く考えてみろ…
え…? ちょまて…
これって、まさか…
いや… そんなはずがない…
ふふふ。いま君が感じていたことは間違いではない。
落語『宮戸川』は、フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』が元ネタ。
あの絵に描かれた内容を、別の形にしたものなのだ。
う、嘘だろ?
絵に描かれていることを落語にしただって?
別に驚くことではない。
落語家とは日本の吟遊詩人のようなもの…
落語家や吟遊詩人は、たくさんの言葉を巧みに紡いで、人々に大切な何かを伝える…
庵野秀明のTVアニメ『エヴァンゲリオン』のエンディング曲『FLY ME TO THE MOON(私を月に連れてって)』のマクラ、導入部でも説明されていることだな。
Poets often use many words to say a simple thing…
It takes thought and time and rhyme to make a poem sing…
With music and words I’ve been playing…
for you I have written this song…
To be sure that you known what I’m saying
I’ll translate as I go along…
ということで、この私が君のために『宮戸川』を翻訳してあげよう。
は、はい… ありがとうございます…
ていうか、何なんだ、この展開は…
まずはマクラから。
どんな話から始まっていたかな?
えーと…
落語は、話す方も聞く方も、ボンヤリしてるのがいいということ…
そう。
この落語は「頭だか尻尾だか訳のわかんないこと」であり、それをボンヤリと喋って、ボンヤリと聞くところがいい。
古今亭志ん朝はそう切り出している。
頭だか、尻尾だか…
喋る方も聞く方も、ぼんやり…
あっ!
おお、さすがに気付いたかね、クリス君。
「頭だか尻尾だか訳のわからない」とは、夏目漱石が小説『三四郎』を書くきっかけとなった森田草平と平塚雷鳥の心中未遂事件が起きた那須塩原「尾頭峠」のこと!
そして「喋る方も聞く方もボンヤリしてるのがいい」とは、里見美禰子がモデルの絵『森の女』を評した「彽徊趣味」のこと!
なぜそこで夏目漱石『三四郎』が出て来る?
落語『宮戸川』が出来たのは『三四郎』が書かれるよりも前のことだよ。
あ… そうか…
では、いったいマクラの冒頭は何を…
落語『宮戸川』とはフラ・アンジェリコの絵『受胎告知』を in other words したもの。
だから「頭だか尻尾だか訳のわからない話」なのであり「喋る方も聞く方もボンヤリしている」のだ。
喋る方も、聞く方も、ボンヤリしている…
つまり…
薄暗く描かれた天使ガブリエルと聖母マリアのことですか?
その通りだよクリス君。
これでもう「頭だか尻尾だか訳のわからない話」の意味もわかるだろう?
天使ガブリエルと聖母マリアの間に書かれた「三行の文章」は…
真ん中の一行だけ文字の上下が逆さまになっていて、読む向きが反対になっている…
だから「頭だか尻尾だか訳のわからない話」…
その通り。
だから私の『犬神家の一族』の殺人トリック「斧琴菊(よきこときく)」も、1つだけ逆さになっているのだな。
ヨキが逆さの佐清(スケキヨ)で表されていたのは、そういうことだったのか…
ふふふ。
そして、この天使ガブリエルと聖母マリアの会話には、もう1つの「頭だか尻尾だか訳のわからない話」がある。
わかるかな?
もう1つ? 何でしょうか?
あの場面で交わされる会話の内容はこうだったね。
ガブリエル「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子はインマヌエル、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが男の子を身籠った。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」
マリア「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」
天使ガブリエルは「天の父・聖霊・子」つまり「三位一体の神」を説明し、処女マリアは自分を「はしため」つまり神の「しもべ」だと受け入れます。
そう。神(かみ)とは「上(かみ)」のことであり、はしためは漢字で「端女」、しもべは「下僕」という意味。
つまりあの会話は「上」と「端・下」の話になっている。
あっ… 頭だか尻尾だか訳のわからない話…
そういうこと。
そして志ん朝は、大学の落語研究会の学生の話をする。
話を喋っている落語家の目の前に座り、ノートを取りながら真剣に話を聞いているので、まるで取り調べを受けているようだと。
これは何を in other words しているのか、わかるかな?
話を喋る人の目の前に座り、ノートを取っている学生さん?
まるで取り調べのように?
マリアのことだよ。
喋っている落語家の話を真剣に聞きながら「ノート」を取る真面目な学生さんように見えるだろう?
ああ、なるほど… 確かに膝上の旧約聖書が…
そして志ん朝は次に「間抜け」について話す。
落語家は世間の人々から「間抜け」だと馬鹿にされるけど、それは意図的に「間抜け」を演じているだけ、と。
間抜け…
そういえば夏目漱石の『三四郎』では、美禰子の絵『森の女』を評する際に「間が抜けた/抜けない」で議論していた…
なぜ『三四郎』でも『宮戸川』でも「間」の話になるんだろう?
簡単だよ。
『三四郎』と『宮戸川』の元ネタになった絵『受胎告知』の作者フラ・アンジェリコがイタリア人だからさ。
は? フラ・アンジェリコがイタリア人だから?
どういうことですか?
フラ・アンジェリコのフラ(Fra')とは「兄弟」を意味するイタリア語「frate」の略だったな。
ええ、そうですけど。
英語で言うところの「ブラザー」、つまりフラ・アンジェリコを英語に直訳すればブラ・エンジェリック。
ブラ・エンジェリックって、何だか「天使のブラ」みたいだな。
ちなみに本名はグイード・ディ・ピエトロ (Guido di Pietro)です。
しかし肝心のイタリア人はフラ・アンジェリコをフラ・アンジェリコと呼ばない。
イタリア人は「ベアート・アンジェリコ」と呼ぶ。
「神に祝福された」とか「神の庇護をうけた」という意味のイタリア語「ベアート」をつけて。
だから漱石は『森の女』の「間が抜けた/抜けない」の話で「鼓」を持ち出した。
フラ・アンジェリコはイタリアでベアート・アンジェリコ?
でもなぜその名前だと「鼓」なのですか?
ベアートはアルファベットで「BEATO」と書く。
BEAT(ビート)が O(ゼロ)だから漱石は「間の抜けた鼓」に喩えたのだな。
そういう頓智だったんですか…
それにしても、なぜイタリア人は Fra Angelico と呼ばずに Beato Angelico と呼ぶのでしょう?
単純な理由だ。紛らわしいからだよ。
紛らわしい? 何が?
通常、イタリア語で「fra」と言えば、「兄弟」の略ではなく「別のもの」を指す。
「~後」とか「~間」という意味の前置詞「fra」だ。
イタリア語で「fra」は「~後」や「~間」?
だから『宮戸川』のマクラや『三四郎』には「間」の話が出て来る。
元ネタが Fra Angelico の絵だから。
なんてこった…
では、その次に語られる「時代は少しずつ変わるのではない。ある出来事をきっかけに突然変わる」というお年寄りの証言も…
時代を一変させた出来事を、志ん朝は「電気」だと言った。
それまでの夜は本当に暗くて、人々は提灯や行燈のわずかな灯りを頼りにしていた。
自分の周囲を少しだけ照らす程度の灯りに頼っていたんだね。
しかし人類が「電気」を作ったことで、時代はガラリと変わったという。
時代は、徐々にではなく、ある時を境に、一気に変わった…
夜の闇を明るく照らす「電気」を、人間が作ったことで…
そう。まさにビリー・エリオット(リトルダンサー)の『Electricity』だな。
「電気」は人間や世界を一変させる不思議な力…
そして「電気」は白い鳥…
あっ!
ふふふ。やっとわかったかね。
フラ・アンジェリコの『受胎告知』最大の特徴は、人類が原罪を背負うことになった失楽園と、それを打ち消すための贖いの小羊の受胎が、一枚の絵の中に描かれていること。
つまり、創世記から始まった長くて暗い旧約時代が、この世のすべてを照らす「光」の出現により一夜にして変わったことを、一枚の絵で表現しているわけだ。
かつて世界を一夜にして変えた「電気」とは…
光り輝く白い鳩の姿をした聖霊…
だから『宮戸川』では「雷」が重要な意味を持つ。
雷は「神鳴り・神成」とも書き、カミナリは「神なり」つまり「神である」という意味にもなっている。
カミナリは、神鳴り、神である…
なぜこんな単純な駄洒落に気がつかなかったんだ…
とてもシンプルなことを伝えるために、詩人や落語家はたくさんの言葉を使って話をする。
つまり『宮戸川』は『私を霊岸島の伯父さんの家へ連れてって』だな。
Fly me to the Uncle's house in REIGANJIMA(笑)
それでは「霊岸島の伯父さん」とは…
決まってるだろう。
私が短篇集『金田一耕助の冒険』の『瞳の中の女』で「百円紙幣」に喩えた人物だ。
肖像画の板垣退助と同じく、立派な二又あごひげをしている。
預言者イザヤ…
それでは『宮戸川』の本編を translate、翻訳しようか。
つづく
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