「ガーランド、ケルアック、ディラン」①:カズオ・イシグロ『日の名残り』徹底解剖・第29話
~~~ 三日目・朝 福岡 ~~~
ホンマにディランの『NEW MORNING』は、ジュディ・ガーランドへのオマージュなんか?
BOB DYLAN『NEW MORNING』(1970)
ああ、間違いない。
ディランはジュディ・ガーランドに深い敬意を抱いていたに違いない。
Judy Garland(1922‐1969)
そして『NEW MORNING』は、ディランにとって、もうひとりの「重要な人物」に捧げられたアルバムでもある…
もうひとり!?
その人物は、ジュディ・ガーランドと同じ年に生まれ、同じ年に亡くなった…
ディランが10代の頃に最も影響を受け、そして20代の頃に最も共感していた人物…
それは、ジャック・ケルアック…
Jack Kerouac(1922‐1969)
『NEW MORNING』というアルバムは、1969年に亡くなった「ディランにとって重要な人物」である二人、ジュディ・ガーランドとジャック・ケルアックに捧げられた作品だったんだよ…
二人の人物に捧げられた…?
そうなんですよ、カワサキさん。
イソグロやろ。
1967年、ディランは26歳の時にアルバム『ジョン・ウェズリー・ハーディング』を発表。その中で「ユダヤ人としての自分の立ち位置」を表明した。
第三次中東戦争、いわゆる「六日間戦争」を受けてのことだった…
『JOHN WESLEY HARDING』(1967)
このアルバムにおいてディランは、『Dear Landlord』や『I Pity The Poor Immigrant』といった曲の中に、イスラエルとユダヤ人へのメッセージを忍ばせた。
「占領地からの撤退という国連勧告を無視してまで領土を広げ、アラブ人をパレスチナから追い出すのは間違ってる」
というメッセージを…
第24話の最後のほうで紹介したね!
しかしその後は、この問題に全く触れなくなった。
アーティストや文化人、セレブリティの間で「イスラエル積極支持派」と「消極支持派」の対立が激しくなってきて、ディランはそこに巻き込まれるのが嫌になったのかもしれない。
しかもこの頃は、泥沼化したベトナム戦争への反戦運動も激しくなっていた。それがヒッピームーブメントと混じり合い、多くのアーティストがその流れに乗り「ラブ&ピース」を叫んだ。当然影響力のあるディランにも、多くの人の期待が集まった。だけどディランは明確なメッセージを発しなかった。
1963年の公民権運動の時も、ディランは「プロテストソングの貴公子」として左派に担がれるようになり、すぐに距離を置いたよね。「何かを期待される」というのが苦手なんだろう。
そしてこの頃は、サラ・ラウンズとの新しい生活が始まった頃でもあった。
家族との時間を静かに過ごしたいという思いもあったのかもしれないね。
そしてディランは1969年の4月にアルバム『ナッシュビル・スカイライン』を発表する。これにはファンの誰もが驚いた。
ディランが満面の笑顔で、カントリーソングを歌うアルバムだったから…
『Nashville Skyline』(1969)
めっちゃ爽やか(笑)
そしてすぐに次回作『セルフ・ポートレイト』に取り掛かる。これまでは決して歌わなかったようなポピュラーソングを多数カバーした二枚組のアルバムだ。
『SELF PORTRAIT』(1970)
アルバムタイトルといい、自筆の肖像画といい、まるでディランが「今までのは作られた自分。こっちが本当の自分だよ」と言っているかのようだよね。
録音もこれまでずっと続けていたニューヨークのスタジオではなく、前作からテネシー州ナッシュビルで行われていた。
そして「1969年」を象徴するロックイベント「ウッドストック」にも出演しなかった。
きっと「様々な雑音」から距離を置きたかったんだと思う…
そんな中で、ジュディ・ガーランドとジャック・ケルアックが亡くなったのだ。『セルフ・ポートレイト』の録音中にな。
ほとんどのロック音楽ファンには大した出来事じゃなかったが、ボブ・ディランにとっては大変な「事件」だった。
おそらく『セルフ・ポートレイト』の録音中に、この二人への思いを込めた歌作りを始めたのだと思う。
だからナッシュビルで『セルフ・ポートレイト』を録り終わるとすぐにニューヨークのスタジオに向かったのだ。
この二人への「追悼アルバム」である『ニュー・モーニング』を作るために…
ちょい待て。
ジュディ・ガーランドはともかく、「ケルアックの死」はロックファンの間でも大事件やったんとちゃうか?
代表作『On the Road(路上)』(1957)は、60年代に青春を過ごしたロック世代の「バイブル」やろ。
ジャック・ケルアック『ON THE ROAD』
(@Amazon)
確かにケルアックの『路上』は、あの時代の若者たちの「バイブル」だった。
多くの人が『路上』の世界に憧れ、一生懸命『路上』の登場人物の真似をしていた。
主人公サルの真似とかね。
まさにサル真似やな。
そして人々はケルアックを「ビート・ジェネレーション」のカリスマとして見るようになり、「ビートニクの聖人」のように祀り上げ始めた。
しかし当の本人であるケルアックは、それを嫌った。
自分は「ビートの王」だけど、「ビートニク」ではない…とね。
どゆ意味?
つまり…
「私個人を崇拝するな。ビート・ジェネレーションの物語を書かせたら私は王者だが、作品は結局のところ作品に過ぎず、私の全てを物語るものではない」
ということなんだ。
なんかディランと被るな…
ケルアックという人は、50年代終わりからの「ビート・ムーブメント」の中心的存在だったのにもかかわらず、カリスマ視される自分に強い違和感を抱き続けていた。
広いアメリカ大陸を目的もなく放浪しながら「セックス・ドラッグ・ジャズ」の日々に明け暮れる「ビートの聖人ケルアック」像にね。
実をいうと、彼はそれほど「路上」にはいなかった。多くの人が持つイメージとは違い、ケルアックはそんなに放浪生活を送っていなかったんだよね。
そうなの!?
あれは人々が作りだした「ケルアック像」だったんだよ。
彼は「ネタ作り」の旅が終わると、母のいる実家に戻り、創作活動をしていた。お母さん大好きっ子だったんだ。
なんかイメージと違う!
『路上』と「ビートニク」のイメージばかりで語られるからね。
だから『路上』で一躍スターになったにもかかわらず、彼は「世間の求めるケルアック像」と「本当の自分」の間のギャップに悩み始める。
というのも、彼が生まれ育ったのは、フランス系アメリカ人コミュニティにどっぷり染まった敬虔なカトリック教徒の家庭だった。家庭でもフランス語が使われており、ケルアックは小学校に入るまで英語を話せなかったくらいなんだ。
特に大好きな母は終生「英語&プロテスタント」という「アメリカ社会」に馴染めなかった。だからケルアックには、引き籠りがちだった母のそばにいてあげたいという思いも強かったみたいだね。
そういうわけで「既存の価値観に従わない」という「ビートニク的で破天荒な生き方」と、ケルアックの中にある「カトリック的で保守的な生き方」の矛盾はどんどん大きくなった。
そしてウィリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグなど、ビートニク作家と距離を取り始める。「自分は彼らみたいにはなれない」とね。
ケルアックは、バロウズみたいに狂えなかったし、ギンズバーグみたいにうまく立ち回れなかった。なぜならば、彼の中には「カトリシズム」という強い土台があったからなんだ。
そして1960年に『Lonesome Traveler(孤独な旅人)』を発表する。
この本の序章で、ケルアックはついに「自分はビート作家だけど、ビートニクではない」と宣言する。読者に対して自分を「ビートの聖人扱いするな」と求めた。
そしてこんな風に自分を表現した。
「私はただの孤独な変人に過ぎない。頭がイカれたカトリックの神秘主義者だ」
マジで!?
だが、「ビートニク」に憧れる人々は、ケルアックの言葉を「正確に」読んではくれなかった。そして出版社も、ケルアックが「ビートの聖人」であることを欲した。そのほうが「売れる」からだ。
こうして人々はケルアックのメッセージを受け止めず「カリスマ」として崇め続けた。
失望したケルアックは、どんどん世間と距離をおくようになる。
『孤独な旅人』の序章には、こんなことも書いていたな。
「人生のプラン:森の中でひっそりと隠遁生活をおくり、楽園のような老境の日々と、いずれ行くことになる天国についての本を書く」
どんだけ孤独を求めていたんだ!
ケルアックは若い頃から、自分の時間を出来る限り「思索」に充てたいと考えていたようだ。自身のルーツでもある「カトリシズム」についてね。
だから『孤独な旅人』は、それを色濃く反映したものとなっていた。
世間的には「書かれた時代もバラバラな未発表の短編を集めた作品」となっているけど、それは間違いだ。
ケルアックには明確な意図があった。
多くの人が、それを読み取れていないだけなんだよ…
ど、どういうことだ…?
『孤独な旅人』は、以下の8篇の短編から構成されている。
"Piers of a Homeless Night"
『故郷なき者達の夜の桟橋』
"Mexico Fellaheen"
『メキシコの農民達』
"The Railroad Earth"
『鉄道の大地』
"Slobs of the Kitchen Sea"
『キッチンの海の野蛮人達』
"New York Scenes"
『ニューヨーク・シーン』
"Alone on a Mountaintop"
『山上の孤独』
"Big Trip to Europe"
『ヨーロッパへの大いなる旅』
"The Vanishing American Hobo"
『消えゆくアメリカのホーボー』
バラバラの話にしか見えないが、ここに「意図」が隠されてるのか?
実はこの8篇って「使徒ペトロの物語」になっているんですよね。
師であるイエスが磔になり、そこからローマへ赴き、各地に散らばった弟子たちをまとめ上げ、初代ローマ教皇となった、ケファ(石)ことシモン・ペトロの物語。
Petrus(?‐ 67?)
ハァ!?
しかも逆回転再生だよ。
第8章『消えゆくアメリカのホーボー』が「イエスの死・不在について」で…
第1章『故郷なき者達の夜の桟橋』が「ローマでのペトロの殉死」なんだよね…
マジか…
ところで、気付いたかな?
「アメリカ人の話」で始まって、「夜の桟橋」で終わるって、どこかで聞いたことがない?
ヒィ!
『日の名残り』だ…
そうなんだよね。
ちなみに『日の名残り』の主要登場人物はコチラ…
ーー『日の名残り』主要登場人物ーー
執事長スティーブンス(主人公。かつての同僚ミス・ケントンの住むコーンウォールまで自動車旅行をする)
女中頭ミス・ケントン(遠いコーンウォールの地へ嫁ぎ、現在はベン夫人として暮らしている)
館の主人ダーリントン卿(英国の大物貴族。ナチスドイツの協力者として戦後は激しいバッシングを受け、失意のまま亡くなる)
新しい主人ファラディ氏(アメリカ人の大富豪。下ネタ好き。映画版はルーイス氏に変更)
カズオ・イシグロが『日の名残り』という小説の中で、主人公スティーブンスの執事としての日々とコーンウォールまでの自動車旅行を描きながら、同時に「イエスの生涯」を逆回転で再生して描いてみせたのは、このケルアックの『孤独な旅人』に着想を得たものだと僕は推理…いや、確信する。
だって第7章『ヨーロッパへの大いなる旅』は、アメリカ人の新主人に「スティーブンス、君は世界を見てきたほうがいい」って言われて旅に出ることそのものだからね。
最初は全然乗り気じゃなかったスティーブンスが、観光ガイドブックとか読んで、人生で初めての旅行にワクワクするんだよね。偉大なる英国の姿を、ついにその目で見ることができる…って。
そんで初日に変な老人に出会い、勧められて、誰もいない山に登ったな…
そこから景色を眺め、感涙するんや…
第6章『山上の孤独』か…
ニューヨークの飲み屋やタクシー運転手の話もあったな…
まさに第5章『ニューヨーク・シーン』だ…
なんであそこで急にニューヨークの話になるのか不思議だったが、やっと疑問が解けた…
そういうわけですよ。
そして第4章『キッチンの海の野蛮人達』。ここでケルアックは、カリフォルニアからパナマ運河を抜けてメキシコ湾に入り、最後はミシシッピ川をさかのぼる船旅を語る。船旅といっても旅行客ではなく下働きの乗員としてだけど。同僚たちは、黒人・東欧系移民・ヒスパニックなど様々な人種で、彼らのオカシクもどこか切ない会話が延々と続く。
ちなみにケルアックはモップ係で、床用とトイレ用の二本のモップとバケツをいつも手にしてる。
ダーリントン・ホールの召使いの元ネタか…
モップ係はスティーブンスのオトンの役割やったな…
そして第3章『鉄道の大地』。
ここでケルアックは延々と鉄道について語る。様々な路線とか、列車についてとかをひたすら語るんだ。「××行き・〇〇〇号」とか「〇時〇分発」とか「ロサンゼルスから○○マイル」とか数字がたくさん出てくる。
ケルアックは鉄オタだったの?
違うよ。
この数字が「聖書の章と節」に対応してるんだよね。
だらだらと鉄道の話をしてるように見せかけて、本当に言いたいことは数字の先に隠してある。実はケルアックの「アメリカ論」になっているんだよ。
そして第2章『メキシコの農民達』では、信仰について考察する。同じカトリックであるメキシコ人を描きながら。
『日の名残り』で主人公によって語られる「執事論」や「品格論」が、実は「英国論」や「宗教論」になっていたのと全く同じだ。
でも、ホントのことなのかな…
またいつもの、おかえもんの「深読みのし過ぎ」ってこともありえる…
そんなことはないぞ。
第1章『故郷なき者達の夜の桟橋』の冒頭の数行を読めば、すぐにわかる仕掛けになっている。
ホンマかいな。
本当だよ。
第1章は、ロサンゼルスの「San Pedro」にある桟橋が舞台なんだ。
「サン・ペドロ」とは、ロングビーチの隣に突き出てる岬周辺の地域の名で、港町だ。
そして言うまでもなく「聖ペトロ」のスペイン語名だね。
おお!
そこでケルアックは1951年のクリスマスの夜に「Deni Bleu」という昔馴染みの男と会い、「SS Roamer」という船を待つ。
「Deni」とは「deny(否定する)」のことで、これはまさにペトロのことを指している。ペトロはイエスのことを三度「否認」してしまったよね。イエスが官憲に逮捕された時に。そして激しく落ち込み、泣いた。
「Bleu」とは「blue」のフランス語表記だ。ペトロは弱い人間で、自分の弱さにいつもブルーになっていた。でも師であるイエスは、そんなペトロが教会のリーダーになると予言した。自分の弱さを自覚しているからこそ、人々を導く資質があるとしたんだ。
深いな。
そして「SS Roamer」という船の名前。
「SS」は蒸気船で「roam」は放浪という意味だね。だから「蒸気船ホーボー号」って名前の船になるんだけど、実は「ローマの聖人」という意味にもなっている。
「SS」は聖人の略称で、「Roamer」は「Roma」のことなんだ。
どひゃあ!
つまり、出てくる固有名詞が、ことごとく「ペトロ」に関連するものになっているんだよ。
そして物語もね。
ペトロはローマで布教活動をしていたんだけど、皇帝ネロのキリスト教弾圧が激しくなり、ついに命の危険を感じてローマを脱出する。
ローマからアッピア街道を進んでいると、ペトロは道を行くイエスに出会う。そして思わずこう尋ねた。
「Quo vadis, Domine?」(クォ・ヴァディス・ドミニ)
「主よ、どこ行かれますの?」やな。
そしてイエスはこう答える。
「そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って今一度十字架にかかるであろう」
ペトロは自分の弱さに、また激しく泣いた。
そしてローマへと引き返し、自ら進んで十字架にかけられ、殉死する。
ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチは、この逸話をもとに小説『クォ・ヴァディス』を書き、6人目のノーベル文学賞受賞となったな。
ハリウッドで1953年に映画化もされた。
これがそのシーンだ。
『孤独な旅人』の第1章『故郷なき者達の夜の桟橋』は、この話がベースになっているんだ。
もちろんケルアックがイエス役でね。
そうだったのか…
だからケルアックは序章の中に「ヒント」を散りばめていたんだ。
自分のことを「I am actually strange solitary crazy Catholic mystic」なんて言ってみたりしてね。
なんてこった…
これをディランは気付いていたのだろうか?
もちろんでしょう。
だから『NEW MORNING』で同じようなことを試みたわけです。
『NEW MORNING』も同じ構造だったのか!?
すげえなケルアック!
ディランに影響を与え、そしてカズオ・イシグロにも影響を与えた!
でもそれは、もとをたどればジュディ・ガーランドなんだ。
1954年に公開されたジュディの代表作『A STAR IS BORN』、邦題で言うところの『スタア誕生』に、ケルアックやディランが「やられて」しまったからなんだよね。
『スタア誕生』に!?
この映画は「とんでもない」作品なんだ。
あまりにも内容が「凄すぎて」、審査員が有り得ないほどの衝撃を受けてしまい、結果としてアカデミー賞を受賞できなかったくらい「いわくつき」の作品なんだよ。
また「いわくつき」か…
97年にミシシッピ川で溺死した伝説のシンガー「ジェフ・バックリィ」も、この映画の虜となり、ジュディ・ガーランドが歌った主題歌『The Man That Got Away』を自分の大切な歌としていた…
Jeff Buckley『The Man That Got Away』
『ハレルヤ』のお兄さんまで…
ケルアック、ディラン、カズオ・イシグロ、そしてジェフ・バックリィまでも魅了した映画『スタア誕生』を、次回はたっぷりと解説しよう。
これまで日本人が誰も気付かず、誰も書くことのなかったジュディ・ガーランド主演作の真実が明らかにされる。
期待しててくれ。
たぶんケルアックの『孤独な旅人』の真実を暴いたのも日本人初やろ。
いや、世界初かもしれん。
なにげに凄いこと書いてるんだよね、このシリーズ。
サイモンとガーファンクルじゃないが、
And the signs said.”The words of the prophets are written on the subway walls And tenement halls.
だよな。
嬉しいこと言ってくれますね。
毎回こういう〆がいいな。
このシリーズの知的な雰囲気にぴったりだ…
あんたがしょーもないギャグとか書かなきゃいいだけだ!
――つづく――
BOB DYLAN『NEW MORNING』
(@Amazon)
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