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コロナ禍における新しい葬式のかたち
馬齢60を過ぎて「死」を意識するようになった。
元来いくつになっても健康で居られる訳は無い。
やがて人は朽ち老い果て死を迎えるのである。
5年前に母を病で亡くしたが知人関連には一切案内は出さなかった。
参列するとなれば礼服だ香典だと時間を割かせるのが忍び無いとの自分と兄の思いであったが生前社交的で友人の多かった母にしてみれば参列者が身内数人のみと云う葬式は望んでなかったのかも知れぬ。
しかし仏は仏である。
仏とは形式を超越した存在だ。
彼岸に逝った魂にはそんな事はどうでも良いのである。
葬式は亡くなった本人より残された身内の為の儀式なのだ。
しかし費用は嵩む。
本人が望むならとり行わなくとも不義理でもなんでも無い。
自分の時は通夜葬式無用。当然坊主も不要。戒名も要らない。
亡くなったら速やかに火葬場に運んで頂き荼毘に伏す前にYouTubeとかで般若心経を一回流してくれれば十分。
可能なら墓も要らない。
残された骨などは山なり海なりに巻いて貰いたいところである。
絢爛豪華な葬式など死んだ本人には何の意味もなさないのである。
しかし生前の友好関係から葬式無しはどうにも義理が立たないと言うなら望むのは極めて小さく控えめな葬式である。
コロナ禍で結婚式や葬式も縮小傾向にあると聞いた。
実際取引先の常務の母親とか一度も会ったことのない人の葬式に会社代表で参列しても「偲ぶ気持ち」など入る術もない。
昼飯は何を食べようか?とか夜のキャバクラ通いは控えたいけど○○ちゃんに会いたいな・だとか上の空なのが関の山。
いつ何処に居ようとも亡くなった人に想いを馳せ偲ぶ心があれば仏に届くと思う。
これが最も肝心。
よって葬式は控えめが良い。
家族のみで行う小さな葬式がこれからの葬式のかたちだ。