【名前の由来】京子は「『京都』or『東京』の子」?
電話等で相手に自分の名前を伝え、「お名前はどんな漢字ですか?」と尋ねられたとき、関西圏に住む私の場合は、「京都の『京』に、子供の『子』です」と答えるのがフツーなのかもしれませんが、実は私の気持ち的には「東京」の『京』」と答えたいし、実際に東京やロンドンに住んでいたころはそう答えていました。なぜなのか、今日は、その理由を書いていきたいと思います。
25歳のころです。大学から上京した私は、東京で働いておりました。実は当時、次の転職先が英国の企業だということが決まっていたので、その準備のために英会話を学んでいました。英国人のバリー先生のレッスンで、「『名前の由来』を英語で説明する」という課題が出されたので、早速、母に電話をかけて尋ねると、「お父さんがつけたから、お父さんに聞いて」と言われたので、忙しい父(20余年前に他界)と後日の電話の約束をして話を聞きました。
答えは単純でした。
「東京の『京』だよ」。
そういえば、父は東京が大好きでした。父が生まれ育ったのは、昭和の初めごろの東京・文京区です。4歳のときに母親(私の祖母)を亡くし、戦後間もなく父親(私の祖父)も亡くしました。18歳年上の姉(数年前に他界)がいましたが、戦後の食うや食わずの大変な時期だったので、父は母方(私の祖母)の実家の岡山の親戚に預けられ、育てられました。だから、父にとっては、東京は家族で豊かに過ごした「しあわせな居場所」だったわけです。私が中学生になるまで、本籍地が「東京都文京区」(写真下は元・本籍地の現在の様子。父が幼いころは木造2階建ての家が建っていたそうです)のままだったのは、父のふるさと「東京」への愛着の表れだったのでしょう。
というわけで、私の名前には「幸せな子」になってほしいという父の願いが込められていて、その「幸せ」は、決して特別なものではなく、家族が仲睦まじく暮らすことだったのです。東京が日本の首都だから日本を代表するような立派な人になってほしいだとか、日本のビジネス最先端の地・東京で成功をおさめてほしいだとかという野心はまったくなかったのです。(そういえば、私にとっては今の東京は仮の姿で、本来は、父から聞かされた戦前の、まだまだ田舎の東京のままのイメージのはずと思っている節があります、不思議ですね。)
「京子が東京へ行ってしまったのは、名前のせいかもしれないな…」という電話の向こうで感慨深く話す父の声を今でも覚えています。
私は、その父の思いを受け止め、家族との何気ない時間の大切さをかなり意識しています。おかげさまで、ダンナさんも似たような価値観(この点については、また別の機会に書きますね)をもってくれている人なので、やりやすいです。そして、今は東京から離れて住んではいますが、東京は私にとっては「心のふるさと」であることには変わりありません(ちなみに、私にはもう一つの「心のふるさと」として、ロンドンがありますが、そちらについては、また別の機会に書きますね)。
これからも、京子(画数の関係で「京香」と書く場合もありますが)という名前と、そこに込められた父の思いを大切に生きていきたいと、この記事を書きながら改めて思いました。みなさんも、ぜひ命名の秘話を探ってみてくださいね。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
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