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阪神淡路大震災から30年
阪神淡路大震災から30年のこの日。
やはり被災した身としては、ニュースなどを見るとあの日のことを思い出します。
被災当時は神戸市垂水区に住む高校生でした。
校則で禁止されているバイトをバリバリやって夜遊びしまくりの、自分が親になった今なら分かる、「わがままで自分勝手な娘」の頃でした。
前日も夜遊びをして夜遅くに帰ってきて、パジャマにも着替えず
外に出ていた服のままベッドで寝ていました。
明け方、遠くの方から 「ゴゴゴゴ‥‥」 という地鳴りの音が聞こえ、
普段はちょっとくらいのことがあっても目覚めることがないくらい、
ぐっすり寝られるタイプだったのですが、この地鳴りの音を聞いて自然と目が覚めました。
それからの猛烈な揺れに驚き、目がばっちり覚めました。
「これは何…?」
猛烈な揺れのため動くことができず、ベッドの上で布団をかぶるしかできませんでした。
ベッドの横に10段のレターケースのような棚を置いていて、漫画やCDを引き出しに入れていたのですがそのレターケースの引き出しが飛び出してきて頭の横をかすりました。
身体の血の気が引いたころ、揺れも少しずつおさまりました。
隣りの部屋で寝ていた父と母から
「大丈夫か―?」
と声をかけられたので、
「大丈夫ー めっちゃ揺れたねぇー」
と返事をしました。
この時は、すごく大きな揺れだったものの、こんなに甚大な被害が出ている地震だとは思っていませんでした…
我が家の被害は家のものが散らかり、食器棚から食器が落ちて割れ、
外壁にヒビが入ったくらいのもので、被災した割にはかなりましな状態だったと思います。
だんだんと夜が明けていくのですが、家から東の方向の空を見ると
オレンジ?黒?普段の青空の色ではなく、なんとも言えない不気味な色合いの空が広がっていました。
停電はしてしまっていたので、どんな状況かまったく分からなかったのですが人づてに神戸の中心部が大変なことになっているということを聞きます。
当時、母方の両親が神戸市長田区に住んでいました。
長田区が大変になっているという連絡を受けた父が原付バイクで
祖父母の家へ向かうと、それはそれは大変な状況となっていたとのことです。
家は全壊、そのうえ火災で焼失してしまったとの連絡を受けました。
それを聞いてかなり動揺してしまいましたが、祖父母は無事に逃げられたとのことでそれを聞いてほっとしたのを覚えています。
家がなくなってしまったので、しばらく母方の両親も家に来ることになりました。
もともと、父の両親(わたしのおじいちゃん・おばあちゃん)、父、母、姉の6人住まいのところに、母の両親もきたので8人に大所帯となりました。
当時は若すぎてあまり想像もできませんでしたが、母の両親は家を失くしてとても大変だったと思います。
ですが、辛そうな雰囲気は私の前では一切見せずに、いつも通り優しく接してくれました。それをとても覚えています。
また、通っている高校は山陽電車を使用して通学していたのですが
須磨から先の区間が走行できなくなり、須磨までしか電車が走らなくなった時期がありました。
JRで須磨まで行き、そこからは山陽電車の線路を歩いて月見山まで行きました。
(線路部分を歩いて通った記憶があるのですが、ちょっと記憶があいまいです…)
自分の家の周りは倒壊等、大きな被害はなくて停電や断水くらいでしたので被災したとはいっても比較的早くに普段の生活が遅れるようになった方だと思います。
長田などの被害の状況を見たのは、だいぶ経ってからでした。
まだ幼い心で、怖いものを見たくないという思いがあったと思います。
詳しい時期は覚えていないのですが復旧したJRに乗り、三宮に向かう時に
鷹取ー新長田の区間の見える景色がまったく違うことに胸が締めつけられるような思いになったことは覚えています。
長田区で被災してしまった母方の両親も、区画整理が行われた後に再度家を建てて、祖母が亡くなるまでは長田区で過ごしていました。
自分自身は被災はしましたが、そこまでしんどい思いというのはなかったように思います。
いい意味で若かったからだと思います。
当時はまだまだ子どもで無知なところもあったので、親や祖父母の一歩踏み込んだ思いをくみ取るところまでは行き届いていなかったんだろうな、と今では思えます。
きっと辛いことがたくさんあったと思います。
地震で家を失くされた方、家族がけがをされた方、亡くされた方の思いなんて私では想像ができないくらいのものだと思います。
東日本大震災があった時も、能登半島地震があった時も、ニュースを見て状況を知るくらいしかできませんでした。
わたしにできることなんて本当に小さなことだと思いますが、自然災害に遭われた方を思い、少しでも募金をするようにしています。
軽々しく、がんばって なんて言えないですが
やはり 命あってこそ なのかなという思いはあります。
大変なことは山ほどあると思いますが 生きてこそ なんだな、と。
生きているからにはしっかり生きなくちゃ…!と考えさせられます。