2024年J2第38節レノファ山口-横浜FC「おもしろき こともなき世を おもしろく」
「引き分けでいい」この言葉の苦しさを横浜は知っている。2018年J1参入プレーオフのあの試合のことが、試合終盤に山口のロングスローやフリーキックになる度に、脳裏をよぎっていた。負けてしまうかもというよりも、引き分けたい時に引き分けに出来ることできるのかどうか。クラブが試されている場だと思っていた。
6年前は後半アディショナルタイム7分のところ5分が過ぎていた。0-0で残り1分と少しの時間を凌げば横浜は勝ち進むことが出来た。ところが、東京VのコーナーキックにGK上福元(当時)がペナルティエリアまで上がってきており、コーナーキックに頭で先に触られ、こぼれ球をドゥグラス・ヴィエイラに押し込まれ痛恨の失点を喫して敗退。「引き分けでいい」を遂行できず横浜の12シーズンぶりのJ1復帰ははかなく消えたのだった。勝利することよりも、引き分けでよいというのは実は上位のチームにとって酷なのかもしれない。
2018シーズン、横浜は勝ち点で2位大分に並ぶも得失点差で3位となり6位の東京Vとの対戦だった。アディショナルタイムでの失点も悲劇的だが、勝ち点1つ上回っていたら横浜が自動昇格をしていたことを考えると、長いリーグ戦でのミス、ズレ、カバー、マーク、ポジション、対戦カード、ゴール、疲労、選手層などなどわずかなディテールで悔しい思いをする度にあの動画を私は何度も見直している。無数にある可能性を選び続けた結果、私たちはあそこに辿り着いてしまったからこそ、細かい部分の積み重ねは勝ち点と同じく大切な事だと考えている。
しかしながら、あの時と同じ状況を迎えてしまったのが2024年の横浜。残り4試合で勝ち点2を得たらJ1自動昇格出来ると皆が違う方向を向いた途端に2連敗。プレーオフを争う仙台、岡山が相手とは言え、文字通り成すすべなく敗れた。ホームで迎えた栃木戦もスコアレスドロー。長崎に大逆転される可能性を残しながら最終節へ。前向きに考えるなら、ここで勝ち取った勝ち点1がこの試合を「引き分けでいい」とさせた。もし栃木に敗れていたら、引き分けでは自動昇格できず逆転されてしまう。最終節「引き分けでいい」を体現できるか、試されることになった。
過去を乗り越えていくには、成功体験を積んでそれを払しょくするしかない。川崎や大宮、千葉といった相性の悪いチームに死に物狂いで勝利を勝ち取って気持ちと記憶を上書きしてきたように、「引き分けでいい」をつかみ取れるかが、昇格への最終課題だった。
この関を超えて
山口県には防長三関とよばれる関がある。東は竈戸関(上関)、中には三田尻中関港(中関)、そして西には赤間関(下関)。下関は下関戦争で長州藩が攘夷のもと砲撃を仕掛けるも、欧米列強の前に砲台は無効化されいくつかの軍艦は沈没する憂き目にあっている。その力を前にして江戸幕府は日米修好通商条約を結ぶことになった。実力行使で開国を迫った。
東から長州に向かう横浜もそうした形で自動昇格を争っているチームとして力を見せたいところだが、レノファ山口の関をいつまでも破れないでいた。山口GK関憲太郎は今シーズン限りでの現役引退を表明している。関は横浜にも在籍した経験があり、岡山戦でヘディングで最長距離となるゴールを決められてミスの多いGKというレッテルが貼られがちだが、実際は小柄ながら俊敏なシュートストップとセービングに優れたGKで、横浜にいた3年で大きく成長して当時J1に所属していた仙台で日本代表クラスの林卓人や六反勇治、シュミットダニエルと激しい守護神争いをしていたのは記憶に新しい。2021年から山口に移籍しても、ケガなどでの欠場を除くと大半の試合に出場してきた正守護神と言っていいだろう。その関の守るゴールマウスに風穴あけてこその昇格でもあった。それが出来ないうちは、その実力は関の山と言われてしまう。
横浜は右サイドからカプリーニと山根のコンビネーションでチャンスを作りかけるも決定機を迎えるまでには至らない。山根は、対面する山口・新保の対応が第一のポジショニングを見せる。今シーズン飛躍を迎えた新保の左足からのチャンスメイクをいかに止めるか。彼がここから縦にボールを入れずDFヘナンに戻す展開であれば横浜に利があった。ヘナンからの縦のパスはガブリエウが堰き止めていた。山口の中盤を経由して右サイドからの攻撃はクリエイティブではなかった。
前半山口・前のミドルシュートがクロスバーを叩くが、ボールは外に弾かれた。平静を装う選手たちだが、サポーターとすれば冷や汗をかいた。
塩を撒き続ける
ただし、この試合のスタッツでいえば山口は枠内シュートはゼロで横浜の守備が安定していたと言っていい。ボールは保持されるが、肝心なところでピンチを作らせない。それが今シーズンの横浜の形。
攻撃は堅守の山口の扉をこじ開けられないでいる。だが、それはそれと割り切ることも重要。狙いとしては昇格すればよいのだから、攻撃は最低限として相手のカウンターや雑なこぼれ球を明確にはじき返す方が優先度は高い。アウェイ仙台戦で自陣で下手につなごうとして奪われて失点したシーンを再び繰り返させない。
横浜以外のサポーターが期待する、長崎の大逆転J1自動昇格滑り込みのシナリオの芽に塩を塗り込んだ。つまらないと言われても、大したことないと言われようと、「引き分けでいい」をしっかり遂行できているのが横浜の強さ。それが前節のクリーンシートに続いて復調の手ごたえを感じる。
さぁ、宴を楽しもうではないか
後半山口も横浜も選手交代をしてゴールを目指すものの、どちらにもゴールは生まれないまま時間だけが過ぎていく。横浜はこれまでのような1トップと2シャドー、そしてサイドとボランチ1枚の通り一辺倒の交代策ではなく、最初にサイドとシャドーを変えたりと、試合の模様を眺めながら着実に手を打った。
時間は流れていく。流れていくということは、それだけ1点が重くなっていく。ここで2018年を思い出していた。「引き分けでいい」を遂行できるかどうか。もちろんカウンターから1点奪えばほぼ昇格確定だろうし、そこまでリスクをかけなくても引き分けで終わっても良し。横浜は試されている。
もっと長いと思っていた後半アディショナルタイムはたったの4分。山口のロングスローもフリーキックもしっかり跳ね返す。相手に当ててボールを外に出す。ゲームを切る。できるだけ相手陣内深いところに蹴り出す。
、、、タイムアップ。
最初はファウルか何かの笛かと思ったら、選手たちがしゃがみ込み、ある選手は抱き合って喜んでいる。ベンチでは大きな輪が出来ている。引き分けて自動昇格したんだ。
正直4回目のJ1昇格になると涙もなければ感動で胸が詰まることもなかった。一種昇格麻痺しているのだろう。2018年のあの1点の記憶を振り払い、そして最終節勝ち点差1で凌いだことへの安堵の方が大きかった。
この試合、横浜サポーターはアウェイゴール裏を埋め尽くした。メインスタンドのアウェイ側もかなりの人が詰めかけていて人が増えたという印象。特に、ここ3試合良い流れでないからこそ急遽足を運ぶと決めた方も多かった。アウェイゴール裏席に限って言えば800枚近くチケットが発券されたとのことだ。実際、この日のゴール裏の入場の順番整理は10時からだったが、早朝から何名もスタジアムにいたし、実際の開門近くには待機列が三重ちかく折り返していた。
そして目の前に広がったのは0-0での昇格。横浜のサポーターはこれをどう思うだろうか。
地元山口県の長州藩が生んだ高杉晋作の辞世の句はタイトルにもした
であるが、ここに彼を看取った野村望東尼が下の句を継いで結び、以下が最終的なの辞世の句とされている。
これは「面白いと思える事のない世の中を面白く。それを決めるのは自分の心持ち次第である」と解釈されている。こうした昇格劇は拍子抜けか、勝利できないのは面白くないか。J1に昇格する度に、1シーズンで降格している横浜は傍から見たらつまらないかもしれないが、横浜には横浜の物語がある。「引き分けでいい」を着実に狙って実行できることをもっと誇って良いのではと思う。
世の中はきっと面白くないことばかりだ。自動昇格どころか優勝もと言っていたら、連敗して優勝は立ち消えてしまった。来年もきっと残留争いでここ数節よりもキリキリすることになるだろう。外からは「なぜそんな弱いクラブを応援しているの」と耳打ちされることになる。
それでも、それすら楽しいと思えるかどうかは自分の心が決めること。強くなりたい。もっと強くなりたい。苦しい時こそそれを楽しんで乗り越えたい。23年の開幕から10試合勝ちなしを経験した横浜なら11試合勝ちなしになっても楽しむことすら出来ると思っている。6シーズンでJ1昇格3回、J2降格2回経験した横浜を楽しもう。
翼は折れない。それが不死鳥だ。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
維新はここ長州から始まった。さぁ、もう一度青と白の革命はじめようぜ!
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