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便利社会だからこそ求められるもの

私たちが暮らしてるこの世界は、日々日々何をするにも昔と違って便利になっています。

こんにちは。
おかじです。

今日もこのブログに訪問していただきありがとうございます。

昔は買い物ひとつとっても、八百屋さんや肉屋さん、魚屋さんと専門店が多くありましたが、今やスーパーに行けばある程度のものは全て揃ってしまう時代になりました。

また夜遅く疲れて帰ってきた時など、キッチンで作る時間がない時は最寄りのコンビニに行けばお弁当や電子レンジに入れるだけの冷凍食品やカップ麺と簡単に手に入れることができます。

もっと言えば、
このようなこともせずネットで事前に頼んでおけば、日用品も食材も簡単に手に入り買い物ですら外に一歩も出ずに済ませることができるようになりました。

そしてここ最近はコロナの影響もあって、仕事や学校もリモートでパソコンやスマホひとつでできる時代になりました。
これからもどんどんAI化が進み自動化されて、他人と顔を合わせる機会がどんどん減っていく時代になりそうです。

しかし効率的に物事ができ便利になった一方で、日々の人と人との交流が圧倒的に減りました。また交流も自分と共通点を持った人のみで限定されつつあります。
自分と価値観が合わない人と昔はそれでもどうにかやっていかないと回っていかなかったものの、今は「面倒くさい」で片付けて関わらない選択もできる時代になりました。

その結果一度孤立になると、今までは周りに助けを求められたり、周りから手を差し伸べてくれたりしてすぐ立ち直ることができていたものなかなか難しくなりました。
また交流が限定されることによって自分とは違う新しい考え方や価値観を知る機会が減りました。

昔と違う現代の凶悪犯罪の特徴として、
「無差別」や「誰でもよかった」
という理由が多く見えます。

昔は家族や友人、仕事関係とある程度関係性を持った中での事件だったものが、今や誰もがいつどこで事件に巻き込まれるかわからない時代です。

昨年の安倍元首相の暗殺事件や先日の岸田首相の爆発騒動も、
共通するものとして「社会との孤立化」が根本の要因のひとつとしてあります。

もちろん彼らがやった事実については決して許されるものではなく、断固として非難されるべきものは間違いありませんが
その一方で、辛いけど周りに頼ることができない、
心の変化について周りに気づいて欲しい
という日々の小さなSOSを見逃してしまう環境を作っていたのも、
この事件から私たちが学ぶべきものとしてある気がします。

多くのメディアで要人警護の指摘や今後の選挙応援のやり方が中心に取り上げられていますが、それと同時にどうやったらこれから社会の孤立化を防ぐことができるのかといった根本にも踏み込まなければ、どんなに外堀を固めて守りを固めたところで、この先も似たような事件がまた起こってしまうでしょう。

人間は群れを求める動物です。
野生界では人間1人では生きていけない一番弱い生き物です。

確かに日々便利になってどんどん効率的な時代になる一方で、時代とは逆行する人とのたわいのない日々の交流も大切にしていきたいですね。

今回もありがとうございました。


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