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重なり合った偶然の末に天職と出会い 天職から転職せざるを得なかった

#あの選択をしたから

人生の岐路における選択のはなし

 思えば来年還暦を迎える私にも人生を大きく変える岐路と言うものが数回あったと思います。進学、就職、結婚子供育て。会社人としての選択等々。

 その中で私の人生とって「職」に関する岐路は大きな分かれ道であり、あの選択は本当に重要かつ正しい選択であり、結果的に運のいい選択だったとつくづく思うのです。そんな私の人生に、非常に大きくかかわる選択を、語らせてもらえればと思います。
 

岐路 イメージ

「なあ、この会社一緒に受けへん?」

 お盆も過ぎた8月下旬、久しぶりに小学校からの友人から電話が掛かってきました。
私は23歳大学4年生。1988年は 昭和最後の就活生として、丁度バブル経済の始まる頃の〝超売り手市場”と言われた時代でした。この年の就職活動の解禁日は8月20日。この日に大方の企業は採用活動を開始できます。が・・・実際のところ優秀な人材を少しでも早く確保したいほとんどの企業は、8月どころか3月4月から採用活動を開始し世に言う「青田買い」に躍起になっていたのです。8月20日の解禁日までに内定を貰っておかないと、行くところが無いと言われていたくらいです。

 実際私も6月末には第1志望の業界である銀行から内定を貰い、8月20日の解禁日には大手都市銀行を朝から3社はしごして採用試験を受けに行ったものです。ただ、実際にはその時点では内定者はほぼ確定済みで予定数に達していない若干名採用の可能性か、もう可能性はないが名目上で解禁日に採用活動を実施しているケースも多かったと思います。

 友人から電話があったのはそんな8月20日も1週間ほど過ぎた頃でした。ほとんどの就活生は、内定もいくつか貰い、スーツにネクタイを脱ぎ捨て、学生として最後の夏休みを取り返すかのように過ごしている頃でした。 「え!まだ就活してるの?」が私の第一声でした。友人が誘ってきたのはある百貨店の採用試験でした。

百貨店 イメージ

 私の就活はそれまで金融1本に絞った就活でした。春から活動を開始し、〝超売り手市場”と言われた中で就活生有利な年ではありましたが、大学も有名大学では無く、部活歴も無く、その他特技も無く、語学もダメ、全国を歩き回ったとか、バイトでリーダーとして頑張ったとかそんな学生時代の勲章も無く、普通自動車免許と日商簿記2級だけを武器に就活を実施せざるを得ず、そもそも金融全盛期のバブル経済期に銀行を目指す事自体がかなり無謀な就活でした。私の大学では銀行に就職したOBも殆ど無く、特にコネクションも無く、特にやりたい仕事や、将来の夢も無く、父から勧められた「銀行は給料が良い」と言うワードにのみに従い就活を実施していたのです。ほかに目指したいものも無かったので・・・

銀行 イメージ

 そんな状況の為、就活作戦としては゛数出せば当たる”作戦しかありませんでした。ひたすら会社案内の資料請求はがきを出しまくり、会社説明会になるべく顔を出し、履歴書を手がちぎれそうなほど書きまくり、証券会社、保険会社も含め可能な限り面接にのぞみ、資料請求をしただけの会社を含めるとおそらく100社くらいは何らかのアクションを起こし、ようやく銀行1社から内定を貰う事が出来たのです。

゛数出せば当たる”作戦イメージ

 

百貨店の採用試験

 百貨店はこれまで受けたことが無く、解禁日をとっくに過ぎたこの時期、私の中では就活はすっかり終わって、気も抜けていたタイミングでした。まして、全く考えなかった業界であり、実際私は買い物も嫌いで、ファッションにも興味がなく、百貨店などむしろ避けたい業界だったので全然気乗りしませんでしたが、関西の私立トップ4の中の理系学部に通っている友人が、中々内定が貰えず自信喪失気味になっており、私も特に予定があるわけでも無く、内定も決まっていてもう自分の中では銀行に行くつもりで決めていたのですが、金融業界以外の企業を受けてみるのも後学の為にいいかと思い一緒に受ける事にしたのです。

 試験と面接が9月10日でした。友人が来ない!採用試験当日最寄りの駅で待ち合わせをしていたのですが、待ち合わせの時間を過ぎても来ません。携帯電話も無い時代ですから連絡の取りようがありません。仕方がないのでギリギリの時間まで待って、一人で受けることになってしまったのです。

 試験会場には100名近く集まっていたでしょうか、まずは筆記試験。続いて面接です。面接は5人ずつの集団面接でした。金融業界の面接では事前にしっかりと答えを準備し、志望動機とか、自分の良い点とか、大学生活で得たものとかよくある質問に答えを事前に準備し、ある事、無い事(に限りなく近い事)を最大限に拡大解釈し、モリモリに盛って、嘘八百とは言いませんがかなりオーバーに答える事で乗り切ってきました。自分でも心苦しい程に。

盛り盛りイメージ

 百貨店は受けた事が無いので志望動機などどのような事を言えばいいのかあまり思いつきませんでした。そもそも友人に付き合って受けているので元々志望していない百貨店は動機がありません。面接ではこれまで何度も何度も自分を押し殺し、自分ではない自分を演じ切り、身も心も疲れ果てていたのですが、付き合いで受けた面接なのでありのままの自分をすべてさらけ出して答えようとおもいました。

志望動機:「実はすでに銀行に内定を貰っておりますが、友人から貴社を一緒に受けようと誘われ、この時期にまだ採用面接をやっている企業があることに驚き、第1志望の金融業界以外の会社も受けてみようと思ったからです」包み隠さずそのまま答えました。

百貨店に入社したらどのセクションに付きたいですか?:百貨店は文字通りあらゆるものを扱う小売業です。その中でどの商品を扱うセクションを希望しますか?と言う質問です。もっともな質問ですが私は百貨店をほとんど見た頃も無く、ファッション関係はイメージのかけらもありません。
 思いつく答えは「私は食べることが大好きです。なので食品売り場で是非頑張りたいと思います。」とっさにこれしかありませんでした。もちろん食べる事は大好きな当時体重90Kgでした。

 この取得単位数で大学を卒業できますか?:痛いところを突かれました!卒業見込み書と成績表を提出しているので企業側からすれば当然の質問です。私は大学4年生の時点で通常ではありえない単位を残しており、卒業が危ぶまれている状態でした。「はい!私の大学は単位制限がないため最大MAX履修しており全部合格すれば卒業の予定です」本当の事です。卒業後大学では1年の履修単位制限が導入されたそうです。その時でしたら確実に3年生終わった時点で留年決定でした。

 それならなおさらどうして今までこれだけしか単位が取れていないのですか?!:「ウッ!!」当然の突っ込みです。「全く不勉強なもんで(笑笑笑)」ここは笑って乗り切るしかありませんでした。

ドキッ! イメージ

 その他の質問は忘れましたが、5名で合計約15分の面接でした。ちなみに、遅刻してきた友人の面接は全員が遅刻組の最終組で、6名で面接時間5分でした。結果 私は内定を頂き友人は残念ながら不採用となってしまいました。

就職決定の選択

 私は銀行に行くことを決めていましたし、ゼミの教授の友人である銀行の専務さんとも飲みに行ってしまっていましたし、百貨店に内定を貰っても辞退かな?と言うのが正直な思いでした。

 大学の就職課に行きOBが居ないか調べてみました。すると銀行には2年前に1名だけ入社しており、百貨店には8年前の卒業生がこちらも1名だけコネ入社していました。二人の名前と電話番号を控え(昔は普通に閲覧できたのです今じゃ考えられませんが)それぞれの先輩に電話をすることにしました。

OBに電話

銀行入社の先輩:
「絶対にやめとき!!!僕ももうすぐこの会社辞めるんだよ」 職場の雰囲気ノルマ仕事もきつく残業もひどく休みの日まで出て仕事しないと追い付けない。精神的にキツイとの事でした。これは結構ショックでした。

百貨店入社の先輩: 
「う~ん いい会社だと思いますよ~」 ゆる~い感じのお答えでとても印象に残りました。

電話イメージ

ここで人生で初めて大きな選択に迫られました。

銀行 
・父から強く勧められていた=給料も待遇も良い
・多分給料は百貨店よりだいぶ良い
・100社近く受け必死で頑張ってどうにか内定を勝ち取った!(自分では勝ち取った!くらいに思っていました。それくらい頑張って受かった気持ちでした。)
・企業の規模としては銀行は全国区ですが相互銀行としては当時9位の預金量、もちろんその他にも地銀があり都銀があり信用金庫でも上位は預金量は上でした。
・就活をしながら金融業界の事はいろいろ勉強もし、関心もあった。

ですが最後に引っかかったのはOB先輩の「絶対にやめとき!!!」でした。

百貨店
・全く受ける気も興味も関心もやるきも別に無かった。
・バイトですら接客業は向いていないと思い避けていた。
・本当の事をさらけ出して貰った内定。
・友達は不採用
・当時業界トップ 国内百貨店で初めて売上1兆円を超え全国に30店舗海外を合わせると40店舗に迫る店舗数で計画段階では50店舗まで決まっていました。
・OB先輩の「いい会社だと思いますよ~~」

OBの声を聴いて揺らぎ始めました。

どちらの会社を選択するべきか。。。。。
相談
父:「そりゃ銀行の方がいいにきまっとる」
ゼミの教授:「よく考えて決めるといいよ、銀行を選ばなくても私も専務も大丈夫だから自分に従って決めなさい」
友人:「俺の事は気にしなくていいから折角受かったんだし行きたい方を選んだ方が良いよ」
迷いに迷いました。全く百貨店は考えてもみなかった企業だし良いか悪いかもわかりませんでした。

選択 イメージ

出した選択は百貨店でした。

理由は

1.OBの意見が全く逆だった事 銀行:最悪 百貨店:いい会社
2.銀行:自分自身をだましだまし作って盛って盛って答えて受かった会社 
  百貨店:ありえないくらいバカ正直に本当の自分をさらけ出しても採用してくれた会社

この2点をよく考え自分が一生働く会社としてどちらがいいかを考えて出した選択でした。

小学校来の友人が声を掛けてくれて自分では全く考えていなかった会社を選択しました。苦労して苦労して勝ち取った第1志望の業界の会社を断って。
この選択が本当に自分の会社員人生を大きく決定づける選択となったのです。

天職という事

 私はまもなく還暦を迎えますが三十数年企業人として働いてきた中で自分にとって本当に楽しく天職だとさえ思えた仕事がこの、百貨店での仕事でした。商品を仕入れ販売するこの業務の中に無限の奥行きがあり可能性があり期待と感動があり一度ワクワクを味わうとその味が忘れられなくなる仕事でした。

 自分で売れる商品を発見し育て演出しお客様に発見してもらい買ってもらう。買って頂いたお客様が喜んでいただいてまた買いに来てくださり、どんどんお客様が増えて売り上げが上がってゆく。SNSなどのない時代でしたが、本当の口コミで話題になり、場合によってはTVや雑誌などで取り上げてもらいさらに話題になりお客様が行列を作る。仕入れ販売の仕事をしているものなら何度か経験すると思いますがその高揚感が忘れられなくなるのです。
 あるいはこれまであまり売れていなかったものを工夫してヒットさせたり、殆どの人が知らなかった商品が少しのきっかけで全国的に有名な商品に育ったり様々なメーカーさんや産地と交渉し特集を企画して大当たりしたりもちろん失敗も多く失敗の方が多かったかもしれませんが、それさえも楽しく感じより次の仕事への期待が高まったり。
 少なくとも私にとっては大好きな食に関する仕事でもあり、結果的にはまさに天職だと思って仕事をすることが出来たのは、あの時の選択によって決定したことであり、友人の誘いに乗り、受けることになった事で出会う事が出来た結果だったのです。

天職からの転職 

 そんな楽しく充実した仕事は13年目に突然終わりを迎えてしまいます。
バブル崩壊、阪神大震災などが重なり大きな被害を致命的に受けた百貨店は2,000年7月、成立以来初の大企業として民事再生法の適用を受け事実上経営破綻したのです。閉鎖店舗に席を置く全社員が解雇となりました。グループ会社も含め全国でおよそ6,500人が職を失う事になったのです。

ドミノ倒しのように崩れました

再就職活動

 天職と思っていた仕事を辞めざるを得なくなり転職しなければなりませんでした。妻と子供3人を抱え不安は大きくのしかかっていました。転職サイトに登録し再就職先探しを始めました
 
 解雇となる業務終了の2週間前にある企業さんから「ウチで働きませんか?」と声を掛けて頂いたのです。
 本当にありがたく感謝しました。それはある和菓子のメーカーさんでした。ただ私はお酒の関係の仕事に就きたいと考えていたのです。まだ何も決まっていませんでしたが。

和菓子メーカイメージ

・家族を路頭に迷わせるわけにはいかない
・天職から転職しなければならない
・折角ならやりたいと思う仕事に就ければ・・・
・和菓子のメーカーから提示してもらった仕事はこれまでの経験を十分生かせるものでした。
・窮地の中で手を差し伸べてくれたメーカーさんに本当に感謝の気持ちでいっっぱいです。ひとたびお世話になって、あとでやっぱりと言って辞めるわけにはいかない。

 本当にありがたいお話なのですがとても迷いました。迷いに迷いました。
ある意味、新卒の時の就職活動は自分の為だけに決められますが、今度は家族と言う責任を背負っての非常に重い選択でした。

辞退

 妻からはあなたの思い通りにしていいよとの事でした。
声を掛けて頂いた和菓子のメーカーさんに正直に自分の気持ちを打ち明けました。
 「この度のお話は本当にありがたく感謝の気持ちで一杯です。ただ、私自身はお酒の業界で働きたいと思っており誠に残念ですがご辞退いたしたいと思います。」と申し入れました。何も決まっていない中で。。。ところが、
 「正直なお気持ちはよく判りました。ですが引き続き転職活動を続けて頂き、もし、良いところにご縁があったら、辞めてもらって良いのでそれまで弊社に来ていただけませんか」と言ってくれたのです。
 そんなありがたい気持ちは本当に感謝しかありませんが、それほど身勝手に甘えるわけにはいきませんので何度も辞退しましたがそれでもと言ってくれたのです。
今から考えても本当に感謝しかありません。

 お陰様で、私は解雇後ブランクなしに和菓子のメーカーさんでお世話になる事になりました。引き続きパソコンで転職サイトを閲覧しながら。

引き続きの転職活動

 最初の仕事は商品などを覚えるための研修としてある百貨店の売り場に配属されました。
ここでも売り場の皆様には非常に親切に教えて頂き楽しく仕事をさせて頂くことが出来ました。
家に帰ったら転職サイトで仕事を探す毎日でした。

 中でも特に注目していた企業がありましたが一向に中途採用を募集している気配はなく転職サイトでも企業のホームページでも全く気配がありませんでした。
 その間様々な会社にアプローチしおそらくこの時も、100社近くアプローチしたと思いますが全く反応は無く数カ月たって転職活動を少し諦めかけていました
 家に帰っても仕事で疲れて、パソコンを見る気力も薄れて行き、今すぐ路頭に迷う事はお陰様でありませんので少し萎えていたのです。

再就職活動イメージ

後輩との偶然の出会い

 入社して2カ月したころ私が研修で配属されていた百貨店の売り場の隣の売り場に全くの偶然ですが私が以前勤めていた百貨店の私と同じ食品売り場の2年後輩が別の和菓子メーカーさんに転職し配属されてきたのです。
 彼は私と同じように勤務しながら仕事を引き続き探しているとの事でした。

 その彼と休憩時間が同じになり休憩所で話をしていると、「大手調味料メーカーが冷凍食品の会社を別会社に切り離し、大量に営業を募集するそうですよ」と言う情報をくれました。
 
 私は酒類関係の仕事を探していましたが営業の仕事も面白いかも?と思いその日は久しぶりに家に帰りパソコンで転職サイトを開いたのです。当時そのサイトでは業種や職種で絞り込んだあと、募集企業名がアイウエオ順に表示されるようにいなっていました。教えてもらった企業の名前は漢字ではア行の会社ですので上の方に表示されます。

画面を見るとなんと!!!!!!!

 私がずっと求人を探していた企業の求人がが出ていたのです。百貨店を退職後第1志望だった会社でこれまで中途採用は取っておらず、本当にあきらめかけて求人サイトを見る事も遠ざかっていた頃、募集があったのです。その会社名はカタカナのア行で始まる会社名でアイウエオ順に表示ですが漢字表記の前にカタカナ表記の企業が表示される様になっていたため偶然発見できたのです。

 あとで知ったのですが唯一この求人サイトのみの掲載で関西では1週間のみの掲載だったとの事でした。あの時研修中の百貨店の休憩所で前の職場の後輩に会い食品会社の情報を聞かなかったら出会うことも無くご縁も無かったと思います。全くの偶然からこの求人に出会う事が出来たのです。すぐ応募しました。

 これまでWEB応募しても面接までこぎつけた会社は無かったのですが、数日後書類選考を通過し面接の知らせが届いたのです。
 ダメ元の気持ちで申し込んでいましたが自分でも信じられない事でした、本当に私の思っている会社の求人だったのか?関連会社や似たような名前の会社の募集ではなかったか確認しようと、改めて求人サイトを閲覧しましたがすでに求人掲載は終了しており確かめるすべもありませんでした。案内に従って信じて東京まで面接に行くことにしたのです。

再度面接試験

 1次試験と面接にはその日だけで80名ほどが呼ばれていました。終わった後、ダメかな?と思いながら家族に人形焼きのお土産を買って帰阪しました。
 
 1週間ほどたったころ電話があり2次面接に進むことになった旨連絡を受けました。あの電話を貰った瞬間は20年以上たった今でも忘れられません。自分でも信じられないような気持ちでしたが、ここまで来たら頑張るしかありません。再度東京での2次面接に臨みました。何名が招集されていたかは不明です。
 
 面接では今の自分とこれまで働いてきた自分と天職と思っていた大好きな仕事がなくなってしまった事を正直な自分で伝えたつもりです。
 
 希望給料はの質問には前職の百貨店の最終年収(ボーナスなども無くなっていたのでかなり下がっていました。)の倍額の年収で希望しました。当時36歳で5人家族だった私にとって考え頑張って提示したつもりでしたが面接担当の方は「まあその位だったら大丈夫ですよ」との返答でした。
 

採用決定

 結果的にご縁がありお世話になる事が出来ました。同じタイミングで同期として入社したのは8名でした。(8名の中では私が最年長でした)
 7家月という短い間でしたがお世話になった和菓子メーカーさんには事情を説明し「希望がかなってよかったですね」と快く円満に退社させて頂くことになりました
 その酒類メーカーに定年まで21年お世話になる事が出来充実した会社員人生を送ることが出来ました。

酒類メーカーイメージ

まとめ

 私の #あの選択 は大きく考えると就職に関する選択でした。
 第1志望の業界である銀行 ⇔ たまたま受けて内定を貰った百貨店
   
選択の結果 人生の中で天職と思える仕事と出会う事が出来ました
 この時の選択から食品業界で生きてゆく事になり2度目の就職に繋がり給料は倍になりました。
 面接も自分を正直にさらけ出し、それでも採用してくれる会社なら信じよう。と学べたことも転職の折の面接で大きく意味があったと思います。
 つくづくあの時の岐路での選択がその後の人生にとって大きく影響することに繋がるものだと本当に感じます。
 それは偶然の重なり合いであり、あの時友達に声を掛けてもらわなかったら全く違う人生を送っていた事でしょう。 最初の職場で妻とも出会っていますのでその選択がなかったら妻とも子供たちとも出会ってなかったのかもしれません。
 就職はご縁と言いますが、初めに勤めた会社もその後21年勤めた会社も本当に様々な偶然と選択の中で出会ったご縁だと改めて強く感じる次第です。
 今後の選択も一つ一つがその後の人生に何らかの影響をもたらす選択になるのだと思いますが岐路の一つ一つを大切に考えて生きたいと思っています。


偶然の出会いイメージ

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