E145:切なさを感謝に変えて…
(今度何か、決定的なことがあったら、この店に通うのはやめよう)
私は密かにそう決めていた。
決めておいて、矛盾しているが、できるだけその日が来ないことを、心の中で祈った。
近所のお店。
おばちゃんが1人店番している。
そのお店に、私は約20年通い続けた。
おばちゃんと他愛もない話をするのが好きだった。
天気のこと。
体の調子のこと。
晩御飯のおかずのこと。
あれ?昨日おばちゃんと何話したっけ?
次の日にはさっぱり覚えていない。
そのぐらい、どうってことない話題で、
買い物ついでに数分間喋るのが、
私の息抜きだった…。
ところが、5、6年前ごろから、おばちゃんの様子がおかしくなった。
商品を間違える、釣り銭を間違える、段取りを間違える…。
どう考えても80歳を超えているおばちゃんの様子は、見ていて胸が痛かった。
人間は誰でも歳をとる。少しくらい、商品を間違えられても、私がしっかりしていればそれでいい。
もし店の中にいるのが、年老いた自分だったら…。そう思うと、おばちゃんを責める気にはなれなかった。
だから、私はできるだけおばちゃんに寄り添いながら、一緒に声出し確認をして、袋詰めをしたりした。
それでも、やっぱり
おばちゃんのミスは、日に日に増えていった。
もしこれが、自分の親族だったら、なんて言うだろうか?
いや、おばちゃんの引き際は、おばちゃんが決めればいい。
悩んだ末、私はあることを決めた。
それが、冒頭の内容。
先日、その「決定的なこと」が起きてしまった。
「おばちゃん、さっき俺1000円渡したよ」
「いややわ、何言ってんのよ。もらってへん」
自分の財布をもう一度確認した。
最近財布からお金を出すのは、病院とこの店くらい。
だから家を出る前に、財布の中身を確認している。
間違いない、渡した。
他の店だったら、
「防犯カメラで確認してください」と言うと思う。
でも、その店で、そんなことをしたくなかった。
通って20年、とてもよくしてもらったから…。
私は、少し考えてから
「あ、ごめーん!俺の勘違い」
と言ってもう一度1000円を出した。
それでもいいと思ったから。
おばちゃんは、今まで1000円では足りないくらい、私にサービスをたくさんしてくれたのだから。
だから、問題はお金ではない。
私自身は商売人ではないが、やはり、個人商店というものに、並々ならぬ思いがあるのかもしれない。
ただ、切なかった。
私は、「おかぐちや」が閉店するときのことを思い出した。
祖父の耳が遠くなって、車の運転も心配だし、お客さんとのやりとりも(聞き取れないから)心配になってきた。このまま商売を続けるのは危険と判断した私の母が、涙ながらに声をかけた。
「お父ちゃん、今まで頑張ったんやから、この辺でもういいんやないの?」
祖父も泣いていた。
長年続けてきた店を畳むということが、どういうことなのか、私はあの時この目ではっきり見た。
当時20代。
若い頃、こういう場に立ち会ったからかもしれない。
おばちゃんを見ていると、いろんな思いがこみ上げて、こちらが泣きそうになる。
もちろん、おばちゃんに対するマイナスな感情は、一つもない。
私は、強く自分に言い聞かせる。
「やがて、自分も、歳をとる」
商店街の中にあるから、今でも店の前を通る。
おばちゃんは私の気持ちを知ってか知らずか、
私と目が合うと会釈する。
言葉は交わさない。
でも、やっぱり浮かんでくる言葉は
「おばちゃん、長い間ありがとうございました」
【66日ライラン 60日目】