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「よく生きてたね、ありがとう」〜私編〜


「一菜さんよく生きてたね、ありがとう」

そんなことを言われて言葉に詰まる。

だって、死ぬようなことじゃないでしょ?そりゃあ辛いし、泣いたし、くっそー!なんでそんなこと言われるんだよ!と思ったし、もう顔も見たくないとも思った6月。(その人の顔は、そもそももう年単位でみてないんだけれど笑)

とどめは愛犬チェリーの緊急手術。もう気が気じゃなかったのは確か。


でも、もっとしっかりしなきゃと思ってた。




それも日常は過ぎてく。衣食住に関わる家事はいつも通りだし、雇われの仕事もいつも通り。だけど「私」の仕事は手につかなくなった。ブログの更新も滞る。いろんな連絡をしなきゃと思うのだけど頭が回らない。手も動かない。

そんな日が続いた。



友人にこの6月に起こったことを話した。すると彼女はこう言った。


「よく生きてたね。生きててくれてよかった、一菜さん。大変だったね」


その言葉で私はやっと、相当まいっていることに気がついた。

ずっと私は思ってた。なんで私は動けないんだろう?
そりゃ愛犬の具合はとても心配だ。だけどやるべきこともやりたいことも山のようにある。なのに動けない。

ということは、それくらいまいっていたのだ。


私はこの友人の言葉で「いろんなことが手につかない、意欲がわかないのは仕方がない。休もう」そう思えたのだ。


というわけで、かなりペースを落として過ごしていた。


ある日のことだ。

いつものように家族が出掛けて家に1人になった。私は、時々リビングでお香を炊く。ああ、久しぶりにお香を炊こうと火をつけた。ゆらゆらと立ち上る煙を見ながら、やさしい香りを胸に入れる。そしてふと思ったのだ。


「このまま、まわりに火が着いたら楽かな…」


自分で驚いた。自分がそんなことを思うとは思っていなかったのだ。でも今、私は自分で自分をそこまで追い込んでいたらしい。


そのすぐ後、私は近くの美味しいパン屋に自転車を走らせた。しばらく行ってないそのパン屋さん。私の中で歴代1、2位を争う大好きなパン屋さん。お店に入ってしばらく悩み、アップルパイとドライフルーツたっぷりの「江戸」というパンを選んだ。(しかしなぜ江戸なんだろう……)


家に帰って、まずは友人からもらった美味しいコーヒーをゆっくり淹れる。大好きなアニメ「はたらく細胞」を見ながら、カスタードクリームとリンゴがたくさん入ったパイを頬張る。りんごのシャクシャクとした歯触り、ぽってりしたカスタードクリームの舌触りを楽しむ。「はたらく細胞」を見つつクスクス笑う。


たったこれだけのことだけど、なんだかとても気持ちがほっこりした。


私は私のことに鈍感だ。
特に辛いことや体の疲れには鈍感だ。だから大袈裟かもしれないけれど
「一菜さん、生きててくれてありがとう」
そう言ってもらうことで、自分の状態に気づくのだ。


しばらく書かなかった、書けなかったブログもボチボチ書いてみよう。
ちょっとそんな気持ちになってきている。

PS

愛犬チェリーはずいぶん回復しました。少し散歩もできるようになり、活気も出てきました。このまま健やかに過ごせますように。





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