日本語を辞めてしまうのはもったいないから、続けてもらいたい
継承を手伝う人(日本語教師)の視点
フランスで継承日本語を教えるエイコさん。パリのインターナショナルセクションのある学校やフランスの地方都市ナントの継承日本語をサポートするグループで国語を教えたのちに、昨年9月にオンライン継承日本語コミュニティーを立ち上げた。継承語として日本語を学ぶ子供たちのニーズに特化して、日本語を続けていける場をつくることを目指している。
「継承を手伝う人」として、継承日本語の観点から見た補習校の問題点、教える上でのチャレンジ、そして今の彼女の取り組みの土台となっている洞察や考えを共有してもらった。
<みんな求めているものが違う>
日本政府の認可を受けている補習校(*正式には日本語補習授業校)は、文部科学省によって*設置目的が規定されている。補習校に通う子どもたちは再び日本国内の学校に編入することを目指していることが前提となっているので、日本で使われている教科書を用いて、学習指導要領に掲げられた学力を目指すことが求められている。認可を受けていない「補習校」も、多かれ少なかれ日本の教科書を用いて似たようなことを目指して授業を進めているところが多い。
しかし、最近は、その前提に当てはまらない永住者の子女が増えている。彼らが「補習校」(日本政府の認可の有無に関わらず日本語を習う場所)に通う理由や目的、家庭におけるサポートレベルは、それぞれの家庭によって違うとエイコさんは感じている。
「続けてくれればいい、という親と、もっとできるようになってほしい、という親もいる。それがすでに違う。あとさらに、日本の学年相応にできるようになってほしいという親もいたりします。そのあたりの期待するもの、親が子供に求めているもの、期待する日本語能力が全然違いますね。」
「親にとってのプライオリティーが何か。親が、例えば宿題なら、宿題に付き合う気があるか?あと意外と大きいのは、日本人じゃない配偶者(フランスの場合は、一番多いのは日本人のお母さんでフランス人のお父さんというケース)が、どれくらい日本語を習うことについて当たり前だと思っているか?例えば、日本人の親が仕事で子どもを連れてこれないという時に、フランス人の親が毎週連れてくる家族もいたんです。そこの家族は、ダブルカルチャー、ダブル言語であることは、子どもにとって絶対意味があるというのが夫婦間で合意があり、だからそれを守るためには二人ともできる限りのことをする、というようなコンセンサスがあるって言い方をしていました。一方で、日本人の親が来れない時は行かれません、休ませます、みたいな家庭もありました。そこはもう各家庭の事情だと思うので、一概には言えないんですけれども、私が見てきてた中では、子どもの日本・日本語への姿勢とか取り込みに影響が大きい要素の1つかなと思っています。」
そして、そのバラバラなニーズにどのように、どこまで対応するかが先生としてのチャレンジだった。
「例えば最初の頃にもっていたクラスに、「宿題はやらせません。」という家庭がありました。『うちは忙しいし、そんなやらせている時間はない、他の習い事もあるし。月3回のうち多分1回か2回しから出られません。』と。わたしのクラスでは、授業に出られなかったらその分を自宅で宿題をやらせてください。ということにしていたんですけど、それは受け入れてもらえませんでした。月に1回でも通わせ続けたいというニーズがあって、その気持ちはわかるんだけど、クラスを運営する方としてはすごく困るんですよね。その子が授業に来た時に、やっている内容がわからないから、ついていけないということになってしまうんです。」
国語の教科書に関しても、永住者子女のニーズに合ってないと思い、エイコさんは最初から日本の教科書を使わないことを条件に先生職を引き受けた。
「ひらがなを追っかけていくだけで、全く中身が入らない子が何人かいたんです。日本の教科書って、結構長い文章が多いと思うので、継承日本語の子たちには、読むだけで精一杯。読むのでお腹いっぱい。そこから発展して何かをするには、もう全然時間も足りないので、読むだけで終わっちゃうっていう感じが強くて。あと単語がやっぱり2年生ぐらいまではいいんだけど、3、4年生ぐらいになると、意味が分からない言葉、知らない言葉があまりにも多くなって、ひらがなや漢字が読めるかどうかっていう問題ではなく、スムーズに読めなくなってくるものが結構あるように思えたんです。そうすると、理解するとかの前につまずいちゃう、つまずかなくていいところで、つまずくことが多いなと。」
「あと、学年配当漢字というのは結構曲者だな、とわたしは思っています。積み上げ式なので、例えば今から真面目にやろうと思っても、今までにやった分が抜けている子は、当たり前に今までの漢字が出てくるのでどうにもならない、ということになってしまうんです。だから、継承語クラス、特に複学年の継承日本語クラスではちょっと難しい、扱いにくいなと思っていました。」
<継承日本語(学校)の難しさ:目標を設定できない>
パリのような大都市と地方都市との違いについて、エイコさんは駐在員の子女の存在を指摘した。
「ナントには駐在がほとんどいないっていうのはあります。パリでは、例えばインターナショナルセクションのある学校もそうだったんですけど、駐在の家庭と永住組だけど日本語をやっていますという家庭が半々ぐらいにいました。ナントだと、そもそも駐在でナントへ来ている家庭は、1つ2つあるかどうかでしたし、子どもは居ない人達や単身赴任、単身者の駐在が増えていました。それで、駐在の子女がいるかどうかっていうのは、クラスとしては結構影響が大きいかなと思います。。永住組の子たちからしてみると、その子達の存在が、同い年でも、あぁこれだけできるんだって思わせてくれるところがあるんですよね。もちろん、引け目を感じる部分もあるかもしれないけど、同い年でも、あれだけできているっていう目標になる。そういう生徒が全くクラスにいないので、どれだけ出来ればいいかという、指標がない感じになってしまって、悪くすると、下に引っ張られる感じはあるなと思います。」
駐在員子女のいない、継承日本語がメインとなった学校は、認可を受けた補習校とどのように違ってくるかと聞くと、
「一番違うのはやっぱり目的というか目標で、帰国が前提の補習校っていうのは基本的には日本の学習要領に沿うことが目的なんだと思うんですよね。それをきちんとこなしていく、遅れを取らないっていうことが多分第一目標にあるんだと思うんですけど、継承日本語の場合は、そういう目標がないんです。だから自由度が高いとも言えるけど、難しさでもあります。なぜなら、子どもによって全て、違うんです。だからひらがなさえ読めればいいっていう子だったら、ひらがなを読めるようになろうと思って頑張ればそれでいいし、例えば、新聞が読めるようになりたい、日本で高校に行きたいっていうんだったら、それが目標になるし。その子その子によって目標が違うのが、一番違うところかなと思います。」
「だから同じクラスのメンバーだからと言って、1つのクラスの子どもたちがみんな同じことを目指すことが、まずはないっていう前提でやらないといけないんです。そういう前提だってなった時に、先生はじゃあ、どうしたらいいか、という問題が出てくるんですよね。10-20人を前にして、みんなそれぞれ別々のことを目指している子たちに対して、何ができるか?これはたぶん、常に継承日本語について回る問題かなと思っています。」
<日本語を学ぶのではなく、日本語で学ぶ>
エイコさんが立ち上げた継承日本語コミュニティーでは、P B L(Project Based Learning)のアプローチで、それらの問題に対応しようとしている。
「覚えようとか、書けるようになろう、ということではなく、考えることが勉強ということにすると、実は、日本語のアウトプットの能力に差があっても、大体同じ年齢の子たちなので、そんな10才違うわけではなければ、それぞれの子どもが強みを発揮できる場所が出てくるんですね。私のクラスに来ている子ども達でもそうなんですが、例えば、このクイズの答えをみんなで考えてきてって、グループに渡します。日本語ができるからわかるわけではない、ちょっと調べなきゃ分からない内容にしておくと、日本語が読めるけど、わからない子と、日本語はあまり読めないけど、ちゃんと読み方さえ教えてもらえれば、ちゃんとできる子と。違う側面が出てきます。そうすると、子どもによって日本語力にものすごく開きがあっても、クラスの中で、できる子、できない子、みたいなのがあんまり固定しないんですね。それがたぶん1つの解決策と言うか、ひとつの方法なのかなと思います。」
「授業自体は、テーマ制って言うか、テーマごとで組んでいるので、いわゆる国語ではないですね。1月、2月でやってるテーマは「天体」で、星座から始まって、地動説や天動説、このないだは望遠鏡の話になって、その次に何光年とかそういう単位の話になって、最後は谷川俊太郎の「24億光年の孤独」で終わろうかな。と思って今組んでいるところです。だから「何の教科か?」と言われると、よくわからないんですけど、何かしら繋がっている範囲で色々なものを織り交ぜた授業っていう風になっています。すると、例えば、地動説、天動説だと、親もそんなに知らない事とか、ガリレオが、どのようにそれを発見してコペルニクスが何て言ったか?というのを、文章にしているので、それが親子の会話になる。という反応が返ってくるんです。子どもはもちろん、意味がわからないから、『お母さん、これなあに?』と聞くと、お母さんもわからないから、それを一緒に調べる。子どもだけじゃなくって、大人にとってもちょっと脳に汗をかくというか、『面白い、なるほど。』と思えるようなものにできると、親子のコミュニケーションが増えるかなと思っています。」
エイコさんのアプローチは、「言語はツールでしかない」という基本方針に基づいている。
「やっぱり言語はツールでしかないと思っているんです。言語が目的ではない。わたしは、言語を使うための環境を用意するのが教師としての私の役目で、言語を教えるのが仕事だとは思っていないんです。だから、そこは結構大きい違いかなというふうに思います。
うちの子達も一時期、家から1時間以上かかるところにある公認の補習校に通っていたんです。でも補習校だと、日本のペースで進まなくてはいけないから、もうこなすだけで終わっちゃうんですよね、漢字テストも毎週のように10個、20個と覚えなきゃいけなくて。でもそれを「じゃ使ってみよう」みたいな時間は、補習校でも家でも残っていない。そうなると、テストで100点とっても、翌日には綺麗さっぱり忘れてるというようなことになってしまって、これでは、通うこと自体が目的になってしまって、意味がないなと思ったんです。毎週、水曜日午後の3時間の授業のために、朝の学校が終わった子をピックアップし、そのまま向って。終わって帰ってくると、もう夜7時というスケジュールで、家族の負担も大きかった。だから結局、半年くらいで辞めちゃいました。」
<楽しく続けさせてあげたい>
継承語の世界では、途中で辞めさせたことを後で親を責める子はいても、続けさせたことを責める子はいないと言われている、とエイコさんは教えてくれた。でも、辛くて結局やめてしまう子も多いし、続けるにしても楽しく続けられた方が日本語も身につきやすいはずと思っているエイコさん。エイコさんのコミュニティーは日本語を続けられる場になることを目指している。
「別に補習校にとって変わるような存在になろうと思っているわけでは全然ないんです。自分の子ども達もそうだったんですけど、補習校ではもう続けられないっていう子達、もうそこに意味を見出せなくなってしまう子が一定数どうしても出てくるんですよね。教科書でどんどん進んでいくタイプの学習って。そうなった子たちが、だからもう日本語を辞めるというのは、もったいないなっていうのが一番わたしの中にあって。そこで、日本語を楽しく続けられる場所がオプションとしてあって欲しいなと思って始めた。というのが一番大きいです。だから、日本語を伸ばそうっていう目標では実はあまりなくて、日本語を続けようみたいな。伸びなくてもいいから辞めない。どちらかと言うとそういう設定ですね。漢字もどんどん学んでいこうっていう意思もそんなになく、例えば、天体だったら、みんな毎週読まされるから「地球」と「太陽」くらいは読めるようになるんですけど、その程度でいいっていう感じで。それで例えば2-3ヶ月経てばやっぱり忘れちゃうのかもしれない。でも、それはそれでいいっていう感じですね。」
「私は個人的に、やっぱり中学校高校って一番子供にとって、いろんなことを吸収できてものすごく伸びしろのある時期だから、そこを耐えるって言う形で日本語を続けさせたくない、それではもったいないって思うんです。そこで自分が好きなことを日本語でできるんだったら、もっといいのではって。もちろん、こっちが用意したテーマが合わなければ、そのときは耐える方に近くなるのかもしれないけれど。それでも、少なくともひたすら積み上げ式でテストよりは、みんなで週に一回、集まって日本語で一緒におしゃべりするだけでいいんだったら、そんなに苦にならずにとりあえず続けられるし、いつか自分が好きなテーマになった時にバーッと花が開けるんだから、そういう形の続けさせ方をしてあげたいな、というのがすごくあります。」
そしてエイコさんの洞察は子どもだけではなく、親の気持ちにも及ぶ。
「本人も辛いんだけど、多分親も辛いんですよ。日本語をやらせていることの、押し付けてしまっているんじゃないかという、多分自責の念もあるし、その時は子ども達も文句をいうから、その度に頑張って続けようよと励ますのも大変だろうし。だから、最終的に実を結ぶんだとしても、やっているそのときが、両者にとってそんなに辛くない方法はないんだろうか?というのが、わたしの中にあります。
苦労したから感謝するわけじゃないと思うんです。楽しくやっていても感謝すると思うので。その重さのせいでやめてしまう、諦めてしまう人たちが、選べる道というのがなさすぎて、わたしとしては、それをやっぱりちゃんと作りたいなというところです。」
オンラインで日本語や日本のコンテンツはいくらでもアクセスできる今の時代、「学校」の代わりになるものは、いくらでもあるように思われるけれども、エイコさんは必ずしもそうは感じていない。
「わたしの子どもも補習校にはもう行ってないけど、日本のオンラインの塾に週に1回、フランスから講座に参加して見てます。でも、それはうちの長男が、1年日本に住んでいた、妹の家に1年間留学していたので、そういうのについていけるだけのレベルっていうのが、あるんですよね。普通の喋り方の内容についていけるレベルであれば、オンラインを使えば、このオンライン塾のような、学校ほど難しくはないコンテンツ、多分いくらでも入り口はあるんです。でも、そこまでいっていない子たちには、使えるコンテンツというのはまだまだ無い、というのが現状だと思います。それで、その間を繋げられたら、と。
わたしが目指しているのは、例えば音読でも、字を覚える事が大事なんじゃなくて、漢字が出てきた時に「うわっ」と思わなくなる事なんですね。漢字が混ざっていても、「大丈夫じゃん」と思えるようになっておけば、いつか自分で何か日本語で勉強したいとか、日本に行きたいとか、目標ができた時に、その開いた本に漢字があっても「うわっ」と思わないで済むようにしてあげたい、ということ。学年相応で進めていると1年生でつまずいちゃった子って、それ以上は難しい漢字の入ってる単語を見た瞬間にもう「無理だ」って思っちゃうじゃないですか。」
<ニーズは何か、からはじめる>
大学などで教育を専攻したわけではなく、でも気がついたら「教える」ことをずっとやってきたというエイコさん。型にはまらない彼女のやり方のベースには、教える子たちのニーズがあると語ってくれた。
「教えるって言う事は、目の前にいる生徒の立場とか受講者の「ニーズは何か?」というところから始まるべきだと思っています。「ニーズは何だから、どうする」みたいな風にならないと、結局そこに齟齬(そご)が生まれて、教える先生も、教わる生徒も、どちらも、辛くなるんだと思うんですよね。私が学習指導要領が良くないと思ってるのは、少なくとも、外国で育つ子どもたちのニーズと、用意されているものが合ってないと思うからなんです。だから、それを無理にやろうとすると、辛くなるし。先生も辛いし、生徒も辛いし。みたいなことになって、親も辛いし、みんなが辛い。ニーズは何か?から始めると、もちろん頑張らなくてはいけないところもあるんですけど、でも、もっと楽しんでやれる方法があるんじゃないかな?ということを感じていますね。」
継承日本語と言っても、求めているものが一人一人違うし、グループによっても違うので、継承日本語に特化した教材やメソドロジーもそのままで使えるものはあまりない。とエイコさんは感じている。継承日本語を教える先生は、クリエイティブにならざるを得ない。
「そうですね。既存のものが使えないので、そうならざるを得ない。結局、本当に継承日本語っていうことで、その子たちのニーズに合わせて、その為に作られた物は、「おひさま」っていう教科書が一応あるくらいかな。でもそれだけで授業がカバーできるわけではないので。やっぱり自分で教材やプログラムを作っていくっていうつもりの人じゃないと、(継承日本語を教えるのは)難しいのかなっていうのは感じます。」
<継承語教育って、親子のコミュニケーション>
子どもに日本語をちゃんと身につけさせなきゃいけない、補習校に通わせなきゃいけない、というようなプレッシャーを感じがちな親に対して、エイコさんは、自分の家庭に合ったやり方を探して欲しいと語る。
「『継承語教育って親子のコミュニケーションそのもの』ってよくフックスさん(スイス、バーゼル日本語学校教師、フックス清水美千代さん)が言われてて。わたしも本当にその通りだと思っています。だから、あんまり教育っていう風に切り分けることができるものじゃなくて、本当に各家庭でそれぞれ違うのが、継承日本語だと思うんです。それぞれが、それぞれの家庭に合ったやり方っていうのを探していくのが、多分、親の役目なのかなと思います。逆に、教育機関というものがあるとしても、そこに主導権があるわけではなくて、それをどう使うかっていう視点を、(親も)持ってほしい。補習校に行かせてもいいと思うんですけど、補習校に行かせれば日本語ができるようになるわけじゃないから。やっぱり親が補習校をどう(子どもに)活用するかっていう観点を持っていられると、よりいいんじゃないかなと思います。」
エイコさん自身は、親として自分の子供たちに何をしてあげたくて日本語を続けさせているのか。
「私の場合、うちは、夫はフランス人だけど日本語を話すので、わたしと夫は日本語でしか会話しません。だから、日本語を話すのは自然、という方が強いです。でも、どちらかって言うと、種まきみたいなものだと思っていて。今その子にとって、どのくらい意味がある事なのかというのは別にして、ルーツに日本っていうものがあるなら、それが、その子にとって大事になった時にゼロからのスタートじゃないようにしてあげたい。ぐらいな気持ちですね。それが日本語であっても、日本文化であっても、全く未知の異文化みたいになってしまうのは、やっぱりちょっと寂しいというか。そうすると、自分のルーツだって思えないんじゃないか?っていうのがあって。だから、そんなに詳しくはなくても、日本を知ってるよ。と自然に思えるようにしてあげたいな。みたいな感じですね。」
<ステレオタイプがない>
最後に継承語として日本語をやる、家庭が複言語であることのメリットのようなものは見られるか、ということについてエイコさんの考えを聞いてみた。
「こないだ「文化とは」みたいな対話会の時に感じたんですけど、ステレオタイプみたいなものがこの子達にはないんだな、ということ。完全にオープンなんだなって。私たちは、”オープンマインド”ということをよく言うけれども、実は、様々なアンコンシャスバイアスを持っている。でも一方で、子どもたちは完全にオープンで、何を言われても『ああそうなんだ』と受け取れるのは、多分、複文化・複言語の子ならでは、なんじゃないかなと思いますね。
わたしの教えている子達のような、そういう(複文化・複言語)環境の子ども達って、絵とか言葉以外の表現が、すごく優れているように感じます。それが好きな子が多いような気がしていて。それはやっぱり言葉と概念がイコールじゃないっていうことを、分かっているんだと思うんです。一言語、モノリンガルな世界では、言葉と概念がイコールで世界が成り立っているんだけれど、バイリンガル(複言語・複文化)の子たちって、そこにはズレがあることを知ってる。例えば「いただきます」とか『ごちそうさま』『おかえりなさい』っていうのは、言葉も概念もそもそもフランス語にないよねとか。同じようなシチュエーションで使う言葉はあっても、そこに込められた意味とか解釈はズレている。というのを、経験的に知っているんですよね。言葉にできない言葉とでも言うか。だからいい意味で言葉に頼り過ぎないというか。言語表現にすると切り捨てられちゃうような部分をキャッチして、言葉以外で表現する力が強いんではないかなって思いますね。」
*脚注:
<補習授業校の設置目的>
補習授業校は、
現地校に通学する児童生徒が、【対象】
再び日本国内の学校に編入した際にスムーズに適応できるよう、【目標】
機関教科の基礎的基本的知識・技能および日本の学校文化を、【内容】
日本語によって学習する【方法】
教育施設である。
(文部科学省ウェブサイトよりhttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/002/003/002/001.htm)
**このインタビューは、2020年度東芝国際交流財団助成プログラムの日本語教育を振興する事業として支援を受け実現したプロジェクトです。
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