「幸せ」の源泉 ~野性と社会性~
前回は、「幸せは自分が決めるもの」そして、幸せを叶え、実感していくためには、自分の心の中の「欲求」に目を向けましょうという話をしました。
今回は、ちょっと哲学チックになりますが、この「欲求」の源泉はどこにあるのでしょうか。
「欲求」という言葉を用いると、マズロー博士の欲求5段階説を思い浮かべる方も多いと思いますが、まさにその通りだと思います。
ただ、5段階という表現は少し日常生活で意識する際には詳細な印象を受けますので、私は以下のように解釈しています。
「野性」と「社会性」です。
簡単に申し上げると、私達も群れを作る動物以外の何者でもないわけです。
だから、お腹も空くし、眠くもなるし、性欲だって湧いてきます。生物として生きるためにどれも真っ向から必要な要素なので、基本はこの「野性的欲求」に逆らうことはできません。放っておいても湧いてくるものです。
一方で、「社会性」はより高度な動物にみられる能力だと思います。でもこちらも、生きるために必要な能力です。
厳しい自然界の中で生き抜いていくためには、一人では生きていけません。だから、群れに属して助け合うことを意識します。共に狩りをしたり、獲物を分けたり、住居をこしらえたり、農業をしたり・・・。そんな延長線上で今日があったりします。
そして、群れ始めると群れの中での立場を気にするようになります。
例えば、頼りにされる(≒嫌われない)にはどうしたらよいか。誰かの役に立つ存在になることで、身の安全とメリットを受けようとします。
場合によっては、群れの中で存在感を出せるようになると、如何にメリットを得るかに走りがちになり、そうなると群れの中に「不公平感」が生まれ、仲間割れという新たな身の危険が生じるため、力や態度などの威厳をもって群れを制圧しようとします。俗にいう「マウント」ってやつですね!
まあ、結局はどちらも、生きるための安全・安心だったりに紐づいて欲求が湧き出ているわけです。本質的には動物とやっていることは変わらないと。
なので
「結局、人間ってそんなもんだ」という感じに単純化して欲望を捉えていくと、「自分はどんな生活が送りたいのだろう・・・」「そのためには、どうしないといけないのかな・・・」「そのために、自分に何か出来る事ないかな・・・」と、自分の本質的な欲求に対して、生活の中で目標が描けるようになってくるかと思います。
そして、そのように生きるために行動し、経験を積む中で、自分の中に価値観が形成され、放っておいても自分らしさ(=自分の歴史)がにじみ出てきます。
なので、他人と比較せずに、自分の声に耳を傾けることが重要だと私は思っています。
但し、世の中に対して自分はどんな位置づけかを冷静に見定めることは重要です。
次回は、野性(≒自分)と社会性という、ある意味背反しやすい要素をどうやって叶えていくかのポイントについて、私の考えを述べさせていただければと思います。(ちょっと哲学が続きますね、そのうちライトな内容にします。)
追伸:
本能と社会性の中で語り切れていない要素として「好奇心」があります。
元々は、新しい住処を発見したり、新しい食べ物を開拓するために備わったこちらも大切な「本能」の一部だと思っていますが、ある程度安全が担保された現代社会においては、生きるための「守り」の要素よりも、一般的な生物を超越した「攻め」の要素だと、私は思っています。
これが強い人は、これだけで生きる目的となり、幸せを実感できるため、自分自身の心の中にある「好奇心」についても大事にしていただければと思います。
【文末お約束メッセージ】
私の話が人生のプラスになった方がいらっしゃいましたら、おひねり、お小遣いいただけると、私もHappyだったりします♪ えへへ^^
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