今もわたしは母の呪いに縛られている。
「わたしもうズボン履かない!髪の毛も伸ばす!」
小学3年生の私は、半泣きで母に言った。
理由は「もう男の子に間違われたくなかったから」だった。
きっかけとなった事件は、その日の午後に起きていた。
父と行った喫茶店で、お店の人に「ボク、何にする?」と聞かれたのだ。
多分「男の子じゃありません」だか「女です」だか、なにか答えたと思うのだけど、すごくすごくショックだった。
というのも、同じ喫茶店で一週間前にも同じ台詞「ボク、何にする?」を言われていたのだ。
まさかの2週連続。おばさんも覚えてよね。ぷんぷん。
私は物心ついた頃から、男の子に間違われることが多かった。
もっと小さい頃は「また間違われたわ」と思うだけだったんだけど、やっぱり小学3年生にもなると女の子に見られたいとか、かわいく見られたいとか、そういう欲が出てくる。
一週間前に男の子に間違われて傷つき、「でも今日はズボンだったし」「おばさん、あんまりちゃんと見てなかったかもだし」とかなんとか、言い訳を探したり自分で自分をなぐさめて、その翌週「今度はちゃんと、女の子に見てもらえるように」と、スカートを履いて万全の体制で行った。はずだったのに。
「ボク、何にする?」。
そんなあ。
おばちゃん、ひどいよ。
おばちゃんは大して悪びれた様子もなく「あらあらごめんねー。お嬢ちゃん何にする?」みたいな感じだったんだけど、小学3年生の小さな私はひどく傷つき、冒頭の「わたしもうズボン履かない!髪の毛も伸ばす!」が発令された。
実際それから2年近く、私はズボンを履かなかった。
髪も伸ばした。と言っても肩下5cmぐらいだったけど。
それから男の子に間違われることはなくなったと記憶している。
幼い頃の私は、ずっと母製のマッシュルーム頭だった。ちょっと短めの。小ぶりのマッシュルーム。いかにも昭和の子供。
髪を伸ばすことは許されなかった。
「伸ばしたいよお」と言っても「ダメ」と言われていた。
多分、母がヘアアレンジができない人だったからだと思う。推測だけど。
だから、物心ついた時からずっと、マッシュルーム一択だった。
服装は、これまた母の趣味でモノトーン系の服ばかりだった。
グレーのニットとか白黒チェックのスカートとかアーガイルのベストとかグレンチェックのズボンとか。
ピアノの発表会に出る時も、黒のベロアっぽいワンピースとか、ネイビーのセットアップとかそんなんだった。
ピンクや赤や黄色のふわふわドレスなんて着たことなかった。
そんな私がたった一度だけ、ふりふりレースを着たことがあった。
それは幼稚園の年長さんの時。
お遊戯会で天使の役だった私に与えられた衣装が、真っ白のふわふわフリフリのドレスだった。
当日控え室に行ったら、畳んで箱に入った衣装の上に「おかだともこちゃん」と名前を書かれた紙が載っていて、広げたらふわふわのドレスで。
それを見たとき、めちゃくちゃ、めっちゃくちゃ嬉しくて「わああああかわいいー!」と言ったのを覚えている。
後にも先にも、ヒラヒラふわふわを着たのは、その1回だけ。
とにかく、ヒラヒラとかガーリーとかピンクとかレースとか、そういうものに無縁の子供だった。
母曰く「とにかくレースとかヒラヒラが似合わなかった。赤ちゃんの時、あまりに男の子に間違われるから、ヒラヒラのレースの産着を着せてみたけど、それでも『元気な男の子ね〜』って言われたから、じゃあ似合わないしやめよう。私好きじゃないしと思って。ヒラヒラは着せるのをやめた」らしい。
そして母は、「ぶりっ子が大嫌い」だった。
ぶりっ子に対しての憎悪はすさまじかった。
松田聖子、松本伊代、のりぴー。
この辺りの人々のことは、親の仇かと思うぐらいに嫌っていた。
そういえばつい最近も、松本まりかさんのCM見て「この子ぶりっ子して気持ち悪いから嫌い。出てきたらすぐチャンネル替えんねん!」と言っていたので、親の仇はまだ取れてないらしい。
余談だが、私はまりかさんが好きです(知らんがな)。
そういや当時も本当はのりぴー好きだったけど(だってかわいかったじゃんめちゃくちゃ)、そんなこと口が裂けても言えなかったなあ。
今は別に言えるけど、言ったら「あんた、けったいなんが好きなんやなあ〜」と言われるので、時と場合を選んで言うようにしている。
結果、私はふりふりレースを着ることなく、そして、母からの刷り込み「ぶりっ子は悪」が正しいと思い込んだまま大きくなった。
今はもう、刷り込みはだいぶ消えたけどゼロではないし、どこか母の顔色を伺う自分がいるなと、日々すごく思う。
たとえば、ちょっとかわいい下着を買うとすぐに「こんなヒラヒラのパンツ買ってどうしたん」とか言われる。
別に責めてるつもりはないのかもしれない。
でも言われるたびに、すごく嫌な気持ちになる。
「いいじゃん別に、何履いたって」と言うと「そりゃ別に、いいけど?」と言うけど、またその下着と洗濯で遭遇すると何かしらひとこと言ってくる。
猫に向かって「おねえちゃん、最近こんなパンツ履くねんでー、すごいなあ」とか言ってたりする。
ええやん別に何履こうが。私がスケスケパンティー履こうがTバック履こうが、それがなんぞあなたにご迷惑おかけしてますかね?
と思うけど、言うと面倒しか起きないので聞こえないふりをする。
私も「何か言ってんなー」ぐらいで流せたらいいんだけど、いちいち受け止めちゃうし、なんかしんどい。
そしてふりふりレースやぶりっ子やカワイイに対しても、まだ100%受け入れられない私がいる。
刷り込みが残っているのか、私自身の意見なのかもはや分からないけど。
母から刷り込まれたことって「呪い」だなと最近思う。「母の呪い」。とてつもなく重く壮大な呪い。
母には母の正義があるんだろう。
母自身が幼い時にした苦労とか、自分の母から受けた言葉とか、そういう「母の呪い」に母自身が縛られているんだろうな、と思う。
だからって、それを私はどうしてあげることもできないし、私は私がかけられた呪いを解くしかないのだけども。
母が生きている間に、この呪いは解けるのかな。
ほんとにさ。45歳にもなって母の呪いに縛られてる自分が嫌になるよ。ぴえん。