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父に当たり散らして、自分の精神の限界に気づいた話。

我が家の愛猫「くー」が体調を崩したのが2ヶ月前。

先週辺りからぐっと具合が悪くなり、目の離せない状況が続いている。

胸に水が溜まった影響で、常に体全体で呼吸をしている。
少し動くだけでヒーヒー言ってしまうし、時には口を開けて呼吸したりする。

まだかろうじて食欲があるのが救いなのだけど、1日中酸素室の中でじーっと過ごしている。

ずーっとこのうつ伏せのような体勢。
どうやら、呼吸するのに楽らしい。

もう丸くなって眠ることもできないし、ゴロゴロと喉を鳴らすこともできない。
切ないけど、これが現実。

時々、酸素室を覗いては「くー」と声をかけて背中を撫で、話しかける。
日に日に弱る背中を撫でながら、辛い気持ちはできるだけ表に出さないようにして、猫に寄り添い続けている。

長生きしてほしいとか、そういう思いはあまりなくて、とにかく少しでも楽に過ごさせてあげたい。
それだけを思って祈って、毎日全身全霊で猫と向き合っている。


そんな日々に事件が起きたのは、3連休の初日のこと。

父が「ワシ、明日山に登ってくるわ」と言った。

登山用のリュックに、頂上で食べるつもりのお菓子や、久し振りに使うバーナーを入れて「今年初めてだ」と、ほくほくしている父。

それを見て思わず言ってしまったのだ。

「いいね、登山とか行けて」と。

私は猫の具合が悪くなってから、ほとんど出かけていない。
大好きな友達と、泊まってみたかったホテルに行く予定もキャンセルした。

特にここ数日は、友達とのランチも、仕事で人に会う約束も全てキャンセルさせてもらった。
何が起きるか分からないからと、先の予定もほとんど入れていない。

毎日毎日、猫の介護に尽くしている。

それだけじゃない。
母の面倒も見てるんだよ、という気持ちもあった。

父は平日、毎日仕事に出ていて、土日も「会社」だとか「買い物」だとか「散歩」と言っては、すぐどこかへ出て行ってしまう。
1日中家にいることは、月に1度あるかどうかだ。

平日毎日、母に振り回されている私は「土日ぐらい家にいて、お母さんの話し相手してあげてよ」何度かそう言ったけど、「今日は出かけなきゃいかんのだ」とかなんとか言って、ふと出かけてしまう。

私は母の面倒も猫の面倒も見てる。
あれこれ頼まれるから、仕事だって思うようにできないことも多い。

なんで私ばっかり。
そんな思いが止められなかった。

「平日仕事でいないのに、休みの日も山だとかなんだとか。いいよね。私なんてどっこも行ってないのに」

猫たちの夕飯を準備しながら、父に聞こえるギリギリの声でつぶやいた。
怒っていたわけじゃない。
なんだかもうやるせない気持ちだった。

でも言った後で、激しく後悔した。

猫の看病は、私が好きでやってるはずだった。
酸素室を借りたり、往診のお医者さんをお願いしたり、点滴したり、薬を飲ませたり…正直、ここまでやる必要はないのかもしれない。

でもやりたいからやってるんじゃないのか。

それに、予定をキャンセルしたのは、私がそうしたかったからで、誰かに強制されたわけじゃない。
私が、少しでも猫のそばにいたいと思ったから、そう決めたんだ。

なのに、勝手にいっぱいいっぱいになって、つい父に当たってしまったのだ。

案の定、父は「明日、山やめとくわ。こんな時だもんな」と言い出した。

慌てて「いやいや、ごめん。行ってきていいよ。天気良さそうだし」と言ったけど、父は結局山に行くのをやめた。
ま、山には行かず、どこかふらっと出かけていなかったけどね。結局。


今回、父に当たり散らしたことで、「私、結構疲れてるんだなぁ」と気付くことができた。

猫のことは大好きだし、目に入れても痛くないぐらいかわいいし、大切な存在だし、できるだけ健やかでいて欲しいけれど、自分の精神ぼろぼろにするまでやっちゃダメだなって。

それに、自分が頑張ってるからって、人に強要しちゃダメだよなって。

当たり前なんだけど。

だからって「旅行行ってくるわ!」という気持ちにはなれないし、少しでも側にいたいと思いは変わらないので、ほどほどに息抜きしながら寄り添いたいと思う。

いやはや、猫の看病って大変。
少しずつ消えていく命の灯火を見つめる辛さよ。
これをあと猫4匹人間2人分やるのかと思うと、気が遠くなるわ。

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