休みの練習
やりたいことをやろうと思い、「そうだ、ゆっくり本を読もう」と思って公園にいったのだけれど、すぐにバスの時間が気になったり、そうだ洗濯をしなくちゃいけないんだ、と思ってしまい、案外と集中できる時間が少なかった。そんなことを話してくれた人がいた。
そうなんだとと思う。若い頃のように時間は無限ではなくなり、なぜ無限と思えていたのかも思い出せない。
もちろん、若いときも時間は無限ではないと誰だってわかっている。だけれど、それを自分自身の体感としてはわかっていなかったんだなぁと振り返ることができる。
光陰矢のごとし、少年老いやすく学成りがたしって本当にそうだよねとドロシーとも最近よく話をする。
本を持って公園に行った話をしてくれた人も、「自分は本当に何がやりたいのだろうかと改めて考えているところ」ということをは言われていた。
その人はそのあと「休みにも練習が必要なのかもしれない」ということを言われた。確かにそうかもしれない。
ゆっくり休んでやりたいことをやってみる。実は簡単そうで、いざやってみようとすると案外に難しいのだと思う。「やればいいじゃん」と言うのは簡単なのだけれど。
「やりたいことをする」とか「ゆっくり休む」とは、そういうことなのかもしれない。
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