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笑い顔

怒っていても笑っているような顔の人が一定数いる。そんな人がいないかどうか、これまでの人生を振り返ってみてほしい。身近な人でなくてもいい。テレビに出ているタレントとか政治家とかを思い返してほしい。「ああ、確かに笑い顔だ」と思える人はいないだろうか。

もしいないのであれば、これからは思い出してほしい。怒っていても笑っているような顔の人が一定数いるかもしれないという仮説を。そして検証してほしい。たとえばこのツノメドリのように。もちろんこのツノメドリは、笑い顔ではなく、うーーん、困惑顔? だけど。

大切なことは、笑い顔は実際に笑っているのではなく、笑っているようにみえるということだ。それは受け手がそう感じているということだ。

つまり、笑い顔の人をAとし、笑い顔だと思った人をBとするとき、Aには《笑い顔》伝達の意思がないにも関わらず、Bは《笑っている?》と思ってしまうということである。

ChatGPT君にそんな気づき(Awareness)について訊ねてみよう。こんな風に答えてくれるかもしれない。

協同作業において参加者が他のメンバーの活動状況、意図、文脈、位置情報などを理解し把握することを指す。具体的には、以下のような点が含まれる。
1. 他者の活動状況の認識 (Activity Awareness): チームメンバーが今どのような作業を行っているか、どのタスクに取り組んでいるかを知ること。
2. 他者の意図の理解 (Intent Awareness): 他の参加者が将来的に何をしようとしているか、どのような行動をとる予定かを予測できること。
3. 文脈の理解 (Context Awareness): 作業が行われている環境や状況を把握すること。
4. 位置や存在の認識 (Location/Presence Awareness): チームメンバーがどこにいるか、オンラインであるか、作業に参加しているかを把握すること。

ChatGPT君の解釈は特に間違っているというものではないと思う。ただ、私としては、そこに前述のAとBのコミュニケーションのように、Aの意図、Bの解釈という文脈を入れた方が面白いと思う。なぜかというと、そうすることで、そこに、《誤解》を含む《他者理解》の《齟齬》のようなものが生まれてくるからだ。

KYを"空気が読めない"とするか、"空気を読まない"とするかは、その人の歩んできた社会の構造やその解釈に依存すると思うけれど、Aの意図、Bの解釈という文脈で考えた方が私には楽しい。

KYを"空気が読めない"とする一群は、Aの意図を正確に受け取れないBの解釈能力の低さを揶揄するものだ。KYを"空気を読まない"とする一群は、存在するかどうか定かではないAの意図についてB側は過剰な解釈を行わず、あるいは仮にAの意図が一定の解釈を含むものだと認識できてもそれを無視する態度を示す一群を指す。どちらに与するかは人それぞれだとここでは言っておこう。

笑い顔の人は実は困惑しているかもしれない。常に誤解にさらされているがそれは本人のせいではないからだ。だから笑い顔の人はときどき、前述のツノメドリのような顔をする。でも、やっぱりなんだか怒っているというふうには見られず、せいぜい泣き笑いというところだ。

もちろん、この世には笑い顔のほかにもいろいろある。怒り顔、すまし顔、不機嫌顔、抜けた顔。いずれも本人の意思や意図とは関わりなく、勝手に思われてしまう。すまし顔の人はただ黙って座っているだけなのに「なにすましてんの? なんか怒ってる?」と言われることがある。

声質にも似たようなことはある。やたら低音のイケメン声とか、本人に悪気はないのに、キンキンと響いてしまって人に不愉快な印象を与えてしまうとか、真面目な話をしているのにアニメキャラのような声とか。それは本人の咎ではない。

多様性? そうね、多様なのだ。でも、勝手に受け止められるのも多様性? そうなのだ、それも多様なのだ。なんでもありの多様性。勝手に解釈される多様性。

商品やサービスの特徴について「なんでもできる」という人がいる。私はそういう説明や説明者の点数を自動的に15点マイナスする。「なんでもできるは何にもできないの法則」がこの世には存在すると私は信じている。

笑い顔に生まれてついてしまったメリット・デメリット。多様性よりも好きな言葉は、That's life. だ。

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