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歳時記を旅する 17 〔蜩〕

ひぐらしやわが名を探す寄進札       土生 重次
                      (昭和六十年作、『扉』)
 箱根神社で毎年八月三十一日に湖水祭が行われる。日も暮れかかる十八時、芦ノ湖の湖岸での神事の後、宮司一人が和船に乗って湖心に進み、「御供」と呼ぶお櫃に納めた赤飯を龍神に捧げる、という神事を行う。
 蜩の初鳴きは、芦ノ湖付近では、六月下旬から七月上旬である。蜩の鳴く時刻は、朝夕の薄暗い時にだけである。薄暮の湖水祭の神事のときは、境内が蜩の声に包まれていた。
 箱根神社は奈良時代の初期、万巻上人がご神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、中世には武家による崇敬の篤いお社として信仰された。源頼朝は小田原と三島市の社領を、小田原の北条氏は、永楽銭の莫大な地銭を、徳川家康は三島市の社領を寄進している。
 句は神社か仏閣か、薄暗い境内で多くの寄進者の札の中から自分の名を探す。慎み深くもあり、微笑ましくもある。
 
かなかなや裾から暮れる神の山          佐野  聰
                      (平成十年作、『春日』)
 箱根神社は、箱根三所権現として奉られるより前の、今から二四〇〇有余年前、聖仙上人が、箱根山の駒ヶ岳(一三五六m)から、主峰の神山(一四三七m)を神体山としてお祀りされて以来、山岳信仰の一大霊場となったとされる。
 蜩の声は、山間部でも聞かれる。平地に多いアブラゼミは芦ノ湖の標高(七二三m)では聞かれない。那須高原(標高約七~八〇〇m)で過ごしていた頃にも、ひと夏を通して聞こえる蝉は専ら蜩だった。
 山の神を召し祀るには、人も通わぬような深山が似つかわしい。句は、頂に蜩も寄せつけないような尊い山を思う。

蜩やゆの一文字の露天風呂    磯村 光生
                      (平成八年作、『花扇』)
 江戸時代後期の文化八年(一八一一年)に記された『七湯の枝折』は、箱根七湯の風景や名所・旧跡を絵入りで紹介する。その「底倉全圖」には、湯宿の番頭らしき男が、紺の暖簾を下げた玄関で、三人の旅人を迎える姿が描かれている。
 蜩の声によく似た声にかじか蛙がある。『七湯の枝折』にも、かじか蛙を「声面白くしてひぐらしの啼に似たり」と紹介する。
 底倉温泉のつたや旅館は、描かれた湯宿四軒のうち今に続く唯一の旅館である。「ゆ」と書かれた暖簾をくぐると、蛇骨川の渓谷に蜩の声を聞く露天風呂がある。

 (俳句雑誌『風友』令和三年八月号 「風の軌跡―重次俳句の系譜―」)

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