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歳時記を旅する 1 〔春昼〕

春昼の種火ひつそり湯沸器       土生 重次
                    (昭和五十三年作、『歴巡』)
「春昼」は季語としては大正七年以降に成立したとのこと。歳時記では「春の晝間は明るく、閑かに、のんびりと眠たくなるやうな心地がする。」(新歳時記 虚子編 昭和九年)とある。
それよりも前、泉鏡花に『春昼・春昼後刻』(明治三十九年)という小説がある。
 散策をしていた者が、ほかほかと春の日がさす中、立ち寄った山寺で住職から薄命の才子佳人の交情のいきさつを聞かされる。次に散策者自身が、その話の女主人公に会うことになる。物語は夢の世界と現実の世界がお互いに重なり合いながら展開してゆく。
 句は、湯沸器の小さな小窓にガスの種火の青い炎が音もなく小さく揺れている。外出や就寝のときに、種火を消したかどうか気にしていた昭和時代の昼さがり。

春昼や羽音に向けて犬の耳       佐野  聰
                      (平成七年作、『春日』)
 太宰治は、妻と妹と甲府の武田神社に訪れたときのことを、作品『春昼』(昭和十四年)に描いている。
「においが有るか無いか、立ちどまって、ちょっと静かにしていたら、においより先に、あぶの羽音が聞こえて来た。蜜蜂の羽音かも知れない。四月十一日の春昼。」
 犬の聴覚は人間の四倍もあるという。人間には聞こえない虫の羽音が、句の犬には聞こえていた。かすかな羽音に反応したわずかな耳の動きを捉えたことで、犬の聞こえる世界と人間の聞こえる世界が交錯した。

春昼の鯉ゆつたりと水を練る      磯村 光生
                      (平成六年作、『花扇』)
春昼を詠んだ詩歌では、短歌に、北原白秋の「塔や五重の端反うつくしき春昼にしてうかぶ白雲」(昭和九年)がある。
漢詩では、さらに時代を遡り、晩唐の杜牧(八〇三~八五三)の「旧遊詩」に「重ねて尋ぬ春昼の夢、笑ひて握る浅花の枝」とある。唐の時代からも春昼といえば、白昼の夢の世界と現実の世界とが現れる作品になっている。
 句は、鯉が水を練っているという。水の中を鯉が泳ぐのではなく、主客が転倒して、鯉が水を支配しているかのよう。人にはわからない鯉の世界が見えてきそうである。
「酒房いそむら」には、いつもこの句が短冊に書かれて店内に飾ってあった。俳句を始めた頃、マスター(作者)の句といえばこの句、目指す俳句といえばこの句だった。

 (俳句雑誌『風友』令和二年四月号 「風の軌跡―重次俳句の系譜―」)

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